第43話 幼少期編43 王族辺境訪問16

 異変にはすぐに気づいた。


 空を舞う精霊たち、その彩りがガラリと変化したからだ。


 「青の、精霊」


 アリシアも気づいたのか、小さく呟いた。

 

 僕の視界に一面に広がるのは青い光達だった。

 風と光の精霊ばかりだった世界が、瞬く間に淡い水色に変化したのである。


 水の精霊が好む川はまだ遠い。

 ならばこの原因は簡単だ。


 「雨が降ってきたみたいですね」

 「……そう、ね」


 雨の日は水の精霊が増える。それは今までの経験上間違いないことだ。僕の言葉に、アリシアが頷いていた。


 そんなアリシアを尻目に僕が考えていたのは、村での一件のことだった。


 それは、<英雄教>と思われる人々が話していた天気を変える魔術のことだ。

 通常ならば雨が降っても何ら疑問を抱くことはないが、あの話を聞いてしまった後だと、この雨が人為的に引き起こされたものに見えてきてしまう。


 タイミングも丁度だ。おそらく彼らは天候変化の魔術に成功したのだろう。そう捉えるのが一番自然だ。


 魔物に追われた後の状況下で、雨が降るのは正直嬉しいことではない。

 雨は行軍速度を下げるし、軍の士気にも関わる。視界も悪くなるから、護衛にとってはよくない事柄の1つだ。

 

 だが、魔術は精霊術の下位互換の力だ。精霊が引き起こす災害級の雨よりはよっぽど弱いはずだから、そこまでの影響はないと信じたい。


 僕はぽつぽつと降り始めた雨を見ながら、そんなことを思っていた。




 ――思っていたのだけど。


 「……随分、降るのね」

 「そう、ですね……」


 アリシアの言葉に返答しながら、僕は視界一面に広がる青い世界に頬を引き攣らせた。

 

 膨大な数の青い精霊。よく見れば、かつてのアイのような大きめの精霊――高位精霊までもがこの地に集まっている。


 間違いなく、今世で一度にお目にかかった水精霊の数としてはだ。


 その精霊たちの数に比例するように、雨の勢いは増していった。

 ともすれば、馬車や大地ごと押し流してしまうのではないか。それほどまでの雨量である。


 確かに事前に立てた計画では、雨の際の対策も考えてはいたのだが。


 嵐と呼んで差し支えないこの状況までは、流石に想定ができていなかった。


 雨が屋根木を叩く音が更に強くなる。巨大な黒雲が日を遮り、さながら夜のように辺りを暗くする。

 時折、雨音に混じって雷鳴が聞こえてきた。


 雨によって、既に馬の駆ける速度はかなり遅くなっている。このペースだと前線基地まで今日中にはたどり着けない可能性が高い。

 できれば野営はしたくなかったが、避けられそうにない。

 

 改めて、後続に歩兵部隊を配置していてよかったと思う。


 安全地帯を確保できれば、雨が降ってもどうにでもなる。そのための装備も確保してある。


 (想定内とは言い難いけど、対応できる範囲のはず)


 僕が自分に言い聞かせたその時だった。


 ――ヴォォォーーン。ヴォォーーーン。


 先ほどと同じ二度の笛の音が部隊に響いた。


 (また、魔物か?)


 二度目の襲撃を知らせる音。

 前回、護衛部隊がどのように対処したのかは把握できていないが、しばらく何事もなかったため、上手く撒けたのだろうと僕は認識していた。

 

 ならば新手、と考えるのが自然だろう。


 だが、再び響いた笛の音は僕の予想を裏切るものだった。


 ――ヴォーン。ヴォォーン。ヴォォォーーン!

 

 鳴り響く三度の笛の音。これが示すことは。


 ――人間よる襲撃だ。


 




 

 魔物の襲撃、嵐の如き豪雨、そして今回の人間による襲撃。

 

 立て続けに起こる良くない出来事に、いよいよ僕の猜疑心は膨れ上がっていた。

 

 明らかに今回の王族辺境訪問には悪意が働いている。

 それが僕に対するものなのか、それとも王女に対するものなのか、あるいは東辺境伯そのものに対するものなのか……。


 現状、僕には判断することができない。

 

 今わかるのは、その悪しき牙が確実に僕らに迫っているということ、それだけだった。


 僕は悩んでいた。


 現状をどのように対処するか。いや、最初の対処の正解はわかっている。まず行いたいのは現状の把握だ。そのために、僕は精霊術を使いたい。


 だけど。

 精霊術を使うにしても、まずは王女の目からは逃れたい。

 

 悠長なことを言っている場合ではないのはわかっているが、僕はそれでもこの力の存在を他人に隠しておきたかった。


 「…………」

 

 とりあえず、襲撃に対して準備だけはしておこう。


 僕は自身の真っ黒なローブを羽織り直すと、トワイライトを背中に結び付ける。

 そして、外を確認しているアリシアに暗い茶色がかった外套を差し出した。


 「アリシア様、外套を羽織ってください」

 「…………わかった」

 

 襲撃者の狙いが分からない以上、王女の安全確保は急務だ。

 

 アリシアの服装は淡い銀のドレス。外はやや薄暗いとはいえ目立つ格好だ。それに外は雨が降っている。

 馬車を出て逃げなければいけない状況など考えたくもないが、一応対策は取っておかねばなるまい。


 この馬車は屋根木もしっかりしており、窓もガラス張りで雨風にはかなり強い。一般庶民が使うような馬車とは比べ物にならないほど頑丈だ。だが、それでも直接襲撃を受ければ放棄せざるをえない。頑丈さにだって限度がある。馬車の中だと逃げ場もないし。


