幕間
幕間1 騒動の後
”英雄教なくしてルーフレイム王国はなし”
それは王国内で有名な格言である。
ルーフレイム王国の歴史は遡れば1000年以上にもなる。
その長きに渡る王国の歴史の傍らには、常に<英雄教>の存在があった。
<英雄教>の教義の基本は「英雄の崇拝」だ。
英雄を崇めることが救済へと繋がる。それは誰にでも簡単にできる信仰である。
救世の聖女アンリエットという存在も相まって、<英雄教>は瞬く間に王国内に根付いていった。
そうして積み重なった年月は<英雄教>の地位を盤石なものにした。
親は子へと。代々受け継がれた価値観はルーフレイム王国民の常識となった。
故に。
ルーフレイム王国は<英雄教>を蔑ろにはできない。
<英雄教>を邪険にすれば、その思想のうちにいる民は怒るだろう。
国は民により成り立つ。民の反乱は国家の終わりを意味する。その綻びは徐々に国を蝕み。やがて、国は滅びを迎えることになるだろう。
だが、逆に言えば、<英雄教>さえを保護すればルーフレイム王国の民は一体となる。
国家の成立には秩序が必要だ。そして宗教は秩序を容易に作り出すことができる。
為政者の立場からすれば、宗教は国家運営において非常に便利である。
ルーフレイム王家は<英雄教>を国教とした。それは国の始まりがアンリエットに起因するのもあるが、なによりも国を纏めるのに都合が良かったからである。
”英雄教なくしてルーフレイム王国はなし”
まさしくそれは、ルーフレイム王国を的確に表す言葉と言えるだろう。
しかし、一方で。
<英雄教>はルーフレイム王国にとって毒ともなった。
確たる地位を築いた<英雄教>は長い年月の中で力を増した。
結果、ルーフレイム王国の主権は曖昧なものとなった。
現在のルーフレイム王国は封建制度を残しているもの、政治形態の主体は王政である。故に国家の意思は王の意思となる。だが、<英雄教>は民のみならず、国家の中枢にも影響を及ぼしている。
すなわち、王の意向には<英雄教>の意思が混じるのである。<英雄教>の肥大は主権への干渉を生んだ。故に、王とて、あまりにも<英雄教>の教義から外れる意向は推し進めることはできなくなっていた。
しかしながら、それは<英雄教>にとっても同様であった。
王族の血筋には英雄が現れやすい傾向にある。
<英雄教>の教義からすれば、王家の血は非常に価値があるものだ。
”英雄教なくしてルーフレイム王国はなし”
がルーフレイム王国の格言ならば。
”英雄なくして英雄教はなし”
は<英雄教>の格言と言えるだろう。
つまり、王家に干渉しすぎて仲が悪くなりすぎると、それはそれで<英雄教>にとって不利益となりうるのである。
互いに互いを必要とし、それでいて
王族と<英雄教>のそんな絶妙な関係の上で、ルーフレイム王国は成り立っていた。
だからこそ。
今回の事件の衝撃は双方にとって非常に大きかった――。
王都ルーデシア。
ルーフレイム王国最大の都市で一際目立つ建造物――王城アンデルシア。
広大な敷地の中に巨大な部屋の一室。
整然と並ぶ黄金の銅像。壁を彩る名画の数々。絢爛な燭台で、橙色の灯りが静かに燃えていた。
赤色の絨毯が敷かれたその部屋には、一際目立つ大きな玉座があった。
そこに、一人の男が腰かけていた。
琥珀の髪、蒼い空を思わせる双眸。幾人もの女を虜にしたであろう壮年の美丈夫。
男の名はヴァレンティン・ラーズヴェルト・リエクス・ルーフレイム。
ルーフレイム王国の現国王である。
その端正な顔立ちはしかし、今はひどい陰りがあった。
目元には大きな隈。心なしか肌の色も悪い。明らかな疲れを感じさせる様子である。
そんな彼を気の毒そうに見つめる男がいる。ヴァレンティンと同じ琥珀の髪。その面影はどこかヴァレンティンに似ていた。
男は赤色の絨毯に膝を付いたまま、顔だけヴァレンティンへと向けている。その紅色の瞳もまた、疲れからか生気がない。
