27.裸の付き合いは心を繋ぐ
「それはね、セイディちゃん。その人が嘘吐きだっただけよ」
ぽちゃんと湯に雫が跳ね落ちた音がした。
肩まで湯に浸かり、顔を湯気に包まれたセイディは、今日から母親となった人の声に耳を澄ませる。
「そのひと、うそ……?」
あなたが親であるのは嫌だ、だって親はセイディを捨てるし、痛いことに通じている。
セイディが懸命に伝えてくれた少ない言葉からそのような主旨を受け取ったジェラルドの母親は、セイディにその考えを植え付けた人間を全否定した。
「そうよ、セイディちゃん。セイディちゃんに痛いことをしてきた酷い人はね、嘘吐きさんだったの」
「うそつきさん?」
「そうよぉ、嘘吐きさん。本当でないことを言う人をそう呼ぶの。だからもう忘れていいわ。全部嘘なのだもの」
「ぜんぶうそ」
「えぇ、全部嘘なの。私が本当のことを伝えるわね。私たちはジェラルドとセイディちゃんの親だけれど、ジェラルドのこともセイディちゃんのことも捨てないわ。それに痛いこともしない」
夫人の頭の中で、ジェラルドがおいたをしたら、それは殴られることもあるかもしれないわねぇ、なんて考えも浮かんでいたが、今のセイディに伝えても心が閉じてしまうだけだから冗談でも伝えることはない。
でもいつか笑って、娘とそんな話が出来たらいいなとは期待している。
「おかあしゃま、いたい、ないない」
「そうよ、痛い、ないないだわ。すぐに理解出来るなんて、セイディちゃんは賢い子ね。いい子だわ」
濡れた頬をふにっと撫でられ、セイディは嬉しそうに微笑んだ。
これまで部屋付きの風呂しか使って来なかったセイディは、はじめてこの大浴場にジェラルドの母親に手を引かれやって来た。
何かあったら危ないと避けられていたこの場所も、大分体力も筋力も付いてきたし、ジェラルドの母親がいれば安心だろうということでめでたく解禁となり、今日は侍女たちも下がらせて母娘水入らずの時間となる……はずだった。
「おゆ!おおきっ!じじょちょのそふぃあ、いっしょ!めあり、いっしょ!くれあ、いっしょ!……」
はじめて見る広いお風呂に大興奮のセイディは、止める間もなく側にいた侍女たちを裸の付き合いに誘ってしまった。
しかし侍女たちもさすがにそれはと、心苦しくなりながらもどう断るかと考えあぐねいているところだったのに。
先代公爵夫人があっさりと、「あらいいわね、あなたたちも入りなさい」と命じてしまったから。
侍女たちに否やはない。
そうして今、セイディを囲うようにして、女たちは湯に浸かっているのである。
「そうなのです、大奥様。うちのセイディさまはとても賢くて、それに可愛いのです!」
セイディが褒められて何故か得意気に語ったのはメアリだ。
侍女長も他の先輩侍女たちも呆れてはいたが、セイディの前だからと誰もこれを咎めなかったし、しかも心中ではメアリの意見に同意して頷いていた。
とても可愛らしいでしょう、うちのセイディさまは。
というのは、使用人一同の総意である。
「おほほ。うちの娘ですもの当然ですよ。ねぇ、セイディちゃん」
先代公爵夫人が湯浴み中も優美な微笑を損なわない姿はさすがである。
「うちのむすめ?」
「そうよ、あなたは私の娘。おかあしゃまの娘よ」
「せいでぃ、おかあしゃまのむすめ!」
しかしここで勝ち誇ったように侍女たちを見渡した先代公爵夫人の表情は、いつもより人間味溢れる自然なものだった。
まさかの侍女長のソフィアを含め、悔しそうに見える侍女たちを横目に、夫人はこの場で次々と約束を取り付けていく。
「広いお風呂は気持ちがいいでしょう、セイディちゃん。これからも一緒に入りましょうね。次は二人きりなんてどうかしら?」
「ひろいおふろ、せいでぃ、きもちっ!おかしゃま、いっしょ、はいる!」
「お喋りも上手ね。毎日おかあしゃまと沢山お話したら、もっと上手になるわよ」
「おかあしゃまと、おはなし、たくさん、しゅる!」
興奮するほど、セイディは舌が回らなくなった。
目尻が下がり完全に蕩けた夫人の瞳は、ジェラルドにそっくりで、セイディを安心させる。
「我が娘はなんて可愛いのでしょう。あなたたち、これからもよくセイディちゃんを磨いてちょうだいね」
「もちろんでございます。今後もわたくしどもにお任せくださいませ」
「そうね。あなたたちを選んで良かったわ」
満足そうに微笑んだあと、夫人は高らかに笑った。
「ほほほ。今ごろ息子が吠えているでしょうね。うふふ。知ったことですか。あの頃の我慢は忘れていなくてよ。ねぇ、ソフィア」
「覚えておりますとも。あの頃の坊ちゃまは我が子を守ろうとする母獅子のようでした」
「手を付けられなくて本当に大変だったわねぇ。でも今度こそ、好きに可愛がらせて貰うわ!ジェラルドに負けてはいられませんもの。待っていた娘!」
「まっていちゃ、むすめ!」
「きゃあ、とても可愛いですセイディさま!」
「せいでぃ、かわいいです!」
「まぁあああ」
広い浴室にきゃきゃっと笑う声が響いていた頃。
そこから大分離れたアルメスタ公爵邸の一室にて。
「何故だ。何故母上に先を越されなければならない!何故なのだ!」
母親の予想通りジェラルドが唸り声を上げていた。
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