幕間2 疑われし者ども

 アリシア・ヴィターラ・サン・ルーフレイム。


 英雄の後継という大きな称号と共に、名が知れ渡たっている彼女はこの国において象徴とならなければならない。

 すなわち、アリシアには民が思う英雄という偶像をその身に背負う宿命があった。

 その理想像は穢れることなく、ひたすらに高潔でなければならない。


 それが、民が考える英雄である。


 故に。

 王国と教会は事件――第三王女殺人未遂を隠ぺいした。

 

 英雄は危機に陥ってはならない。何よりも、同じ金眼に救われるなど、あってはならないのだから。


 しかし、事件の存在を隠したところで、事件が起こったことには変わりない。

 

 一部の貴族は事件の全容を知っているし。

 実際に関わった人たちはもちろんその存在を知っている。

 王国と教会の厳重な箝口令によって口は噤んでいるだけ。ただそれだけなのだから。


 それに事件は隠せても、解決はしていなかった。


 ルーカス、愚者の果てナーレリア、謎の魔術師たち。

 確かに実行犯は捕まった。

 しかし、往々にしてその裏には黒幕がいるものである。

 

 事前に計画されていた護衛経路を、正確に狙った犯行だったのもあっただろう。

 

 王国と教会は内部の裏切りを強く疑っていた。


 そして、その疑いをかけられた者たちは――。




 



 東辺境伯領第一都市ノルン。

 

 本が積み上げられた書斎。

 東辺境伯アーノルド・ドライ・フォン・ノルザンディは木机に肘をついて、険しい顔で書類を睨みつけていた。

 

 書類の内容は王国調査団の派遣に関するものだった。

 

 東辺境伯領地内で第三王女が殺されかけるという大事件が起こったための、王国の対応である。

 

 アーノルドは苛立ちを隠しきれなかった。

 事件の調査ならば東辺境伯領の人材でも十分可能である。

 それなのに、王国から直轄の調査団が来る理由。


 それすなわち。アーノルドが信用されていないということなのだから。


 下手人のうちの高位魔術師たち。彼らは他国――特に南方の小国群と南東のエッタ聖公国――から来たと考えられている。

 いずれの国家も東辺境伯領に比較的近く、アーノルドであれば容易に手引きができるだろう。

 つまり、書面に書かれているわけではないが、王族たちはアーノルドの裏切りを疑っているのだ。


 アーノルドは、それが非常に不愉快だった。

 

 アーノルドとしては、王女を殺す理由など欠片もない。

 アーノルドの目標は自領の発展だ。王族に権力を取られすぎず、かつ、恒久的に自国領を豊かにする。

 王女の殺害はどう考えてもその妨げになる。やる理由などない。


 「…………くそが」

 

 アーノルドの目が書類の一点で止まる。それは、調査団の派遣に際しての費用の概算であった。

 王族辺境訪問ほどではないが、それなりの額だ。アーノルドの目が鋭くなる。

 

 というのも。

 なんと、王族調査団の調査費用、遠征費用は東辺境伯持ちこちらもちなのである。

 

 ただでさえ疑われていることが不快なのに、金まで取られるとなればそれはもう不機嫌にもなるというものである。

 

 だが、疑いを晴らすというのは存外に面倒なことだ。相手が王族ともなれば、なおさら慎重な対応が必要となる。

 だから、甘んじて相手の要求を呑む。それしか、アーノルドに取れる選択はなかった。

 

 なんとももどかしいが、どうにもならないのが現状だった。

 

 自領内で王女が死ななかっただけでも、まだ良かったといえるだろう。もし、彼女が死んでいたら、調査団の派遣なんて生ぬるいものではなかったかもしれない。自分の命すら危うかっただろう。

 

 そこまで考えて、アーノルドはますます渋面を深くした。

 なぜなら、王女が死ななかったのは、彼が最も嫌う人物の功績が大きかったのだから。


 「まさか、アレに助けられるとは、な……」


 アーノルドが苦々しく呟いた。


 あの忌み子がいたおかげで、どうにか今のアーノルドがある。

 殺そうとしていた者に救われる感覚。なんとも複雑な感情がアーノルドの中には渦巻いていた。


 そもそもの話。

 今回の事件においてアーノルドはあまりにも後手だった。特に襲撃を察知できなかったのは手痛かった。


 本来ならば、今回の戦いは完全な負け戦である。

 戦いにとって情報は重要だ。襲撃を知っていれば、対処のしようはあったが、知らなければそれも叶わない。

 前代未聞の大嵐も、アーノルドにとっては不運だった。

 天候不良のせいで、援軍も間に合わなかったという話をアーノルドは聞いていた。

 

 事前の情報戦に負けたアーノルドは舞台に上がることもできず、事件をただ傍観する形となってしまった。

 アーノルドが考えていた計画――王女を生かし、忌み子だけを殺す計画――もすべてが水の泡となった。


 結果として、最悪の事態を避けられたのも、全てはアーノルドの思考外の出来事に助けられたからだ。

 

