第62話 王立学園編3

 出発の日はすぐに来た。


 本家の離れに押し込められた僕は、ほとんど本家の人間に出会うことなく、その日を迎えた。

 

 コルネリア達にも会うことができなかった。


 以前にもまして、本家の人間の僕に対する警戒心が強いのだ。彼らは僕とコルネリア達の接触を好ましく思っていない。

 クソ親父アーノルドの指示もあるのだろうけど、それにしても僕への監視の目が厳しかったように思う。


 精霊術を使えば、コルネリア達に無理やり会うことも可能だったけど、それはやめておいた。

 コルネリア達に迷惑をかけたくなかったから。


 それにしばらく会っていなかったからだろうか。彼女達と顔を合わせるのがなんとなく怖かった。

 代わりに手紙だけ部屋に忍ばせておいたけど、一度くらいは会いに行った方が良かっただろうか……?


 若干の後悔。それを振り払うように、僕はシラユキと共に本家の裏門へと向かった。

 

 そこには2頭の馬と1台の質素な馬車が停まっていた。


 それはあからさまに古い馬車だった。少し変色した木材。金属部品の除ききれなかった錆び付きが目に付く。文字通り、倉庫の奥から引っ張り出してきたような代物であった。


 ノルザンディ家が保有する馬車はもっとあったはずだけど、僕には使いたくなかったのだろう。

 ましてや行事絡みの移動でもなく、急ぎの移動でもない。僕に最新式の馬車を使わせる理由もクソ親父アーノルドにはないだろうから、この待遇はさもありなんである。

 

 むしろ馬車の用意をしてくれるだけまし、と考えるべきだろうか。


 ……いや、僕が乗り合い馬車なんて使ったら大騒ぎだろうから、馬車の用意くらいはしてくれるか……。


 僕は大きなため息をついた。

 

 ちなみに用意された馬車はこれ一台のみ。御者もいなければ、護衛もいないので、僕とシラユキの二人旅となる。

 ノルンから王都までは緩行で行くと、短くとも半月以上は時間がかかる。10歳ころの子供2人に護衛なしでの長旅である。無論のことながら、これは普通の事ではない。


 都市間を繋ぐ道は基本的に危険である。場所にもよるが、魔物(もどき)や野盗が多く潜んでいるのだ。故にこの国において、護衛の無い旅などまずありえない。ましてや10歳前半の子供だけでの旅など無謀であり、まさしく言外に「死ね」と告げているに等しい凶行であった。

 

 仮にも自分の息子に対する仕打ちとしてはあまりにも狂っている。

 だが、僕は理解していた。

 

 クソ親父アーノルドが、何も考えなしで僕らに二人旅をさせようとしているわけではないことを。

 

 「…………はぁ」


 深緑の光が運ぶ、緩やかな風。緑の少女スイの魔力がもたらす奇跡が、僕に周囲の状況を教えてくれる。

 四方を囲む不快な視線。五感に優れたシラユキも気が付いているのだろう。不快そうに耳を震わせていた。

 

 彼らはクソ親父アーノルドが僕らにあてがった監視者である。

 僕が王族辺境訪問から帰ってきてからというもの、彼らは四六時中僕らの周りをうろついていた。

 イースタンノルンの屋敷でも、ここに来るまでの道中も、この屋敷に来てからも。

 常に僕らには監視の目があった。


 クソ親父アーノルドの思惑はわかりやすい。

 

 それは――僕の能力を探ること。

 

 王族辺境訪問は戦地となった。死者も怪我人も出た。王女も危機に晒された。

 だが、僕は生き残った。あまつさえ、アリシアを助けたという勲章まで引っ提げて。

 

 故に、クソ親父アーノルドの僕への評価――少々小賢しいが、魔術が使えない忌み子――に変化が生まれた。

 今の僕は、得体のしれない力を持っているかもしれない忌み子。そうクソ親父アーノルドに認識されているのだ。


 僕が馬脚を現すその時を今か今かと彼らは待っている。

 魔力を認識できない彼らに精霊術の存在を見抜けるとは僕には到底思えなかったけれど。ずーっと監視されているのは不愉快な上、それなりに気を使っていた。

 闇の精霊術で幻惑したり、風の精霊術もなるべく自然な風が吹くように調整したり。精霊術の存在を悟られないよう、僕は立ち回っていた。これが結構面倒くさかった。

 

 彼らの視線に気が付かないふりをしながら、僕は馬車へと乗り込んだ。

 いつものように僕らを見張る彼らの視線は、今日という日になってもいつもと変わっていない。おそらくこの旅の間もずっと付きまとうのだろう。

 

 馬車に乗り込むと、空気に混じるカビの臭いが鼻腔に刺さった。思わず手で扇ぐと、その動きに合わせて翡翠の風が吹いた。

 荷台の後部にはすでに多くの荷物が載せられていた。長旅に必須な食糧や飲料水などが積んであるのだ。荷台の大部分が荷物によって占められているため、人が座れる空間は非常に狭かった。僕は自分の荷物を置くと、そこに座り込んだ。