男の名はマティアス・コレムナー・フォン・リンドブロム。中央貴族の代表格。最高爵位である公爵であり、ヴァレンティンの従兄弟にあたる人物であった。
ヴァレンティンは億劫さを隠しもせず、玉座に深く座りなおすと、特大のため息をついた。そして、ちらりとマティアスに視線を向けた。
「……マティアス殿、ルーカスからは何か聞き出せたかね?」
「……いえ。彼はもう壊れています。魔術<精神修復>も使用しましたが、相変わらず悪魔がどうのと呻くばかりで、進捗はありません」
「……そうか。……あと、どうせ俺とマティアスしかいないんだ。口調、適当でいいか」
それだけ言うと、ヴァレンティンは再び大きなため息を吐いた。マティアスがそれにつられるように肩を竦める。
彼らの悩みは王族辺境訪問におけるアリシア殺人未遂に起因していた。
報せを聞いた時は、ヴァレンティンも耳を疑ったものだ。
特にルーカスの裏切りと忌み子の活躍は非常に頭を悩ませる問題だった。
ルーカスは神殿騎士団の元副団長。<英雄教>の保有する騎士団の中でも選りすぐりの騎士であり、同時に信頼に足る人物でもあった。
誰よりも信心深く、誰よりも努力を欠かさない高潔な人物。
それがヴァレンティンの知るルーカス・レーンという人物だ。
だからこそ。
ヴァレンティンはアリシアのための騎士団の長に、ルーカスを据えたのだ。
だが、結果はこの通り。
想定していなかった裏切りにより、大事な娘を危機に晒してしまったのだ。
「……
「どうもアリシア様を狙っていたわけではなさそうですね。魔術師を擁する下手人たちの襲撃を事前に予測していたようではありますが……。情報の提供元はいまだ不明です」
「……北の狸は絡んでないのか?」
「可能性はありますが、証拠がないです。まあ、あの人のことですし、追っても尻尾切りで難なく逃れると思いますよ」
「あのジジィに操られてる奴はそれを自覚してねぇからな。ほんと厄介な爺さんだ」
ヴァレンティンの毒づきに、マティアスが苦笑する。
古くからの友人であるマティアスには見せる別の姿。王という重い称号を背負うヴァレンティンにとって、彼の存在は非常に大きい。
「ま、ジジィの話は置いておこう。それじゃ、高位魔術師とかいうやつらはどうだったんだ?」
「魔術師たちは、どうもこのあたりの人間ではないようですね。詳しくは調査中ですが、言語の訛りから南の小国連合か、あるいは南東のエッタ聖公国の連中の可能性が高いかと」
南方の国々も<英雄教>を信仰する人々が多いが、中にはその教義に真っ向から対立する宗教も存在する。
宗教の違いは諍いを招く。
実際、エッタ聖公国に関しては内部の分裂が激しくなっているという話をヴァレンティンは聞いたことがあった。
<英雄教>に反抗する宗教が南部を中心に徐々に表に出てきているのである。
その危険性を知りつつも、疎かにした結果が、今の状況だった。
「まったく、迂闊だったな」
ヴァレンティンは自嘲した。
「ヘンドリータの背後は洗ったか?」
「あまり明確な情報は出てきてないですね。結局のところ、ルーカスの暴走と他国の陰謀。そういうところに落ち着いてしまいましたからね」
「……俺もルーカスを推薦した以上、迂闊に叩くと俺の権威が弱まるかもしれないしな。実際、今回のことは完全に失敗だった。
腕を組んだヴァレンティンは天井を仰いだ。
「あっち側も俺のことはあまり追及する気がなかったようだしな。蒸し返すこともないだろう」
「……そうですね。他の司祭は何か言いたそうでしたけど。……結局大司祭様の言葉が教会内では強い」
マティアスの言葉に、ヴァレンティンは渋面を作った。
「……大司祭な。あの爺さんの方針は、結果的に俺にとっては正しかったな」
「……そうですね」
「忌み子のおかげでアリシアは助かった。もしも、あの爺さんが忌み子の不殺を明確に断言しなければ、今頃俺の娘は天に召されていたかもしれない」
ヴァレンティンは息を吐いた。
金眼はこの国において大きな意味を持つ。
多くの者に畏怖されるが、適切に扱えば自身の権威をより強固にできる。