 謎の魔術師の援護。そして、グレイズラッドの奮闘。

 幸運であると同時に不運でもある。

 特に忌み子の活躍は、アーノルドにとって忌々しいものだった。


 アーノルドは再び嘆息した。

 

 その時。

 

 ――コンコン。


 書斎の扉を叩く音がした。アーノルドが視線を向ける。


 「……来たか。入れ」

 「失礼いたします」


 アーノルドの低い声に促されて、一人の男が書斎へと足を踏み入れる。

 執事服に身を包んだ男――ヨーナスは一礼をすると、アーノルドの前で礼をした。

 ヨーナスが顔を上げるのを待って、アーノルドは口を開いた。

 

 「……村の様子はどうだ?」


 アーノルドの言葉に、ヨーナスの顔が歪んだ。

 

 「……報告の通り、ミッテ村は崩壊しておりました。原型はありません。おそらく、村人も……」

 「……報告書を見た時は目を疑ったが、やはり間違いないのか」

 「ええ。この目でしかと、確認いたしました」

 「お前が言うなら、そうなんだろうな……」


 アーノルドはそう言いながら、自身の目元を揉んだ。


 王族辺境訪問の最中、アーノルドへと届いた情報はどれもが彼の想定を超えていた。その中でも、にわかに信じがたかった情報の1つが、ミッテ村消滅の報である。

 

 ミッテ村は前線基地<フロンミュール>とノルンの間に位置する村だ。平原に位置する上、川沿いではないため、家々を押し流すほどの水害は起こりづらい。仮に暴風に煽られたとて、村人が全滅するというのは非常に不可解である。何よりもそれほどの颶風ぐふうならば、ミッテ村近辺の村も同様の被害でなければおかしい。


 あの一帯でミッテ村だけが完全に消失している。明らかに異常な現象だが、それを解明する手立ては今のところ見つかっていない。

 そして今後もわかることはないのだろう。アーノルドは諦めにも似た境地にいた。

 そんな彼を静かに見つめていたヨーナスが、思い出したように口を開いた。

 

 「アーノルド様」

 「……なんだ」

 「その、例の捕まっていた彼らの事なのですが……、口添えで無事に釈放されたようです」

 「……ああ。あのアホ共か」

 

 アーノルドの声には力がなかった。投げやりに、ヨーナスへと言葉を返す。


 「奴隷にバレて捕まる諜報員なぞ本当なら首にしたい所だが……、生憎人材不足だからな。……もっとちゃんと鍛え直せ」

 「……承知しました」


 そしてアーノルドは再び書類へと視線を向ける。

 話が終わったと察したヨーナスが静かに退出した。


 窓辺から差し込む日の光とは対照的に、アーノルドの心中は暗い。

 王族辺境訪問の後に、アーノルドが得たものは、負債と忌み子の功績のみ。

 その功績も、元神殿騎士団テンプル・シュバリエの剣豪であるルーカスを撃退するという極めて大きなものだ。

 アーノルドにとって、グレイズラッドがあの年でルーカスを撃退できるというのがにわかには信じがたいことだった。だが、もし本当なら、あの忌み子の脅威はあまりにも大きなものとなる。


 グレイズラッドを表に出さずに、周囲の気が向かぬうちに処分しようと考えていたアーノルドにとって、この状況は完全な向かい風だった。

 ただでさえ、子供不殺の教義があるというのに。さらに手を出しづらくなってしまった。

 

 「……ああ、失敗したな」

 

 アーノルドの憂鬱は、晴れることはなく。

 暗澹たる気持ちのまま、アーノルドは今後のことを考え続けるのだった。

 






 英雄教教会直轄都市――エアロス。

 それは王都ルーデシアの南方に位置する宗教都市であり英雄教の聖地と呼ばれる場所。

 英雄教の最高権力者たる大司教の他、4司教や祭司、助祭といった祭事を執り行うことができる教徒の本拠地であり、多くの信徒にとっての里となっていた。


 エアロスの中央に位置する巨大な本教会の近く。

 そこには修道院と呼ばれる施設がある。

 敬虔な信者が祭司――修道女や修道士を目指し修行に励む場所である。

 

 そんな修道院の一室。

 そこに4司祭の一人――ヘンドリータ・パーストレ・ベレトラムはいた。

 

