第44話 幼少期編44 王族辺境訪問17

 魔力同士の衝突で重要なことは何か。

 それは魔力の質、そして量だ。


 魔術同士の戦いはエネルギーのぶつけ合いだ。そして、その勝敗を左右するものは基本的には非常に単純だった。


 すなわち、その総量が上回った方が勝つ。

 

 故に、魔術など精霊術の前では児戯にも等しい。


 「大丈夫ですか? アリシア様」

 「……ん。大丈夫」

 

 アリシアが無事であることを確認した僕は、横転した馬車の中でほっと息をついた。


 結論から言えば、<大炎槍>は僕の<水精の揺り籠Spiritus aquae,cunae>と衝突した瞬間に、跡形もなく霧散した。


 魔術は精霊術に敵わない。高位の魔術と言えど、それは変わらない。それは赤子が大人に勝てぬように、この世の真理とでも言えるものなのだ。


 だから僕は飛来する魔術に関しては全く憂慮していなかった。

 

 心配だったのはその標的となった馬のほうだ。


 馬車を引く輓馬ばんばがパニックを起こして暴れでもしたら、むしろその方が危ないまである。

 そのあたりは上手くシラユキが手綱を取ってくれたようだ。横転程度で済んだのは僥倖だった。


 軽い横転なら、スイの力を少し借りれば容易に対処ができる。実際、それで僕とアリシアは事なきを得た。

 僕がシラユキ、アイ、スイの3人に心の中で感謝していると。


 「ご主人様! ご無事ですか!?」

 

 切羽詰まった声と共に、頭上の扉が剥がされた。

 文字通り扉を破壊して、車内を覗き込んできたのは――ローブに身を包んだシラユキだった。

 

 僕の姿を認めた彼女は、わかりやすく安堵した表情を見せた。その表情とは裏腹にやっていることは大の大人も慄く事柄ではあるのだが。


 獣人族の腕力侮るべからず、である。


 「敵が来るかもしれません。急いで外へ!」


 シラユキの手を借りながら、僕とアリシアは馬車から脱出する。

 大粒の雨がローブを叩きつけてくる。途中アリシアの外套のフードが脱げそうになるのを優しく被りなおさせてやった。

 

 すでに馬車の周りには複数の騎兵が取り囲んでおり、周囲の警戒をしていた。


 魔術の発生源の方に目をやるが、魔術の陣はなかった。どうやら3発目は無いようだ。


 魔術は奇襲に使うのが定石である。というのも、魔術は術者が狙われると、基本的には満足に発動ができなくなるからだ。

 3発目がないということは、向こうは奇襲の失敗を悟って後退したか。あるいは、東辺境伯の部隊が接敵したか。そのどちらかだろう。


 個人的には後者なのかな、と思う。3発目を許すほど、東辺境伯の軍はきっと弱くないはずだ。

 

 「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに、ご主人様を危険にさらしてしまいました」

 「いや、シラユキは十分やってくれたよ。あれくらいの荒っぽさならなんとでもなる」


 頭を下げるシラユキに僕は返答する。

 実際なんとかなったから、それでいいと思う。


 問題はこの後のことだ。


 後方からは人間の襲撃、そして味方がいるはずの前方からは魔術の攻撃。


 歩兵部隊はどうした? 後方の襲撃はどうなった?


 考えることは多々あるが、何よりも今問題なのは挟撃されていることだ。


 逃げ場がない、というのは非常に危うい。


 東側の森に逃げるのは論外。西側は平原が続いているが、その先に人里はない。比較的小さな雑木林があるのみだ。ならば橋を渡らずに南下するという手もあるが、前方の敵がどこから湧いて出てきているかわからないから、それも危うい。


 もういっそのこと橋を渡ってしまうか、とは思うものの。


 僕は空を見上げる。雨は更に強くなってる。目を開けることすらままならない雨量。さらに強風までセットときた。

 この状況で川に近づくなど、自殺行為ともいえる。

 そこまで考えて僕は気づいた。

 

 ……なるほど。この雨で後続部隊は足止めをくったのか。


 ここまでの暴風雨ならば川は相当増水しているはずだ。

 それも、下手すれば橋を渡れぬほどに川はその姿を変貌させていることだろう。


 「……これが原因か」


 僕の考えがあっていれば、おそらくこちらの戦力は橋の先で立ち往生している。


 それならば味方のいるはずの場所に敵がいるこの状況にも少しは納得がいく。

 

 であれば、この状況を打開するにはどうすればいいか。

 

 答えは簡単。その原因を取り除けばいい。


 すなわち。


 ――天気を変えてしまえばいいのだ。


 


 



 やることは決まったものの、僕はすぐには動けなかった。


 ここには王女がいて、迂闊に精霊術を使えない状況である。なにより、名ばかりといえど僕はこの行事の代表者である。王女の安全を最優先に考えなければならない。好き勝手に動くことは難しい。


 「アリシア様、寒くはないですか?」

 「大丈夫」


 雨風に背を向けながら、僕はアリシアの体を支えていた。

 箱入りの王女には酷な環境だろう。それでも文句ひとつ言わない彼女は本当に良い子だと思う。


 「少し、移動します。大丈夫ですか?」


 アリシアが小さく頷いたのを見て、僕らは移動を開始した。

 とりあえず、砂利道のあたりまで移動しよう。同じ場所に留まるのは危険だ。

 

