第42話 幼少期編42 王族辺境訪問15

 「魔物の数は?」

 「現時点では30体ほどを目視しております!」

 

 偵察隊からの報告を受け取ったオスバルトは、馬上で顔を顰めた。

 

 想定よりも魔物の数が


 魔物は他の魔物に追随する特性がある。最初の一歩を踏み出してくる魔物は、魔物の中でも果敢な存在だ。群れの長などが多いだろう。

 故に、初めに目視できる魔物の数は後続する魔物の指標となりうるのだ。

 

 そしてその指標は、初めの魔物の10倍。


 魔物10倍の原則という言葉は東辺境伯の近衛軍の中では常識だった。

 

 「間引きしていたはず、なのだがな」

 「ええ。2日前にも300以上は狩りましたし、おそらく今も<フロンミュール>の兵たちが狩っているはずなのですが……」


 偵察隊の兵の言葉がしりすぼみになっていく。オスバルトは鼻を鳴らした。

 

 魔物は際限なく生まれてくる。

 それを放置すれば、ノルンの森は魔物だらけになり、今度は住処を失う個体が現れるようになる。

 そういった存在は森から溢れるようになり、そのはぐれた個体が人を襲うのだ。

 

 <フロンミュール>があり、そこでオスバルト達が魔物を狩る意義はそこにある。


 「魔物の種類は?」

 「猛進豚、巨牙狼、紅毒蛇は確認できております。おそらく他にもいるかと」

 「どれも厄介だが、紅毒蛇までいるとはな」


 猛毒の大蛇である紅毒蛇の毒は厄介だ。


 牙では鎧は貫けないから騎手は問題ないだろうが、馬は別だ。

 馬をやられることはそのまま足を失うことを意味する。機動力をそがれるのは遮蔽物のない平原では命取りだ。できれば、砦外では出会いたくない存在の1つだった。


 あまり出現頻度の高い魔物ではないのだが、この日ばかりは運が悪かったらしい。


 それにしても。


 オスバルトは溜息をついた。

 

 この襲撃はどうも厄介な臭いがする。

 

 「そいつらは徒党を組んでいるのだな」

 「はい」

 「魔香草は積んでいないはずだな?」

 「無論です」


 オスバルトはその答えを聞いて、再び嘆息した。

 

 魔香草。それは魔物を引き寄せる植物だ。

 

 どんな魔物であってもこの植物には惹かれてくる。魔物も生物だ。基本的にはそれぞれが食い、食われ、の弱肉強食の世界にいる。

 

 しかし、この植物の匂いに釣られた魔物たちは他の魔物に目もくれず、植物の香る方へと向かうようになる。


 植物は魔物の食欲、生存欲を刺激する。そして彼らは、その本能を満たすためにより弱い存在――すなわち人間の方へと向かうことになる。


 故に、魔香草のいざなわれた魔物は徒党を組んで我々を襲うように見える。


 これだけ聞くと魔香草は魔物を引き寄せるただの危険な植物だと思うだろう。しかし、使い方次第では非常に有用なものとなりうる。


 その一つが魔物退治だ。

 

 <フロンミュール>では魔香草を利用することで狩りを行っている。

 例えば、先日の間引きでは、騎兵にこの植物を持たせて魔物を砦へと誘導し、殲滅したのである。


 また、東辺境伯軍はこの植物を常に<フロンミュール>近郊の森に群生させている。

 これにより、多くの魔物が<フロンミュール>の付近に集まるようにして、他の地域の魔物の数を減らす狙いがあった。


 魔香草は魔物退治、そして魔物の被害を少なくするのになくてはならないものの1つなのだ。


 東辺境伯軍はこの植物を使用することで、代々魔物退治をしてきた。その成果もあり、近年は魔物の被害もかなり少なくなってきていた。


 だからこそオスバルトは思う。今回襲撃してくる魔物の数は異常だと。


 魔香草は魔物を誘導できると言う点で非常に危険だ。護衛任務の最中であれば、護衛対象に魔物を引き寄せるという最悪の状況を引き起こすものとなる。


 それ故に、魔香草は【第一級危険指定植物】として国の指定を受けている。一部の限られた人たちのみが使用を許されているような代物なのだ。


 オスバルトは改めて思う。

 

 想定を超える魔物の数。さまざまな魔物が徒党を組んでいるこの状況。それは、まさしく魔香草を使用したときの魔物の挙動そのものだ。


 故にオスバルトは確信を強めていた。

 

