5.侍女たちが見たあの日
当然ながらセイディには侍女がついている。
まだ婚姻前ということで、番とはいえ、アルメスタ公爵は侍女たちにセイディの世話の一部を任せることにした。
食事の介助など決して譲らぬ部分は多々あるものの、着替えや入浴の世話は最初から侍女たちに一任されている。
さて、この侍女たちもはじめは大変だった。
アルメスタ公爵がセイディを抱えて邸に戻った日。
いつでもアルメスタ公爵の番を受け入れる準備を整えてきた彼女たちは、汚れた服から覗くがりがりの手足、服だけでなく肌や髪までも汚れた状態に驚愕していたものの、それを表情に出すことはなく、淡々と仕事に従事した。
しかしそれも最初のうちだけとなる。
まずは身体を綺麗にしようと、アルメスタ公爵からセイディの入浴と着替えを託された侍女たちの多くが、すぐに感情を示してしまった。
「お召し物をお預かりしたく、お手伝いしてもよろしいでしょうか」
そう声を掛けたのは侍女長で、セイディはこれに反応を示さず、侍女長は言葉を変えた。
「湯殿にご案内したいのです。お洋服をお預かりしても?」
それでもまだセイディが反応を示さなかったので。
「湯浴みのご用意がございます。服を脱がせてよろしいですか」
当時の侍女長として最も端的な言葉を選び伝えると、セイディは返事をせずに自分で服を脱ぎ始めた。
急なことに驚いた侍女長は、しばしセイディがすることを見守ることにする。
すでにセイディが、通常の状態にないことは分かり、その状況をいち早く把握したかったからだ。
汚れがなければおそらくは色のない簡素な一枚布のワンピースを腕から抜いたセイディは、それをくるくると丸めてお腹に抱えると、今度は何を思ったか、きょろきょろと顔を動かして、辺りを探った。
ここですでに一人の侍女が露わになったセイディの痩せ細った身体に衝撃を受けて、声を出してしまっている。
他の侍女たちは声を出さずに済ませていたが、周りを囲む同じ装いをした女性たちが表情乏しく自分を見守っている環境は、今考えればそれは恐ろしかったのではないか。
手厚い歓迎を示すためとはいえ、本当にセイディのためを想うなら、自分一人で世話をすれば十分だった。
それもまた今だからこそ、侍女長がおおいに反省している点だ。
その後、侍女たちから何の声も掛からないと分かると、セイディは片足を上げた。
何事かと侍女たちが固唾をのんで見守るも、セイディはその上げた足を一歩前に進めると、今度はまた片足を膝を折るようにして大袈裟に高く上げて見せたのである。
それから同じ動作によるぴょこぴょことした不審な動きが続き、侍女たちの視線を一斉に集めながら、セイディは洗面所に向かって歩みを進めた。
まさに誘導しようとした場所に向かうセイディに、侍女たちは道を開けてこれを見守っていたのだが。
その先でついにほとんどの侍女たちの堰き止めていた感情が決壊してしまう。
セイディは洗面所の大理石の床に両足をつくと、丸めた服を抱えたまま、すとんと腰を下ろして蹲ったのだ。
侍女たちはもう耐えられなかった。
さぁどうぞ、と向けられた背中に、嗚咽を漏らし涙する侍女まで現れる。
侍女長は泣きこそしなかったものの、目をぎゅっと閉じてから立ち直るまでには多少の時間が掛かった。
それでもこの場で最も早く冷静になると、泣いてどうにもならない侍女は下がらせて、残る侍女たちに指示を飛ばした。
「わたくしどもはあなた様を害しません」
侍女長はセイディに駆け寄り自身も腰を下ろすと、その肩にガウンを掛けながらそう言った。
セイディの身体がびくりとも揺れなかったことにショックを受けながらも、侍女長は言葉を変えて、当時出来得る限りの優しい声を掛けていく。
「わたくしはあなたを傷付けません。どうかお顔を上げてくださいませ。大丈夫ですからね」
部屋の外の廊下で待っていたアルメスタ公爵は、当然すぐに現れて、セイディの様子を見ては絶句した。
このときアルメスタ公爵の感覚から、番の本能も吹き飛んでいる。
橙、赤、青、紫まで。
時間経過の様々な傷が埋める背中を見せて、蹲る彼女。
やっと正気に戻った──はたして本当に正気だったかどうかは怪しい──アルメスタ公爵は、すぐに侍女長が肩に掛けたガウンで包むようにして、セイディを持ち上げた。
まだこのときは、捕えた者たちの調査が進んでいなかったために、セイディが命じればその通りにする、ということを誰も知らなかったのである。
医者が来るまで、アルメスタ公爵はセイディを抱え離さなかった。
ちなみにこのとき呼ばれた医者は、あの老齢の医者ではなく、すぐに呼び出せる王都の若い医者で、あるまじきことにこの医者までもセイディを診て涙を流してしまっている。
あれから何度、アルメスタ公爵家でセイディの対応についての緊急会議が開かれたか。
数日の間は、侍女たちの中には泣かずに仕事が出来ない者もいた。
公爵家ともなれば使用人たちも出自のいいものばかり。
若い娘があのように傷だらけの姿で蹲る様子は、清らかに生きてきた彼女たちの心を深く傷付けてしまったのだ。
それでもどの侍女も辞めることはなく、今では泣かずに仕事が出来るようになっている。
むしろあのとき受けた傷が心にあるからこそ。
「セイディさま。今日はとてもいいお天気ですから窓を開けますね。気持ちがいい風が入りますよ~」
通常、使用人が仕える者の名を呼ぶことはない。
当然、用件もなく、聞かれてもいないことを話す使用人などアルメスタ公爵邸にかつてはいなかった。
使用人たちは、あの日から変わったのだ。
それぞれ読み込む育児書の内容も参考にされて、沢山名を呼び、話し掛けて、笑顔を見せて、皆がそのようにセイディに接している。
ひとえにセイディに心から笑って貰いたいから。
それはもう使用人一丸となる願いだった。
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