24.沈黙する公爵家
「お願いだ。どこが痛いか言ってくれ、セイディ」
ジェラルドは何も答えないセイディの背中を擦る。
しかしセイディは答えられないだけだった。
すっかりお喋りさんになったセイディは今だってジェラルドの真似をしたかったが、その顔がジェラルドの胸に押しつぶされていて口が開けなかったのだ。
「主さま、少し離れてくださいね。それではセイディさまの可愛いお声が聞かれませんよ」
ジェラルドが腕を少しだけ離せば、セイディはその隙間からトットを見上げた。
「セイディさま、いたいいたいのところをぽんぽんしてくださいますか?絵本を選ぶときと同じで大丈夫です。今はどちらがいたいでしょう?」
するとどうだ。
セイディは自分ではなくジェラルドの腕にぽんと触れたのである。
「まさか!」
「それでしょうね。大丈夫ですよ、セイディさま。すぐによくなります。それからヘンリーは間もなく窓の向こうに現れますからね。侍女長も戻ってきたらおててふりふりしてくださいますよ」
医者は筋肉痛と結論付ける。
それはそうだろう。上手く走れないセイディが急に動いたのだから。
セイディが駆けたつもりになったあの日。
セイディの両足は芝生の上で片方ずつゆっくりと高く上がるばかりだった。
腕を振る動作もなく、その手はだらりと下がったまま。
これを目撃したジェラルドをはじめ、公爵家の使用人たち、それから医者は、当初からセイディに対し持っていた考えを改めた。
セイディは元から足腰が強くなかったのではないか。
確かに最初から一人で歩けてはいたけれど。
絨毯の上で見せていた早歩きは、慣れぬふかふかの絨毯に足を取られ、身体のバランスを崩し、とととと足が前に出ていただけではなかったか。
慣れない靴だからゆっくり歩いた、その靴に慣れたから普通に歩けるように変わった。そう思われていたあれも、ジェラルドに手を引かれ歩き回っているうちに最初になかった筋力が付いたから見られた変化だったのではないか。
セイディは鉄格子のある部屋に監禁されていたわけではなかったけれど、室内の狭い範囲に閉じ込められていたことには変わりない。
素早く移動する必要性なんてどこにもなかったのだろう。
しかも周りには見張り役のじっと動かぬ大人しか存在しなかった。
赤ん坊は周りの大人たちを見て、真似て、人の所作を習得していく。
それはセイディの成長っぷりを見ていた公爵家の者たちが、実感していることだった。
だからこそ、大人たちも一緒に遊びながら、身体の成長も促しましょう。
と決まったわけで。
まずはその場で飛び跳ねる力を付けてはどうか。ついでに腕の方も。それから握力も。
一挙に鍛えられそうな縄跳びが最初の遊びとして選ばれたのだけれど。
「びゅんびゅん……ぴょんぴょん……」
セイディの切ない声が、室内に落ちていく。
「せいでぃ、今日は休もうな」
昨日はどの程度かと把握したいところもあって少々無茶をさせてみた。
次回からは筋肉痛で辛いということはない程度に、皆で上手く回数を制限していくことだろう。
「るど、いっしょぴょんぴょん!」
自分の状況をよく分かっている発言に、遠巻きに見ていた侍女長やトットは感心し、側にいるジェラルドは困惑する。
抱えて飛び跳ねてやるのはいいが。
今のままでは危ない。
「よし、セイディ。一緒にぴょんぴょんするために、今日は『しー』を覚えることにしよう」
「しー?」
「そうだ、しーだよ。しーが出来たら、ルドと一緒にぴょんぴょんしようね」
必至になってセイディに沈黙を教えるジェラルド。
「せいでぃ、しー!しー!」
ジェラルドの真似をして口を押さえても、いつまでも言葉を返してしまうセイディ。
がっくり項垂れれるジェラルドに、セイディの瞳が陰り。
「あぁ、違う。セイディ。いいんだ、そのしーも可愛いからね」
「せいでぃ、かわい!」
「あぁあ、セイディは可愛いな。可愛くて堪らない!もうずっとそのままでいてくれ!」
セイディの前で身悶えるジェラルド。
そろそろ正気に戻れと言いたい侍従は、手助けすることにした。
「主さま、震えていてもセイディさまはいつまでもぴょんぴょんを楽しめません。トットがしーをセイディさまにお見せすることにいたしましょう。ほら主さま早くトットにしーを命じてくださいな」
トットが口を押さえて無言を実演すれば、セイディはすぐにしーを理解して。
「るど、しーだ!」
「とっと、しーだ!」
「じじょちょのそふぃあ、しーだ!」
ジェラルドを真似て指差し唱えるセイディは、次々と屋敷中の者たちを黙らせていく。
おかげでこの日公爵家では、セイディの行くところすべてに静けさが伴った。
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