第63話 王立学園編4

 ウェスタンノルンには一日では到達できなかった。

 僕らは野営を挟み、二日かけてウェスタンノルンの門をくぐった。

 基本的に野営は危険だが、ノルンの近辺は頻繁に東辺境伯軍が巡回するため、比較的治安が良い。野盗や魔物もどきの出現も他所に比べれば少ない。

 実際、この二日間で僕らはそのどちらにも出会うことはなかった。


 問題はウェスタンノルンのさらに北西方面である。


 この地域は王族領と東辺境伯領のどちらからも距離がある上、都市も少ない。さらに山を越える必要があるため、道も非常に険しい。

 無論、このような地域の整備が隅々まで行き届いているはずもない。


 馬車はより一層揺れるだろうし、一日で移動できる距離も短くなるだろう。

 都市間も遠いため、野営も間違いなく増える。それに伴って危険な目に合う可能性も高くなる。


 特に問題なのは夜だ。

 ある程度戦えるようになったとはいっても、寝込みを襲われたら流石に僕らだってどうしようもない。

 だから野営の際、僕とシラユキのどちらかは夜の番をしないといけなかった。

 

 これが非常に厳しい。

 2人だけで24時間全方位を警戒しなければならない状況。それに伴う疲労、心労は並大抵のものではない。

 それが何日も続くのである。想像するだけで頭が痛くなってくる。

 

 シラユキ以外の味方がいない。その弊害を僕は痛烈に感じていた。


 僕がそんな風に悩んでいると、翡翠の風が僕を小突いた。

 精霊術が伝える来訪者の存在。

 青の少女アイがふらーっと古宿の扉に向かって飛んでいく。

 少しの間をおいて、部屋に外套を羽織った少女――シラユキが入ってきた。

 

 「ご主人様、明日の準備は整いました」

 「お疲れ様、シラユキ」


 僕が労いの言葉をかけると、シラユキの真っ白な狐耳がぴくぴくと震えた。


 ウェスタンノルンについたあと、僕はシラユキに宿の確保と旅の準備を頼んでいた。


 基本的に僕は人と接することができない。なぜなら、比較的慣れているはずの侍女や近衛軍の兵たちでさえ、僕の目を見るだけ、会話すらままならなくなることがあるのだ。それなのに、普段見慣れない市民はどうなるのか。正直想像がつかない。皆が皆、奴隷商会のドーベルドのような対応をしてくれるはずはないのだから。


 そういうわけで。

 この宿の確保しかり。旅の買い出ししかり。

 外部で人と接するのはおのずとシラユキの役割となっていた。

 

 この国では、獣人族という存在は広く受け入れられているわけではない。差別はあるし、基本的に嫌われている存在ではある。

 だが、僕よりはよっぽど知られた存在ではあるし、なにより貴族の奴隷であればそう邪険にはされない。


 「大丈夫だった?」

 「はい。値段を吊り上げた愚か者もおりましたが……」

 

 そう言いながら、彼女は買いだししてきたものを順番に僕へと見せてくれる。


 日持ちする追加の食料。いくつか武器も念のため買ったようだった。

 

 「予備の馬とある程度の餌、水も購入しました。王国銀貨2枚程度で事足りました」

 「それは良かった」


 王国銀貨2枚程度というと、一般庶民の年収くらいの額である。わりと大金ではあるのだが、馬まで手に入ってこれくらいならだいぶ安く上がった方だと思う。

 

 「残りはどれくらい?」

 「……銀貨8枚、銅貨7枚、大鉄貨5枚、鉄貨3枚――占めて80753ルアンです。ここからまだまだかかりますし、道中で足りなくなる可能性もありますね……」

 

 この国の貨幣は基本的には4種類。鉄貨一枚を一ルアンとして、銅貨、銀貨、金貨と価値が高くなっていく。

 硬貨百枚で上の金属貨幣1枚分である。つまり鉄貨百枚で銅貨1枚分。銅貨百枚で銀貨1枚分の価値というわけだ。

 また通常貨幣より少し大きい大貨幣があり、それは通常貨幣十枚分の価値となっている。例えば銅貨十枚なら大銅貨。銀貨十枚なら大銀貨というわけである。

 

 このようにルーフレイム王国には数種類の貨幣が存在する。一方で、一般的にこの国で流通している最高額貨幣は銀貨が主流であった。

 

 というのも、銀貨1枚~2枚程度で1年の生活が完結する庶民の間で金貨が流通することは少ないからだ。

 そのためこの国では、国家や領主単位のお金の流れを除き、基本的に金貨は使いづらい貨幣だったりする。

 

 さて。ともかく、旅の準備はできた。


 相変わらずクソ親父が寄こしてきた監視の目は途切れていない。おそらく、この後の旅もずっと付いてくるつもりなのだろう。

 

 (どうしたものか……)


 特に魔物もどきや野盗に襲われた時の対処に困るのだ。

 少しは剣で応戦してもいいとは思うけど、精霊術を使った身体能力補助の術を使うと流石に監視の奴らも勘付くだろう。王族辺境訪問の時は幸いにも精霊術の存在はバレなかったわけだが、今回はどうなるかわからない。

 となると、精霊術無しで戦わなければ僕の能力がバレてしまうわけだ。

 現状維持のためにはできることならそれは避けたい。

 

 僕は自分の手を見る。剣を握り続けていたからか、硬い皮膚と手だこが混じった手だ。

 だが、まだ子供の手である。

 野盗や魔物もどきとの戦闘に関しては、僕の身体能力だけでは少々心もとないのが本音だった。


 (戦闘の大部分はシラユキに任せないといけないか……)


 耳をひくひくとさせているシラユキを横目に僕は小さく息を吐いた。

 

 せめて索敵だけでも頑張ろう。


 「明日も早いし、そろそろ寝ようか」

 「はい。そう致しましょう」


 夜が更ける。

 宿も完全に安全というわけではないから、シラユキと交代での夜の番である。

 不快な視線は消えることなく僕らを射抜いている。


 なるようにならぬもどかしさを感じながら、僕らの長い夜が始まったのだった。

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金眼の精霊術師 @kotori5

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