 僕らが草原から抜け出す頃に、数名の騎兵が僕らの元へやってきた。


 先頭の兵の胸元には勲章がある。その人物には見覚えがあった。確か、中隊長の一人だったと思う。

 中隊長は僕らの姿を認めると、馬を降りて走ってくる。その顔には疲れが見えた。

 

 「アリシア様! ご無事ですか!」


 一直線にアリシアの元へ向かった彼の言葉には、当然のことながら僕の安否を懸念するものはなかった。

 

 ……いや、うん。わかってはいたけど、本当に僕のことはまるで眼中に無いよね。

 

 彼の視線はアリシアに固定されている。隣にいる僕には見向きもしない。

 

 アリシアはすまし顔で返答した。

 

 「無事。グレイズラッドのおかげ」

 

 アリシアの言葉にギョッとしたように中隊長がこちらを振り向いた。

 一応、僕のことは認識はしていたのね、なんて場違いな感想が浮かんでしまう。


 中隊長は嫌そうに顔を顰めると、顔を背ける。


 「っ、ともかく、ここは危険です。安全な場所までご案内いたします!」

 

 そしてアリシアに対して、そうまくし立てた。


 だが、僕らが反応する前に会話に割って入る存在がいた。


 「アリシア様!」

 

 今度は年若い女性の声だ。僕が声のする方に目を向けると、先ほどとは異なる装いの騎兵が幾人かやってくるのが見えた。

 声の主は騎兵たちを率いる先頭の人物。鎧と兜に身を包んでいるため、顔は見えない。だが、その声には聞き覚えがあった。


 「カーリナ?」

 「アリシア様! よくぞご無事で……っ!」

 

 首を傾げたアリシアに、鎧の女――カーリナ・ステファンが馬を降りて駆け寄ってくる。

 中隊長を押しのけるようにアリシアへと近づいたカーリナは、兜を脱ぐと安堵の息を吐いた。

 しかし、すぐに忌々しげに顔を歪めた。

 

 「やはり、悪魔と共に乗るべきではなかったのですよっ!」


 カーリナがそう吐き捨てる。一応隣にいるんだけど、彼女の目には僕の姿が見えていないらしい。

 

 「……でも、グレイズラッドのおかげで助かった」

 「ん、なっ!?」

 

 カーリナはアリシアの言葉に目を見開いて、首だけを回してこちらを見た。その挙動があまりにも速くて少し気持ち悪い。

 それと僕のことは一応認識していたのね。なんか、デジャブ。

 

 相変わらずの自分の扱いにうんざりしながら、僕は少し不安を覚えていた。

 原因は先ほどからのアリシアの言動である。

 僕のおかげで助かったことを確信しているかのような口ぶり。そこが僕には引っかかる。


 目を閉じてもらって、可能な限り気づかれないように精霊術を発動したつもりだったのだけど。もしかして、バレてしまったのだろうか。

 

 「こんな奴に何ができるんですか!?」

 「……体を張って、私を守ってくれた。怪我もしてない」

 

 抑揚なくそう語るアリシア。

 あの状況を言葉で表すなら、この表現は適切か。

 

 (……一応、バレてはなさそう……か?)

 

 僕が判断に迷っていると、カーリナが眉尻を怒らせて僕を睨みつけてきた。

 

 「……ふんっ。むしろ悪魔である貴様はアリシア様を命に代えても守るべきだ。当然だな」

 「……はぁ」


 それは君たちも同じなのでは。とは思うが、言葉にはださない。


 というか、こんな状況でも嫌味しか言えんのか。この女は。

 ここは戦場だ。それどころではないというのに。


 「ともかく、ここから離れましょう。向かう場所としては南、あるいは橋の方へ――」

 「言われずともわかっている! それと、ここからは我々がアリシア様を御守りする! 貴様らにはほとほと失望した!」


 努めて冷静に今後の方針を話そうとした僕の言葉はカーリナによって遮られた。

 肩を怒らせるカーリナはそのまま、アリシアの手を取ると、自身が騎乗していた馬の方へと歩いていく。半ば強引に連れられたアリシアが、僕の方に顔を向けた。


 「グレイズラッ――」

 「アリシア様、私が安全な場所までお連れしますので安心してくださいっ!」


 アリシアが言いかけた言葉はカーリナによって塞がれる。アリシアは少し名残惜しそうに僕を見つめたが、そのままカーリナに連れられて行った。


 聖金騎士団サンオーレ・シュバリエがこの場を後にすると、東辺境伯の騎兵隊も揃ってこの場から離れていく。


 中隊長の号令で隊列に戻り、それぞれが自身の持ち場へと向かっていった。

 

 そしてこの場に残ったのは――僕とシラユキの二人だけ。


 「…………」


 確かに僕とシラユキは嫌われている。この世で僕らに何のしがらみもなく接してくれるのは、コルネリアフェリシア、そしてルディくらいなものだろう。

 

 だけど、それにしたってこれはひどい。曲がりなりにも貴族の御曹司とそのお付きの侍女。


 その二人を戦場に置いていくなんて。


 いつの間にやらフードが脱げていた僕の顔に、大粒の雨が打ち付けてくる。とても冷たい。


 諦念にも似た呆れの感情が胸中を満たして、僕は大きなため息をついたのだった。

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