25.記念すべき日にやって来た二人

 その日、アルメスタ公爵家の庭に拍手喝采が広がった。


 白い雲が程よく流れる、外で過ごすにちょうどいい気候のなか、芝生は定期的に降り注ぐ陽光に輝き、その周りで花々は咲き誇った。庭園の至るところにある果樹からは熟れた実のいい香りが流れてくる。

 しかし今、この庭で自然を愛でている者はない。

 皆の視線は一様に、十五歳より幼く見える少女のような女性へと注がれていた。


 その幼さを纏う小柄な女性は、誇らし気に胸を張り、上気した顔を上げると、最も近くにいるジェラルドに向けて、目を細め、歯を見せて笑っている。


「せいでぃ、できました!」


 煌めく陽光に負けない笑顔に胸を打ち抜かれながら、身悶えたい衝動を抑えてなんとか笑顔を返すジェラルドは近付いていくと頭を撫でた。


「うん、せいでぃ、上手に出来たね。素晴らしかったよ」


 セイディがついに一人で縄跳びを成功させたのだ。

 成功……それは通常考え得る成功とは少々違ったが、アルメスタ公爵家の全員がそれを成功と決めている。


 両手にロープの端を持ったセイディは、後ろから自身の頭上を越えるようにびゅんとそれを回転させて。

 そのロープは一度セイディの足元の手前、芝生の上で動きを止めた。

 その後セイディが、ぴょんと止まったロープを前に飛び越えると、その瞬間拍手は湧きおこって、それぞれセイディに称賛と成功を祝う言葉を贈ったのである。


 屋敷中の使用人たちが集まっているのではないかという程の人数に囲まれて。

 セイディはジェラルドに頭を撫でられながら、皆を見回し、また歯を見せ笑った。


「せいでぃ、できます!」


 蕩けた瞳でセイディの頭を撫で続けるジェラルドは、「できます!」ともう一度言われてやっと手を離すことにした。


「うんうん、もう一回だね」


「もういっかい、です。るど、みてて、くれます、か?」


 絵本の効果は目覚ましく、セイディは話せる言葉が増えてきた。


 言葉を覚え始めたらあっという間だと医者は言ったし、子育てを経験してきた者たちも同じように言っていたが、まさにその通りで、ジェラルドは嬉しくもありながら、最近は複雑な想いを抱えている。

 この拙さの残る可愛らしい口調があとわずかしか聞くことが出来ないと思うと、名残惜しさが募るのだ。


 そんな気持ちは隠し、ジェラルドはでれでれに融けた笑顔で、セイディのもう一回を待つ。


「もちろん、見ているとも」


 ジェラルドが距離を置くと、セイディはふんと鼻息を荒くしてロープを持ち、またびゅんとそれを回した。

 そのロープが止まってから、俯いて懸命にそれを飛び越えた瞬間、またセイディは盛大な拍手に包まれる。


「素晴らしいです、セイディさま!」


「見事な飛び方でした!」


 四方から注がれる大絶賛にセイディは胸を張ると、目を細め口角を上げてみせた。

 今度は随分と得意気に見える笑顔だ。


「せいでぃ、できました!」


「あぁ、出来たな!凄いとも!セイディは頑張った!」


「せいでぃ、がんばりまちた!」


 医者曰く、使っていなかったのだから舌も今、使える筋力が成長中だと言う。

 だからついさっき言えた言葉に詰まることもあるし、こうして発音が違うこともたびたび起こった。


 この拙さ残るセイディの言い方は、今のジェラルドにはとびきりのお気に入りで。

 セイディが堪らなく可愛く感じたジェラルドは、頬をゆるゆるに緩めて破顔すると、セイディに近付き両手でさっと抱え上げ、その場でくるりと回るのだった。


 セイディからきゃきゃっと喜ぶ声が溢れる。


 この笑い声を耳にすると、見守る使用人たちはいつもジェラルド並みに頬を緩めた。

 良かった本当に良かったと何度でも感激してしまうのは、こう近い未来に笑顔が見られるなんてセイディを迎えた当初は誰も思えなかったことだから。


 そのように感激していた使用人らに、急に動きがあった。

 セイディたちを囲む後方の使用人らから動きは広がり、やがて人垣を分けるように道が出来ている。


 その出来たばかりの道を進むのは、拍手をする二人の男女だ。


「なっ!」


 近付いてくる者たちに気付いたジェラルドは顔を引き攣らせ、セイディは知らぬ顔だと目を丸くした。


「やぁやぁ、素晴らしい縄跳びを見せて貰ったよ」


「うふふ。とても可愛らしい素敵な飛び方だったわ」


 ジェラルドは急いでトットを探すも、その姿は見えなかった。


「あいつ……」


 肝心なときに消える侍従は後で問い詰めることにして、ジェラルドはセイディを抱きながら、渋々と二人を迎え入れる挨拶をする。


「お久しぶりですね、父上、母上。お会い出来て嬉しく思いますが、急なことでお迎えする準備は整えておりませんよ」


 嫌味たっぷりに言ってはみたが、男女はにこにこと微笑みを絶やさず、ジェラルドの抱くセイディを見詰めているのだった。

 この二人こそ、ジェラルドを至極甘やかしてきた両親であり、当主を譲った今でも息子を甘やかす先代公爵夫妻である。




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