8.凄腕の侍女たちは磨く
庭師たちに負けてはいられないと侍女たちは奮い立つ。
話し掛けた相手がアルメスタ公爵一人だったとしても、側にいる時間の長い自分たちより先に庭師がセイディの自ら発した声を聴いたという事実は、悔しいなんてものではなかった。
あの一芝居終えたあと、セイディが話したあのときは、残念ながら侍女たちは全員退室している。
「さぁ、セイディさま。今日も美しく磨かせていただきますね」
侍女たちは、アルメスタ公爵が側を離れるこの時間に勝負を掛ける。
皆が皆、やる気に満ち溢れ、瞳がめらめらと燃えていた。
侍女長とて例外ではない。
誘導されるまま、服を脱がせて貰い、そして湯に浸かったセイディは、今日も侍女たちに囲まれる。
「本日もよく歩かれましたね。素晴らしいですわ」
「お医者さまも、まもなく毎日湯浴みをしていいと仰っていましたね」
「毎日ぴかぴかに磨いたら、セイディさまはもっと綺麗になりますよ」
「お湯加減はいかがですか?」
聞くまでもなく、とろんと落ちた瞼が、侍女たちにその心地好さを教えてくれた。
侍女たちは気付いていて、あえてアルメスタ公爵に進言していないことがある。
湯に浸かるこの時間、セイディの固く閉ざされた心が身体と共に緩んでいるように感じるのだ。
笑顔を見せるようなことはなくも、このように心身共にリラックスした状態は、心を開くとっかかりとなるのではないかと、侍女たちは期待している。
最初の頃は湯舟にも戸惑っていたセイディだったが、今では慣れたもの。
いちいち命じられなくても、「湯浴みの時間ですよ」と侍女長が伝えるだけで、セイディは自ら湯に浸かるようになっていた。
そして湯に浸かれば、優しく身体が磨かれ揉まれていくことも身体の緊張なく受け入れる。
「お肌にも張りが出てきましたね。沢山食べられるようになって偉いですよ、セイディさま」
通常使用人がお仕えする人に「偉い」なんて言うことはまず不敬だしあり得ないことだったが、今はセイディが幼い子ども扱いなので許された。
「セイディさまはずっと美しいですけれど、よく食べて、よく動いて、このように磨いていたら、これからどんどん綺麗になりますからね」
浴室に充満する香りは、セイディが選んだもの。
といっても、セイディが指差しで選んだわけではない。
セイディに香油を嗅がせて、その瞳の輝きを見極められるアルメスタ公爵が、最も反応のあった香油を選んだというわけである。
嗅覚を刺激して心を動かそうと、アルメスタ公爵邸には、国内中で生産された香油が取り揃えられ、異国の珍しい香油まで取り寄せられた。
それを侍女たちが調合して使っているので、いつも浴室は珍しい高貴な香りで包まれている。
この香りもよくセイディをリラックスさせていることを皆が願った。
「セイディさま、移動のお時間です。お願いできますか?」
部屋に隣接する浴室に湯舟が二つ並んでいるのは、この国の貴族らしい。
片方でしっかり洗って、湯舟の外で汚れを流し切り、そしてまた新しい湯に浸かる入浴法が貴族たちに好まれていた。
多くの湯を使うこの入浴法は高貴な者だけに許されたまさに贅沢の極みであるが、セイディはまだ何も知らず。
ただ言われたままに湯から出て、丁寧に掛け湯をして貰い、また湯に浸かった。
短いセイディの髪の先が、ふわりと湯に広がる。
最初は絡まって酷い状態だった髪も、短く切りそろえてからは絡まることがなくなった。
櫛で引っ掛けるだけで千切れるほど細かった髪をどう洗うかと、はじめは侍女たちも苦心したが、不思議なもので手入れを続けていると、まだすべてが生え変わったわけではないのに、丈夫な髪へと変わっていく。
老婆でもこうはならないほどがさがさに荒れた肌は、湯が沁みるのではないかと心配された。セイディは顔に出さないため、侍女たちには分からなかったからだ。
でも今では、とろんと瞼を落としながら入ってくれるので、その憂いも取っ払われた。
それに肌だって、以前とは見違えて、張りや弾力を取り戻し、年齢に見合う質に近付いている。
そして背中の傷。
セイディの背中に触れるとき、かつては侍女たちに常に緊張が走っていた。
医者の許可を得たとしても、痛々しい傷痕がセイディに今もどれほどの痛みを与えているか、彼女たちには推し量れなかったからである。
そして誰もが、ひとつでもこのような傷痕を見たことがなく、それが数えきれないほど重なる背中を前にすると、気を抜いた瞬間に涙が滲みそうになった。
だから気を引き締めて、緊張しながら、出来る限り優しく触れるという難題をこなしてしてきたが。
今はこのリラックスしていると示すセイディの瞼が、侍女たちを安心させて、他の部位と同じとまでは言わないも、浴室で磨くことはもちろん、浴室を出た後にも医者が用意した薬草入りクリームを塗り込んで軽いマッサージを行うことまで出来るようになった。
「セイディさま、お休みになって構いませんよ」
機を間違わない侍女長は、完全に腰を落としてセイディと目線が合う高さになると、にっこりと微笑んだ。
セイディの眠そうな瞼の隙間から見える瞳が、真直ぐに侍女長を捉えている。
「セイディさまを綺麗にすることは、わたくしたちのお仕事なのです。今日もセイディさまを必ずや美しくいたしますから、どうぞわたくしたちにすべてをお任せくださいね。お眠りになられましても、主さまがずっとお側についていてくださいますよ」
うつらうつらと、頭が揺れた。
もう侍女長は声を掛けない。
ところが。
「せいでぃ、きれいなる?」
なりますか?と付け足されなかったことも相まって、後で報告を受けたアルメスタ公爵は、湯浴みに付き合わなかったことをおおいに嘆いた。
嘆いたが、それはやめておきましょうと侍従のトットに止められている。
アルメスタ公爵はよく耐えているけれど、番の衝動で襲ってしまったらどうするんだという話だった。
「えぇ、綺麗になりますわ」
「そうですよ!綺麗になりますし、すでにとても綺麗ですわ!」
「そうですそうです!セイディさまはとてもお美しいのです。汚いところはひとつもございません!」
「最初からずっとセイディさまは綺麗ですよ!でももっと綺麗になりますからね!わたしたちがそうします!」
侍女長が後で窘めるほど、侍女長に続き侍女たちは声を大きく口々に返答したが、セイディはもう何も語らなかった。
眠ったセイディの身体はしっかりと侍女たちの手で支えられ、しばらくののち、まだ軽い身体は侍女たちの手で軽々と浴室から運び出され、マッサージ専用ベッドに横にされたあとも全身の肌にクリームが塗り込まれていく。
侍女たちが先ほど聞いたセイディの言葉を心の中で反芻して、視線だけで喜びを分かち合う間、セイディはずっと夢の中だった。
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