 たどたどしく、外套に袖を通すアリシアを横目に僕は再び外を見る。

 目に見える範囲で異常はない。やはり、精霊術を使わなければ現状の把握は困難だ。


 魔物、いや魔物もどきの襲撃程度ならある程度捨て置けるが、相手が人間ともなれば話は違ってくる。

 早急に今の状況を僕は知りたかった。


 御者台と馬車内部を繋ぐ正面窓に僕は手をかけた。

 御者であるシラユキに、わかる範囲で今の状況を聞きたかったからだ。

 窓を開けると、雨風が車内に入ってくる。気温も低い。かなり条件が悪い。

 

 「ご主人様、どうかされましたか?」

 

 窓を開けた音に気付いたのか、シラユキが少しだけ目線をこちらに向けて話しかけてきた。


 「雨、すごいね。大丈夫?」

 「はい。問題ないです」

 

 シラユキは全身ローブに身を包んでいるとはいえ、この雨の強さは辛いだろう。

 現に少し窓を開けただけで、僕の顔はかなり濡れてしまっている。

 

 「状況は把握できてる?」

 「はい。人間の襲撃のようです。先ほど、騎兵隊の一部が討伐に向かったようです」

 

 シラユキの言葉を聞きながら僕は考える。


 相手は何者なのか。そして、目的は何なのか。


 目的として一つ考えられるのは王女の身柄そのものだ。彼女の価値は千金にも勝る。金目的なら狙う理由も考えられるか。


 とすれば、相手は野盗か相応の犯罪組織か何かだろうか?


 だが、相手は東辺境伯の軍だ。そこまでのリスクを野盗如きが負うのだろうか。

 それに、たとえ金を得られても、今後の報復を考えればリターンに見合わない労力のような気もする。

 

 ならば他になにが考えられる?


 王族や教会の線はあるだろうか。僕を殺すためにしかけてきた……いや、そのためだけにここまで大がかりにやる必要はないか。

 殺したいのならば、どこかの街で暗殺すればいいだろう。それに、アリシアの安全を考えれば、魔物もどきを使った襲撃やこのような豪雨はあまりにも危険すぎる。


 僕がうーん、と唸っていると、シラユキが再び僕に話しかけてきた。

 

 「そろそろ後続部隊の配置位置に近いとは思うので、心配はないと思います」


 シラユキの言葉を聞いて、僕は前方へと視線を注いだ。

 

 僕の金眼は遠方の景色も鮮明に見える。シラユキの言う通り、遠く水平線にエルドーラ川が見えた。

 

 エルドーラ川の近隣が部隊の配備予定地だ。

 ならば、今回僕らに悪意を向ける存在に関しては、安全地帯に行き襲撃者を倒してから考えればいいか。

 

 僕がそう考えた時だった。


 突如、騎兵隊の足並みが崩れる。シラユキが手綱を操って輓馬ばんば2頭を制御していた。10歳に満たぬとはいえ、大人顔負けの膂力をもつ獣人族だからこそできる芸当だ。

 

 部隊が崩れた原因は前方部隊が急に減速したからだったようだ。一体何があったんだ?


 僕が進行方向に目を凝らして――。


 ――遠く暗色の空間に一対の光が灯った。


 小さな光に束が収束し、輝きは赤色へと変化していく。


 そして、象られていくその紋様に、僕は目を見開いた。


 それはまごうことなき炎色の魔術陣。


 遠く見える新魔術文字ネオス・スピラグラマが意味するは――第5位階魔術<大炎槍>。高位魔術に属する長射程の魔術の1つだ。

 

 そしてそれは。

 

 間違いなく人の手によって作られた魔術の兆候だった。


 その矛先が向いているのは――僕らの前方の部隊。

 

 僕はシラユキに叫んだ。

 

 「シラユキ! 正面から<大炎槍>が来る!」

 「っ!」

 

 臨界点を超えた赤色の魔力が力となって放出されるのを僕は捉えた。


 赤い炎が螺旋となって、部隊に降り注ぐ。空間を切り裂き、飛来した炎槍が前方の囮の馬車に直撃した。さらに騎兵隊の面々が浮足立つ。


 全くの容赦のない一撃。相手が王女でも関係がないということか?


 減速していた僕らに被害はない。

 だが、視界の先で2撃目の魔術陣が現出するのを僕の瞳が捉えた。

 

 「シラユキ、2撃目が来る。馬車は任せた」

 「っ! お任せください!」

 

 魔術の陣が意味を成す。二度目の魔力の飽和と共に、紅炎がこの世界に現界した。その標的は――この馬車だ。

 

 「アリシア様! 伏せて!」

 

 僕は少し強引にアリシアに覆いかぶさると、水の少女アイへと手を伸ばした。

 アリシアの視界を隠せているこの状況なら、少し強引に術を発動しても問題はないはず……!


 「グレイズラッド……?」


 抑揚のない、されど少し不安そうなアリシアの声が僕の下から聞こえてきた。


 「大丈夫です。アリシア様は目を閉じていてください」

 「……わかった」

 

 詠唱は言葉にはせず。されど確実な魔力操作を、僕は行う。


 青く輝く、僕とアイの魔力が静かに馬車を包んでいく。

 

 馬車を覆うのは薄い水の膜。それも常人ならばまず気づけないほどに、極限にまで引き延ばされた薄い壁だ。

 

 されどその紙切れのような障壁には、人知を超えた濃密な魔力が込められている。


 それは水の精霊の護り。

 あらゆる脅威を受け流す平穏の世界を創造する精霊の奇跡。

 

 精霊術<水精の揺り籠Spiritus aquae,cunae


 そして術は発動する。


 淡い水銀の輝きが僕らの馬車を包んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る