18.公爵は泣きたかった

 医者の発言は、タイミングが悪かった。


 侍女長と手を繋ぎ洗面所の向こうにセイディが消えたあと、確かに扉が閉じた音はした。

 この時間を逃すと、今度はセイディが眠ったあとになるため、医者は急いで話を切り出したのだ。


 それが急に扉がそーっと開かれて、驚いた三人が会話を止めてそちらを向くと、セイディが開けた扉の隙間からひょこっと顔を覗かせているではないか。


「なっ!」


 この時点でジェラルドはその可愛さに降参した。

 なのになんと、セイディは顔を覗かせたまま、ジェラルドに向けて手を振ったのだ。


「そういうことですか」


「ほぅほう、いい傾向ですな」


 ジェラルドが胸を押さえて固まっている間に、トットと医者はセイディの行動の理由を同じように解釈し、それぞれ手を振り返した。

 するとすぐにセイディが扉の向こうに隠れてしまったので、ジェラルドは忌々しそうに二人を見たが。


 なんとまた静かにそーっと扉は開き、セイディが顔を見せたのだ。


「セイディ!」


 ジェラルドが思わず叫ぶと、セイディはまた手を振った。

 ジェラルドは今度こそはと懸命に手を振り返す。


 セイディはどうやらこの遊びを気に入ってしまったようで、それから四度も顔を出しては手を振った。


 そしていよいよジェラルドが、「これはもしや共に湯浴みをしようというお誘い!そうだそうに違いない!私のいない浴室が寂しかったのだろう」と言いながら立ち上がったところで、セイディの顔が見えなくなる。

 ジェラルドは期待して立ったまま顔が出て来るときを待っていた。


 ところがその後いくら待てどもセイディは顔を見せず。

 そのうち気配は遠くなり、水の音や絵本を読み聞かせる女性の声が聞こえてくるのだった。


「さすが侍女長分かっている」


 感心して言ったトットをジェラルドは恨めしそうに睨んだ。

 そしてわぁわぁと一方的に語り出す。


「湯浴みを共にして何が悪い?手を出すとは言っていないぞ?我慢すればいいのだろう?だいたい私は日々我慢出来ているではないか?これまでの実績を見よ!寝かしつけもしているのだから、湯浴みくらいなんてことはない。確かに婚姻前だが、世話をするだけで疚しい気持ちは一切ないぞ。手を出すわけでもないのだから……だからいいではないか!」


「主さま、私はまだ何も言っておりません」


「お前は存在がうるさいのだっ!」


「存在が賑やかとは。お褒め頂きありがとうございます。これからも主さまとそしてセイディさまの明るく楽しいトットでいられるように精進しますね」


「言っていないし、褒めてもないっ!精進せんでいい!」


 ジェラルドのお小言はいつも通り聞き流して、にこにこと微笑んだトット。


「では改めまして、お医者さまからのご提案についてですが」


 ジェラルドはこの場で感動を共有しないまでも、せめて一人でたった今感じたセイディの成長に感動し打ち震える時間を欲していたが、そんな時間はないとばかりに侍従はさっさと話を戻してしまうのだった。


 色んな意味で泣けてくるジェラルドである。




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