30.公爵は何度も拗ねてご機嫌を取られた
「でーと、でーと、でーと♪これ、おいしいです!」
毎日踊る声はジェラルドを喜ばせる。
しかしながらジェラルドは、単純に喜んではいられなかった。
「うふふ。ナイフとフォークの使い方も上手になったわねぇ」
「せいでぃ、じょうずになりました。でーといけますか?」
「そうねぇ、あと少し頑張れるかしら?」
「せいでぃ、がんばります」
ふんすと鼻息を荒くしたセイディは、食堂の椅子に座って、ナイフとフォークを手に、一人で食事を続けていく。
「でーとです。でーと、でーと♪」
セイディは最近よく歌った。
食事中のマナーとしてよくはないけれど、ジェラルドの両親はこれを止めない。
セイディが人の手を借りずに食事を取れるようになってきたら、今度はマナーを学びましょうという段取りになっているからだ。
「セイディ、口を拭いてあげようね」
ナフキンを持って、セイディの口を拭うジェラルドは、悲嘆に暮れた。
膝に乗せ食べさせていたあの頃が、同じスプーンを持って一緒に食べていたあの頃が……すべて遠い日々のように思えるが、流れた月日はまだ数日。
両親がこの邸にやって来てからというもの、ジェラルドはセイディとの間に距離を感じている。
「るど、これ、おいしいです!」
そんな悲しみに暮れるジェラルドを励ますように、セイディは隣に座るジェラルドに笑い掛けた。
両親は前の席に座っているし、実際の距離として遠く離れたわけではないのだが。
ジェラルドは寂しかった。
「う、うん。おいしいな」
ナイフでガチャガチャと皿に音を立て、ちまちまと柔らかいハンバーグを切り分けたのち、フォークにぶすっと刺して一口。
口回りをソースで汚したセイディは蕩けた顔で笑う。
また拭いてやらねば。
そう思って待機していたジェラルドは、この日何度目か分からない悲しみに暮れた。
「おとうしゃま、おいしいです!」
何故そこで父上なのだ……。
ジェラルドの気持ちは知ってか知らずか、いや知っているだろうが、先代公爵は破顔して。
「おぉ、おぉ、美味しいか。それは良かった。また同じものを作るように言っておこう」
「いう、るーすですか?」
「そうだね、おとうしゃまと一緒に料理長のルースに頼みにいこうか」
「せいでぃ、いっしょ、たのむ!ぷりんもつくる、です」
「うんうん、プリンも忘れないように言っておかないといけないね。おとうしゃまに任せなさい」
父親のでれでれの笑顔を、ジェラルドは冷え冷えと眺める。
両親が来てからというもの、セイディの成長は目覚ましい。
こうして一人で食事を取るし、言葉もよく覚えた。
それは両親がセイディを過剰なまでに子ども扱いしなかったからだろうということは、ジェラルドにも分かっている。
ジェラルドと使用人だけでは、セイディはいつまでも甘やかされた。
自分で成長しようという意思を示すことはあっても、少し成長してはまたそこで止まって、その繰り返しとなるはずだった。
それが今、ひとつ成功させたセイディに、両親が次の課題を与えてしまうので、セイディの成長を止める甘やかしの時間がない。
なんだか、つまらない……。
せっかく番を見付けて、十年の苦しみを埋めようと思っていたのに。
どうして邪魔が入る?それも何故両親が?
番を知っていても、番を失ったことが無い人たちには分からないのだろう。
食事中に一人拗ね始めたジェラルドを、冷え冷えと見るのはその母親だ。
「まぁ、ジェラルド。まだ拗ねているの?」
「……別に拗ねていませんが」
拗ねた顔をして返すジェラルドにも、先代公爵夫人は冷たかった。
「人の成長を喜べないなんて情けないわね。レイモンドの息子とは思えないわよ?」
さすが番を知る母親である。
たとえお腹を痛めて産んだとしても、息子より夫第一主義は変えられない。
ちなみにレイモンドとは、ジェラルドの父親の名前である。
「一緒に色んなことが出来るようになると考えなさいな。そう考えたら、喜ばしいことでしょう?」
「分かっていますとも。喜んでいないわけでもありませんし」
母親からの小言にむすっとした声で返したジェラルドの前に、セイディがハンバーグの欠片が突き刺さったフォークを差し出した。
「るど、いっしょたべる!」
迷う時間も取らず、無言のままぱくりと一口でそれを食べたジェラルド。
隣でセイディは笑い、目のまえで両親は呆れた顔を見せていた。
もうジェラルドに拗ねた様子はない。
「るど、おいち?」
「あぁ、美味しいよ。ありがとう。ルドもセイディに食べさせてあげようね」
口を開けて待つセイディは完全に鳥の雛だ。
せっかく食べ方を教えていたところだったのに。両親はそう思っていても、セイディの可愛さに負け、口を挟まない。
「おいしいです!せいでぃ、もっと食べる!」
よく食べよく遊び、すくすくとご成長なさいませ。
食堂に詰めていた使用人たちも、笑顔でセイディを見守った。
というのも、実は驚くべき事態が起きていたのだ。
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