16.料理長は泣いた
結論から言うと、その夜セイディの瞳に光が戻ることはなかったし、セイディは何も語らなかった。
しかし翌朝になると、セイディは昨日までの様子に戻っていたのだ。
「せいでぃ、いっしょたべる」
「うん、セイディ。まずは朝食からだよ」
「せいでぃ、ぷりん、いっしょたべる」
瞳が陰りそうになると、ジェラルドはいつも以上に慌てた。
「よし、今朝は特別としよう!」
そう宣言したジェラルドは、セイディにプリンを出すよう侍女長に指示する。
すると侍女長は、この日ばかりは黙って頷いた。
そうして得たプリンは、いつもより大きなサイズで、その分上に乗るクリームも増えていて、セイディは見事に瞳を輝かせる。
「いつもより大きいね、セイディ」
「ぷりん、ぷりん!」
「そうだね、二つ分あるかもしれない」
わざわざ自分でプリンを運んできた料理長のルースは、嬉しそうなセイディの様子に安堵して二人から背を向けた。
昨夜は大好きなプリンを口に入れられてもセイディが瞳を輝かせることはなく、ルースはとても心配していたのだ。
感動しやすいルースは、感極まって泣く姿をセイディに見せてはいけないと思ったのだろうが、匙を持ったセイディはプリンに夢中で、ジェラルドの手に導かれながらその口にプリンを運んだあとには、一段と瞳を輝かせるのだった。
「美味しいか、セイディ?」
ジェラルドを見上げるセイディは懸命に言う。
「せいでぃ、ぷりん、いっしょたべる!」
昨日見た小さな笑みは、見間違いではなかった。
セイディの口角がほんの僅かに上がったとき、室内はいよいよ歓喜に包まれる。
このとき部屋の中には、いつも揃う侍女長や侍女たちだけでなく、多くの料理人が集まっていた。
料理長のルースが彼らを連れて来たわけではない。彼の部下である料理人たちは朝食にかこつけて自主的に様子を見に来ていたのだ。
彼らにとってセイディが大好きなプリンを喜ばないというのは、大事件であった。
そして今日は室外にも多くの人がいる。
廊下では普段直接セイディの世話をしない侍女らがこの部屋の扉に近い床や壁、装飾品を長く磨き続けているし。
まだ早朝で仕事がないはずのあらゆる職に従事する使用人らが、廊下を頻繁に行き来した。
さらには何故か部屋の窓の向こうにも。
庭師のまとめ役の男ヘンリーを筆頭にして、その他若手の庭師たちが、樹に登ったり、壁に掛けた梯子に乗って、窓から室内の様子を窺っている。
そんな多くの人の気配にセイディは気付く様子もなく。
今朝の特別大きなプリンは人にあげたくなかったようで、黙々と食べ続けたセイディはついにプリンを食べ切った。
そして堂々と宣言する。
「せいでぃ、ぷりん、いっしょたべる」
さらにもう一言。
「じじょちょのそふぃあ、ぷりん、もうひとつ」
お代わりの催促は、ここで終わらなかった。
「るーす、ぷりん、つくる……つくるますか?」
「はいいっ!ただいますぐにっ!いくつでもっ!」
笑顔を見られたうえに名を呼ばれたルースは涙し、後ろを向いても嗚咽が漏れた。
それで気の緩んだジェラルドの瞳からも、一粒涙がこぼれ落ちる。ひとり名が呼ばれなかったせいではない。
さらに彼らにつられ庭師の若い男が「良かった良かった」と泣き始めると、直後に外から大きな音がした。
それでセイディが窓の方を見たときには、手を振るヘンリーしかその場にはいなかったのである。
朝陽を受けるヘンリーの頭皮に釘付けとなったセイディの瞳も負けずに輝き、ジェラルドの涙は一粒で終わることとなる。
「大変です。仕事が増えてしまいました。あ、彼らのことは後回しでいいですからね」
まったく大変そうに聴こえない声で、他人事のようにそう言ったのは、部屋の壁際に立つトットだ。
その横には笑顔のトットとは対照的に、同じく公爵とその番を真顔で観察し続ける医者が並び立っていた。
「まぁ、状況により連れて来てくだされ。今日は動けませんからな」
「まぁ、私も今日は動きたくないので後回しで。大丈夫、死にませんよ。それよりきっかけってひとつではないですよね?」
たった今外で起きたことをなかったことにして、トットはセイディを見たまま、医者に尋ねる。
「もしや他にも気付いたことがおありでしたか?」
医者もまた、トットを見ずに、そう答えた。
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