 木椅子に腰かけた彼の表情は暗い。

 それもそうだろう。

 なぜなら、彼が望んでいた王女の死。そのための計画が失敗に終わったということを知ったのだから。

 それも、もう一人の金眼。忌み子の手によって。


 ヘンドリータは唇を噛んだ。


 彼にとって計画の成功は既定事項だった。

 なにより、失敗する要素はないはずだった。

 不可解だったのは情報が漏れていたことくらいだが、それでも王女を襲う者が増えただけで計画に差し障りはないはずだった。


 ただただ、想定外がいたのだ。

 忌み子。グレイズラッドという想定外が。


 「10歳のガキがルーカスを倒す、ですか。本来ならば世迷い事と笑うべきなのでしょうが……」


 ヘンドリータは思い出す。聖金騎士団サンオーレ・シュバリエの面々が、口を揃えて忌み子が救った話す様子を。そして、忌み子を褒めるアリシアの姿を。

 あの場で報告を聞いていた者は皆困惑していた。ヴァレンティン現国王ですらそうだった。

 唯一大司祭だけが、一切の動揺を見せていなかった。

 

 10歳でルーカスを倒す存在。ヘンドリータはその危険性を再認識していた。だからこそ、今回仕留められなかったことを歯がゆく思っていた。

 事件が起こったことで周囲の警戒は増す。特に王女は殺しづらくなっただろう。忌み子はそもそもルーカスを退ける力を持つという。本当かどうかはわからないが、もしそうなら、殺す難度は跳ね上がる。ルーカスはそれほどの存在だ。


 あの異様な聖金騎士団サンオーレ・シュバリエを見ていると、忌み子の実力は少々疑わしい部分もある。ヘンドリータとしては、そうであってほしいと願うばかりである。


 ――もっとも、暫くは手をだせそうにないのだが。


 (隠していた戦力は潰されたのはかなりの痛手……。貴重な<神具>も1つ使ってしまいましたし……)


 ヘンドリータは王国と教会に内通者の可能性ありと疑われている。

 ルーカスを騎士団長に推薦していたことが少々問題となっているようだ。

 もっとも、ヴァレンティン王も彼を団長に指名していたため、双方痛み分けのような形になっている。

 大司祭の仲裁もあって、互いにあまり追及しないことになったのである。


 だが、実情は違う。

 ヴァレンティン王と違い、ヘンドリータは本気で疑われている。

 

 ほとぼりが冷めるまではあまり表に出ない方が良いでしょうね、そう言って大司祭はヘンドリータに修道院の一室をあてがった。

 一見、親切心によるものだと思うが、実は違う。

 

 これは監視だ。

 他国とのやり取りをしていないか。おかしな奴らとつるんでいないか。それを見張るために、ヘンドリータの行動を制限している。

 ヘンドリータを一番疑っているのは間違いなく大司祭だった。

 故にヘンドリータは動けない。第一王子とも連絡が取れなくなってしまっていた。


 金眼を滅するには王族側の協力者が必要だ。第一王子には潔白であってもらわなければならない。

 今はヘンドリータが泥をかぶる期間なのだ。下手に繋がりを見せるのはまずい。ヘンドリータはそれを理解していた。


 焦らずとも問題はない。失敗の1つや2つは付きものなのだから。最終的にヘンドリータ側が勝てれば、それで問題はない。

 

 一方で懸念もある。

 ヘンドリータにとって最も大きな心配は、襲撃の情報を事前に察知していた存在である。


 その者はどうやら、情報を掴みながらもヘンドリータ達を晒上げることはしなかったらしい。

 現時点でヘンドリータが司祭の座に居座り続けているのがその証拠である。

 

 弱みを握られ続けているという不快感。相手はこちらを知っているのに、ヘンドリータは相手を知らない。何よりも、相手の狙いが何一つとしてわからない。

 それがヘンドリータにとって、非常に居心地が悪かった。


 「…………」

 

 静寂の中で、心を落ち着ける。

 ヘンドリータは心の中で、神に祈る。

 彼の信じる教義において、偶像の崇拝は禁じられているが、心の中で祈ることはなんら問題ではない。

 

 心の中で祝詞を唱えたヘンドリータは気が付く。

 

 部屋の扉。その隙間に便箋が挟まっていることに。


 ヘンドリータは急いでそれを引き抜くと、封を切った。

 食い入るように手紙を読み込んで、ヘンドリータは笑みを浮かべる。


 内容は外部の近況と今後の展望。

 

 英雄教内部には幾人か、ヘンドリータと同じ神を信じる者たちがいる。

 そのうちの誰かが、彼の元にこれを届けてくれたのだろう。

 4司祭という立場にまで上り詰めたヘンドリータは、英雄教と敵対する彼らにとって有用な人材である。彼らに見捨てられていない。そのことがヘンドリータの活力となっていた。


 (……北辺境伯領内地方貴族――スカルポン男爵が情報漏洩の罪で王都へ移送された、ですか。北辺境伯は絡んでいるとは思いましたが、結局尻尾は見せませんでしたね……)


 文面に目を通したヘンドリータは苦笑する。


 そして、最後の文章を満足げに読み終えると、火打石でもって手紙を燃やし尽くした。


 「すべてはエラトマ様の意思の元に」


 そう静かに呟いて、ヘンドリータは心からの祈りを捧げるのだった。

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