王族であり、正当な英雄と評されるアリシアの存在は、国家の旗印になるだろう。
ヴァレンティンにとっても、王族の力を強める上でアリシアの存在は大きかった。
だが、それは正当な後継と認められていれば、の話である。
金眼はいつでもその地位から転落しうる。
魔物の象徴である金の瞳を怖れる人は多い。英雄教の支えがあって初めて、アリシアは英雄として君臨することができる。
かの忌み子の存在は、そんな彼女の立場を脅かしうる。
後天的にその目を手に入れた存在は英雄教にとって悪だ。
彼の存在は金眼の醜聞となる。そしてそれは、巡り巡ってアリシアの立場を壊しうる危険性を孕んでいる。
もしも大司祭が殺しを禁じなければ、ヴァレンティンか、あるいは東辺境伯が忌み子を殺していたかもしれない。
ヴァレンティンはアリシアの立場と権威を守るため。東辺境伯は身内の汚点を消し去るため。子供不殺の教義を犯していたかもしれない。
そんなことを考えていたため、事件後のヴァレンティンの心中は複雑だった。
忌み子がいなければアリシアは死んでいたのだ。
彼は姫の命を救い、大敵を撃退してしまった。
さながら。英雄のように。
「……
「……わかりません。彼らもよくわかっていないらしいです。考えるよりも先に認めてしまうのだそうです。忌み子は体を張ってアリシア様を守っていた、と……」
「本当に不気味だな。精神でも操作されているのではないのか?」
「それも考えて、調べてはいたのですが。
マティアスの言葉にヴァレンティンは眉間の皺をさらに深くした。
ヴァレンティンの考えでは、かの忌み子が何をしようと、成人に至ると同時に殺すつもりではあった。
金眼の英雄は2人もいらない。絶対の1人がいて、その権威がこちらにあればよい。
だが、王女の命を救った彼の功績は、存外に大きいものだ。彼は本来は騎士団が為すべきだった王女の守護を一人で成し遂げた。そしてそれは並大抵のことではない。
騎士団は力の象徴だ。王族と教会だけが結成することができる騎士団という名は、王国にとって非常に重い意味を持っていた。
「手を出しづらくなったな。仮に手をだせば、恩知らずの愚王と囁かれる。本心で思っていなくとも、地方貴族共はそれを使う。そんなことで、ここまで集めた国の権能を還すわけにいかないだろう。なによりも、大司祭の言葉には今は逆らわない方がいいしな」
「……本当に面倒ですね」
マティアスの相槌に、ヴァレンティンが大仰に頷く。
そして、今度はとりわけ深刻そうな顔をした。
そのあまりに真剣な瞳に、マティアスが姿勢を正した。
ヴァレンティンが重々しい口調で語りだす。
「それにだな。とりわけ不快なのは、アリシアが忌み子を大絶賛していることだ。英雄が忌み子を褒めるなんてあってはならないだろう?」
「それは、そうですね」
「それでこの前注意したら、物凄く冷たい声で『お父様、嫌い』と言われてな。もう死に物狂いで、本気で謝ったよ」
「…………はぁ」
マティアスが半眼になる。怒り心頭といった様子で語り続けるヴァレンティンは気が付いていなかったが。
「……それに、どうやら手紙も書いてるらしいんだ。カーリナ曰くな。なぁ、マティアス? 本当にどうすればいい? あの忌み子と仲睦まじく文通だなんて、本当にはらわたが煮えくり返る思いだ」
「…………」
憤るヴァレンティンにマティアスは呆れた視線を送る。
「おい、聞いてるのか?」
「……聞いてますよ」
「なぁ、本当にどうすればいい? 俺としてはどんな会話をしているのか気になって仕方ないんだが。どうにか盗み見ることはできないか?」
「……それをしたら、本当に嫌われるでしょうね……」
疲れた声でそう言ったマティアスは、それからヴァレンティンの愚痴を聞き続けた。
王にしては人情味がありすぎる現国王の悩みは、これからも続きそうであった。
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