38.公爵の悲しい朝

 はじめてのデートが上手くいかなかった昨日。

 帰宅してからもセイディはぐずぐずと泣き続けた。


 それはまるで十年分の涙を溢れさせているようで。

 ジェラルドは心を痛めながらセイディの側にあり続けたし、使用人らもそれは優しい声を掛けて世話をしたものである。


 そうして泣き疲れて眠り、今朝は皆が揃ってセイディの起床を待っていた。


 目覚めたセイディは……いつも通りに思えた。

 侍女長のソフィアが挨拶をしたときには笑顔を見せていたし、窓の向こうにいた庭師のヘンリーには手を振り返し、急に呼んだトットにも「おはよう」と笑い掛けた。


 のだが、ずっとおかしなことも起きていた。

 最も近くにいるジェラルドの目を見ようとしなかったのだ。

 そしてジェラルドに向けて笑顔も見せなかった。


 それは当然、ジェラルドもセイディに何度も語り掛けたのだけれど。

 セイディは口をきゅっと結んで、俯いてしまい話さない。


 これでジェラルドは、喧嘩でもしたのかと疑われて侍女たちからそれは厳しい目を向けられることになった。

 されどもジェラルドにその覚えがない。

 昨夜眠るまで、セイディはジェラルドに甘えていたのだ。「るど、いっしょいます」とそのか細い声を何度聞いただろう。


 そのうちセイディの着替えをすると言った侍女たちによって、ジェラルドは部屋から追い出された。

 ジェラルドもまた寝起きで調子が悪かったのではないかと心配をはじめ、急いで自室に戻り朝の身支度を整えると、朝食を誘うためセイディの部屋へと戻ったのだが──。


「せいでぃ、たべますしません」


 意味の伝わる言葉で、朝食は拒否された。

 ジェラルドは酷く慌てたし、使用人らも焦った。


 しかし医者が飛んで来れば、セイディは笑顔で「かーる、おはよう!」と挨拶をして、「せいでぃ、げんきです」と返したのである。


 ほっと安堵したのも束の間、医者の前でもセイディはジェラルドに対しては変わらなかった。


「では、セイディ。元気ならば食堂に移動しようか。母上たちも待っているよ」


「せいでぃ、いきます」


 おぉ、良かったと、ジェラルドがセイディに手を出すと──。


 ぷいっと顔を背けられ、セイディは手を取ってくれなかった。

 ジェラルドがショックで固まると、セイディは本日二度目のトットを呼んでいた。


「再びお呼びですね、セイディさま。セイディさまのトットが馳せ参じましたよ」


 呼べばどこでも現れる侍従トットは、悲しみに放心するジェラルドを無視し、晴れやかな笑顔を見せた。


「とっと、はせさんじまちた!」


「お上手です。今朝もよく言えましたね、セイディ様。御用がございましたでしょうか」


「とっと、いっしょたべます」


「セイディさまは朝食をご一緒にと、このトットを誘ってくださるのですね?これは光栄です。セイディさまのお誘いですから構いませんよね主さま?」


「……あぁ」


 小さな声でなんとか答えたジェラルドはさらに追い込まれていく。


「じじょちょのそふぃあいっしょたべます」


「まぁ、わたくしもよろしいのですか?嬉しいです、セイディさま」


「くれあいっしょたべます。りしゃいっしょ………へんりもいっしょたべましゅ」


 長々と続く使用人らの名に、最初は喜んでいた使用人たちもそれぞれに目を見合わせるようになった。

 各々自分の名が呼ばれたときだけは大喜びであったけれど。


「これは場所を変えましょうか主さま。今朝は大広間を使ってよろしいですね?」


「構わないが、料理は間に合うか?」


 トットは急に小声になって、早口でまくし立てる。


「この時間ですと、すでに朝食を終えた者が多くおりますし、数が多いのでセイディ様が見える限りは皆が何かしら口にしているように擬態します。もちろん主さまやセイディさま、お館さまたちにはいつもの朝食のご用意を」


「そうか。必要あれば、私の分は減らしてくれて構わない。ただしセイディの分だけは、おかわりまで確保しておくように。父上たちにも連絡を」


「御意」


 小声で急ぎ指示したジェラルドは、今度こそとセイディに微笑みかけた。


「今日は皆でパーティーとしよう、セイディ。朝から全員で食事だよ」


「……るどとたべますしません」


 意味を理解したくなかったのだろう。

 一瞬何を言われたか分からなかったジェラルドに、伝わっていないと感じたのか、セイディがもう一度力強く言う。


「せいでぃ、るどとたべましゅしましぇん!」


 怒るように言ったセイディは、侍女長に飛び付いてその胸に顔を隠してしまった。

 侍女長はセイディの背中を優しく撫でて、「まぁ、あらあら」なんて言って微笑んでいるが、今のジェラルドにはその様子も目に入らない。


「セイディ?」


「せいでぃ、そふぃあといっしょいきます」


「わ、私が嫌なのか?ルドはセイディといっしょに行きたいよ?」


「せいでぃ、そふぃあといっしょいきましゅ!」


 大きな声は、今にも泣き出しそうに揺れていて、ジェラルドは次の言葉を紡げなかった。


 それから侍女たちは、ジェラルドに冷たい視線を投げながら、セイディを部屋から連れ出していく。

 これは昨夜無体を働いたに違いないと侍女たちは思い込んだ。


 そこで医者から「お身体は問題ないと思われます。おそらくですな、あれは──」と語り掛けられた言葉を、ジェラルドは聞き逃してしまった。いや、聞けなかった。


 そうしてふらふらと歩き出したジェラルドは、廊下で蹲って落ち込んでいたというわけである。

 だからジェラルドは一人朝食を逃していた。




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