37.公爵は育児の記憶を思い出した
「想い出に浸っているところ悪いけれどね、それは後で楽しんでくれるかな?」
いい気分を害されたジェラルドは、急に目付きを変えて熱の失せた瞳で父親を見詰めた。
「されどセイディが私をきら……避けるようなことは一度もありませんでしたよ?」
決定的な言葉は使用したくないジェラルドである。
「ふむ?そうだったかな?」
「あぁ、そうだわ、レイモンド。いやいやされていたのは私たちだけだったのよ」
「そうだったかね?」
父親は疑いながら自身の記憶を探った。
番を知る者は、番ありきで記憶を刻むため、周囲のことに関しては稀に記憶違いが起きる。
「息子に嫌われた事件の再来だと泣いていたじゃない?私が慰めてあげたことを忘れちゃった?」
「それは覚えているとも。あのときも君は優しかったね」
「それはそうよ。レイモンドは特別だもの」
見つめ合う両親の前で、ジェラルドはコホンと咳をした。
一度で効かなかったので、それから大袈裟にゴホゴホゴホと咳込んでみる。
すると鬱陶しいと語る目が向けられて、そんな目で息子を見るのはやめてくれとジェラルドは両親に訴えたかったが、長い話になりそうなのでやめておいた。
「あのときも……そうか、ジェラルドは子どもに嫌われる辛さをまだ知らなかったか」
遠い目をしたあとに、もう一度妻を見て目元を緩めてから、先代公爵はそう言った。
そこでやっと思い至ったジェラルドは、頷きながら言葉を返す。
「二歳を過ぎた頃の話であれば。確かに私以外が世話をしようとすると『いや!いやいや!るどなの!るどとしゅるの!るどがいいの!』と言っては、私に抱き着いておりましたね」
とてもとても可愛かった。それはもう可愛かった。
セイディの世話は全部しようと引き取りを申し出て断られ泣いた日も懐かしい。
しかしジェラルドは首をひねる。
その頃の記憶が今朝のセイディの様子とは何ら繋がらなかったからだ。
「方向性は違うけれど感情的には似たものではないかと感じたのよ」
「つまり……どういうことです?そういう時期だから受け入れろというお話ですか?」
それはいつまで?
ジェラルドは今日のような日々があと何日も続いたら気が狂いそうだと思った。
心を安定させるために医者にまた薬を頼もうかと、ジェラルドは本気で考え始めている。
両親は渋い顔で悩むジェラルドを見て苦笑して、それから諭すように語った。
「そうね、ひとまずは冷静になって現状を受け止めることを提案するわ。セイディちゃんの自我が育っている証明だもの。本来は喜ばしいことでしょう?」
「……」
番に拒絶されたとき、両親だって平静ではいられないだろう。
そう思えば、何故息子に軽々とそのような言葉を掛けられるのかと疑問を覚え、ジェラルドは両親を訝しんだ。
「これまでも自我が育ってきている実感はあったのよね?そのときはどうだったのかしら?」
確かに自我の育ちは感じていた。
ジェラルドに世話をされているだけでは嫌がるようになって、セイディは自分で何でもするように変わっている。
だがそれはジェラルドが手を貸すことを嫌がっただけで、ジェラルド自身を拒絶したわけではない。
「そうなのよ、そこに今までと違う部分があるんだわ。ねぇ、レイモンド?」
「あぁ、はじまりが昨日の今日であることを思えば、彼の説が正しいように思うよ。そういう時期に差し掛かっていたところに、ちょうどよく今回の件が重なってしまったのだね」
二人だけが分かった顔をしていることに、ジェラルドは苛立った。
「はっきり言ってください!何が違うのです?それに彼の説とは?」
これに答えたのは母親である。
「あなたは試されたのよ、ジェラルド」
ジェラルドはガツンと頭を殴られた気持ちで、しばらくは動けなかった。
やっと動けるようになってからも頭は働かず、出てきた言葉は母親の台詞の繰り返しとなる。
「試された……?」
放心が解けたジェラルドは、すぐに駆け出そうとした。
けれども──。
「ぐぇっ」
短い声を上げ、動けなくなってしまう。
まさかの父親が伸ばした腕で、腹に強い衝撃を受けることになったからだ。
「ごほ、ごほ。父上、何をなさるのです?」
予期せぬことに受け身の取れなかったジェラルドは、涙目で腹を押さえ、よろけながら顔を上げて、父親に怒りをぶつけた。
「まだ話が終わっていないのに走り出すからだ」
「試されているのであれば、今すぐに私の意志を示しに──」
「もう遅いわよ」
母親は、今朝はいい天気ね、と伝えるときと同じ口調でそう言った。
それがかえってジェラルドの心を抉る。
「そんな……」
そこに父親が追い打ちをかけた。
「手遅れとは言わないが、君が一度失敗した事実は変わらないね。カール殿の話をちゃんと聞かない君が悪いのだからね?」
確かに今朝ジェラルドは、ショックのあまり医者のカールの話をあるところから聞き流した。
それは今朝のこと。
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