 「ご主人様、大丈夫ですか?」

 「うん、大丈夫だよ」


 御者台に乗り込んだシラユキが僕に声をかけてくれる。

 乗り心地は悪いけど、背に腹は代えられない。

 空を飛んで移動したりしたら流石に僕の能力がばれてしまう。少しの時間なら闇の精霊術の幻惑でどうにかなるだろうけど、流石に半月の間誤魔化すのは難しそうだ。


 ――コツコツ、コツコツ。

 

 シラユキの指示で馬車が動き出す。蹄鉄と石畳が奏でるリズム。それに伴って荷台が大きく揺れる。それは今まで乗ってきた馬車ではありえなかった強烈な振動。馬車が進むごとに僕の臀部を衝撃が通り抜けていく。


 これは……。


 僕は察してしまう。旧式の馬車の弊害を。

 

 「……懸架装置サスペンション、死んでる……」


 前途多難な旅になりそうであった。



 

 ――――――――――

 



 道中はつつがなく進んでいた。

 

 王都までの道のりは長い。王都とノルンの中間に位置する都市をいくつも経由する必要がある。


 まず僕らが目指すのはノルンの西に位置する都市。ウェスタンノルンである。東辺境伯の都市の中では3番目に大きい都市であった。

 そこからさらに北西を目指し、いくつかの小都市を経て王家直轄領へと向かうことになる。

 都市では、その都度足りない食糧の補充、鞍馬の休憩あるいは交換をして、次の移動に備える必要がある。そして、その費用は既に渡されていた。

 

 窓に映る景色はゆっくりと動いていた。

 行軍の際に速度には遠く及ばない遅遅とした歩み。だが、伴う揺れはあの時をゆうに超えていた。

 それでも、僕の想定よりはずっと快適である。

 なぜなら、道が比較的整備されてたから。これは東辺境伯の中心都市である、ノルンに通じる道だからだろう。


 あとは暫く手持無沙汰な時間が続くのみ。

 

 「さて、と」


 暇な時間にすることと言えば、もちろん決まっている。

 それは――精霊術の訓練である。


 先ほどから途絶えることなく続くも、馬車の中までは見えていないようだし。ちょうど良い。

 僕は一定の距離を保って付いてくる乗り合い馬車――を装ったノルザンディ家の馬車を認識しつつ。


 いそいそと一冊の本を取り出した。

 

 それは両手で抱えるほどに分厚く大きい本。さしたる荷物がない僕ではあったが、この本と贈り物である直剣トワイライトとペンダントは最優先で持ってきていた。


 本の表紙には何も書かれていなかった。それでも一目見れば、その本が非常に古いものであることが僕にはわかった。なめした革の質感も相応の年季が入っている。一方で、不思議なことに、その本は新品のような艶やかさが同居していた。森林を思わせる爽やかな香りも相まってか、どうにも感覚が狂う。


 相反する属性が内包された本からは、仄かに魔力の蠢きが垣間見えた。


 これはルディがくれた精霊術の本である。

 僕が出立する前日に、彼女はこの本を渡しに来てくれた。なんでも、暫く面と向かって教えられなさそうだから、とのこと。

 前回出会った時に急にいなくなったのは、どうやらこの本を用意するためだったらしい。

 

 本を開くと、様々な色の魔力の残滓が宙を舞った。綴られている文字の全ては精霊術の言語。金の眼が映し出すその文字は、時折淡く輝いていた。


 「……っ」

 

 僕は言葉を失っていた。

 肌をなぞる魔力の膨大さ。まるで本そのものが命を持っているかのような圧倒的な存在感。

 腕に納まるはずの本が非常に大きく見える。その重圧に全身が震えた。

 

 ルディは言っていた。万物には魔力が宿ると。どんなものであれ、魔力を持っている。それがこの世界の理であると。

 年月を重ねれば、万物は膨大な魔力を宿す。それは話としては知っていた。


 だが、まさかここまでの物が実際に存在するとは……。

 

 なんて恐ろしい本をルディは持っているんだろう。僕は戦慄していた。


 「……あ、あの、ご主人様?」


 おずおずと、シラユキが僕に話しかけてきた、外套で姿を隠しているが、彼女が不安を感じているのがわかる。

 どうやら、本の魔力を感じ取ったらしい。シラユキは精霊の姿は見えなくとも、その存在を感じ取ることができる。

 それは魔力に関しても同様だった。


 「ごめん。ちょっとルディからの贈り物を開けていてね。すぐに閉じるよ」

 「そう、ですか。急に寒気がしましたので、ついお声がけをしてしまいました」

 

 シラユキは「失礼しました」と頭を下げると、再び前方を向いた。


 僕は急いで本をめくる。そして僕は気が付いた。その文字の1つ1つが、すべて手書きであるということを。

 そして、それがルディのものであるということにも。

 

 この本は彼女が長年の間書き連ねてきた努力の結晶なのだ。

 それを僕に預けてくれたという事実。自然と気が引き締まる思いがした。


 (……大切に使わせてもらおう)


 昼下がりの道中。まだ、旅は始まったばかりである。

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