50.心が止まっていても記憶はありました

「なぁ、トット。愛とは何だろうか?」


 侍従の頬が珍しく引き攣った。


「今さらどうなさったのです主さま?晴れ晴れとした朝に一人憂いを帯びているご様子ですが」


 鬱々とした影を背負うジェラルドを励まそうという気概は何ら感じさせず、それどころか鬱陶しそうにトットは言うのだ。

 しかしいつも通りトットの顔は笑っていた。


「お前も番からプリンと同じように好きだと言われてみれば分かるだろう」


「喜ばしいことではありませんか。大好きだと言われたのでしょう?」


 セイディが好きと嫌いの違いを認識出来るようになった。

 それは喜ばしいことのはずだ。


 しかしジェラルドは不満気である。


「……元はといえば、プリンに先を越されたところから間違っていたのだ」


「プリンと競うのはおやめください主さま。早く正気に戻りましょう」


「しかしな……番からは一番に愛されたいものだろう?」


「プリンは食べ物です。競い合う対象ではありません」


 ジェラルドの目がカッと見開く。


「そうだとも。プリンだけならばな!それが……くっ」


「もしやトットも好きだと仰っていましたか?」


「言っていない!言っていないぞ!そして聞くな!」


 ははぁ。そういうことか。

 トットの口角がにやりと上がった。


 この侍従にも知らないことがあると判明したが、ジェラルドはそれどころではない。


「いいか、決して聞くな?セイディに愛を問うたものは厳しく罰するからな?皆にもよく言っておくように!」


「はいはいそのように」


「はいは一回がいいんだ!」


 セイディさまそっくり。

 とトットは思ったが、そろそろセイディの支度が終わるころだと思い出して、主の機嫌を取り成すことにする。


「ついに愛を伝えられたのですね主さま。それもご理解を頂けたなんて素晴らしいことではありませんか。おめでとうございます」


「理解はまだだ」


「されどプリンへの愛が分かったのであれば「プリンを基準に愛を語るのはやめてくれ」」


 プリンと競おうとするのはいつもジェラルドであったが、トットは肩を竦めて微笑した。


「少しずつご成長されているではありませんか。すぐにプリンとの違いも分かってくださいますよ」


「それは間違いないが……番の感覚は取り戻せないものだろうか」


「さて。近頃のセイディさまのご様子からは良き様にも捉えられるように思いますが。昨夜もご一緒に過ごされたのでしょう?」


「まぁな。他の者とは一線を画していることも確かだ」


 夜も更けた頃を思い出してジェラルドの頬が緩んだのは一瞬だった。


「頻繁に夢を見られているようですね」


「カールが言うには記憶を整理しているらしいな」 


 医者のカールは、アルメスタ公爵邸では皆から名前で呼ばれるようになっていた。

 どこへ行ってもお医者様や医者殿、先生と呼ばれてきたカールは、この邸で新鮮な喜びを与えられて、いつ呼ばれても楽しそうにしている。


「過去に片を付けているのではないかとも仰っていましたね」


「そうだとしても。あえて思い出して二度三度と苦しむようなことはこちらで回避してやりたいものだ」


 セイディが夜中に魘されて起きてしまうようになったのは、ここ最近のことである。

 まだ知らないはずの行方不明の両親が夢枕にでも立ったのではないかと、一時屋敷は騒然としていたが、そうではなかった。

 彼ららしい人物がセイディの夢に出たことはないからである。


 セイディが見る夢は、ジェラルドがセイディを奪われた後に起きた出来事についてだった。

 つまり長く監禁中のことを夢に見ては泣いている。


 ジェラルドは悔しかった。

 いまだに奪われていた忌々しい時間が、愛する番を蝕み苦しめている。

 大事な番はもう自分の手中にあるというのに──。


「るど!よういがおわりまちたー!「淑女は大きな声を出しません。廊下も走りません。いいですね?」はい!」


 ジェラルドの思考が現実の番に戻る。

 どうして母親が先に番の側にいるのかと憤りながら、ジェラルドは立ち上がると急ぎ走った。


「あなたも廊下を走りませんよ!」


「なっ。私にまで──」


「るど、おへんじです!」


「くっ。はい。走りません」


「よろしい。では朝食に参りましょうか。行きましょう、セイディちゃん」「いや待っ」


「はい!せいでぃはごはんをたべます。それからおにわにいきます」「セイ」


「えぇ、そうね。今日もいいお天気だもの。育てているお野菜はどうなっているかしらね?」「母上?」


「はっぱがふえまちた!きょうはもっとふえるとへんりがいいます!」「だから」


「ふふっ。楽しみねぇ」「いや」


「はい!たのちみです!」「うん、楽しみだねセイディ。だから──」


 ジェラルドの母親シェリルが、さっとセイディの手を引いて食堂に向かっていく。


 いやいや待て待て朝から何故だ?


 ジェラルドは焦って母親とは反対側のセイディの隣に立つと、空いている番の手を握り締めた。

 ジェラルド公爵家の母と息子に左右から手を繋がれたセイディは、嬉しかったのかふふんと鼻を鳴らしている。


 そこにもう一人の公爵家の人間が現われた。


「朝から仲良しでいいねぇ、セイディちゃん。おとうしゃまもセイディちゃんとおててを繋ぎたいなぁ」


「おとうしゃまっ!おはようごじゃいましゅっ!」


「うん、おはよう、セイディちゃん。なぁ、ジェラル「嫌です、ここは譲りません。父上は母上の手を取って差し上げたらどうですか?」」


 朝から父親に向かって強気に吠えるジェラルドであった。



 国内がどう騒がしかろうと、今日もアルメスタ公爵邸は平和である。



「残念だなぁ。シェリル、私の手を取ってくれるかい?」


「もちろんよ、あなた。今日も愛しているわレイモンド」


「先を越されてしまったなぁ。私も愛しているよシェリル」


「うふふ。いつもと違って先に起きてごめんなさいね」


「そうだよ。君がいないからベッドだけでなく心も冷た「だからそれは部屋で二人のときに──」」


 ちょいちょいと手を引かれて、両親を咎めることをやめたジェラルドはセイディを見る。


「きょうもあいちているわ」


「────っ!!!!」


 衝撃に胸を押さえたジェラルドは、しかしその直後に楽園の淵から突き落とされた。


「れもんど!」


「……違う、それは違うよ、セイディ」


「おやぁ、私を愛してくれるのかい?これは嬉しいなぁ」


「あらあら、セイディちゃん、私のことはどうかしら?」


「……???るど、いわないですか?」


「あらま。ジェラルドがレイモンドの真似をしてくれると思っていたのね。うふふ。そこは愛している人の名前を使うのよ。たとえば私がセイディちゃんに伝えるならこうね。『愛しているわ、セイディちゃん』」


「あいちているわ、おかあしゃま!」


「まぁ、セイディちゃんは賢い子ね。すぐに言えるようになりましたね。よしよしですよ」


「おとうしゃまにも言ってくれるかい?」


「あいちているわ、おとうしゃま!」



 落ちた後に正気に戻ったジェラルドがどれだけ吠えたかは想像に容易いだろう。









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