 この襲撃は人為的なものの可能性が高い。それも法の外にいるような存在によるものだ。

 法で禁止された植物を襲撃に用いるなど、そのような存在くらいしかオスバルトには思いつかなかった。


 オスバルトは眉間を険しくした。


 「アンドリュー」

 「はっ」

 「隊を預ける。200もあれば足りるか」

 「問題ありません」


 頼もしい副官の声に、オスバルトは破顔する。

 

 誰だかは知らないが、この東辺境伯の軍に挑むとはいい度胸だ。国内でも屈指の実力を誇る、東辺境伯第一近衛軍騎兵隊の力を見せてやろう。


 「魔香草があるかもしれん。見つけ次第伝令を送れ」

 「了解しました。アレは匂いが強いですから、あればすぐにわかりましょう」


 オスバルトは頷くと、周囲に聞こえるように声を張り上げた。

 

 「第1中隊、第2中隊は護衛任務を継続! 第3中隊、第4中隊はアンドリューを大将として魔物の討伐に向かうこととする!」


 伝令使が後方へと駆ける。

 

 「ご武運を」

 「お前もな」

 

 アンドリューが先頭の部隊から離れていく。その姿を見送った後、オスバルトは進行方向に目をやった。

 遠く平原の向こう。川までの道のりはまだ遠い。


 だが、そこまで行けば友軍がいる。騎兵隊に後続する歩兵部隊の数は2000にも上る。簡易な陣地とはいえ、そこまで行けば安全だろう。

 

 唯一の懸念は、その川の付近にいるはずの歩兵部隊から、いまだに連絡がないこと。それくらいだ。


 「何もなければいいのだがな」


 オスバルトの呟きは、誰にも聞かれることなく消えていった。







 部隊を任されたアンドリューは砂利道を逸れて、ノルン大森林のほうへと向かった。


 草原は馬が最も好む舞台だ。不測の事態において、自身の領域で戦えるというのは幸運なことである。万全の状態で戦える、そのことに感謝しなければいけないかもしれない。アンドリューは皮肉めいた笑みを浮かべる。


 魔物の数はおそらく300を超える。

 

 魔物の流出がここまで増えることは基本的にはない。多くても10体が関の山だ。だからオスバルトはその不自然さを怪しみ、魔香草の存在を疑ったのだ。


 アンドリューもそれには同意だった。


 魔物の対するこちらの騎兵隊は200。

 歩兵部隊や砦がないため、前衛は貧弱。弓兵隊の援護もない。アンドリュー達は、騎兵のみでこの数を相手どらなければならないのだ。


 アンドリューは自分たちの部隊が為すべきことを再確認する。


 最大の目的は、護衛本隊を逃がしきることだ。とはいえ、幸いにも魔物は近場の人間を標的にする。本隊を追うような魔物はいないだろう。ここでアンドリュー達が殿になった時点で、第一の目的は達成している。


 ならば目指すは、損害のない撃退だ。

 

 アンドリューは東近衛軍きっての新鋭であり、出世頭の筆頭だ。この程度の窮地で、失敗などアンドリューが自分自身を許せない。

 

 「副隊長! どうされますか」

 

 第三中隊を率いる尉官がアンドリューに話しかけてきた。

 

 アンドリューは考える。


 騎兵隊は機動力が重要だ。最も典型的な戦い方は縦陣形による突撃。だが、敵の数が多い現状は奇策もまた一考の価値がある。


 アンドリューは黙考ののち、命令を下した。







 芳醇な香りが彼らを後押しする。

 風に揺らぐ草花を踏みつぶし、えぐれた土が身体へと飛び散る。

 まき散らされた自然の香りはすべて上塗りされていき、彼らは目標へと一目散に駆けた。

 

 生存欲は食欲へと置き換わり、本能は快楽を求めるだけの愚鈍な存在へと変貌する。

 

 脳裏を走る警鐘には何者も気づかない。横一列に彼らの獲物たちが何を撒いていたのか。彼らにはわからない。


 それがその植物の効能。彼らにとって最も有用な警戒心を取り払う、麻薬の代償。


 野生の中で培われた身体能力、それを開放して彼らは飛んだ。


 その瞬間。


火球ファイア


 先頭の獲物から放たれた赤色の閃光が。


 彼らを焼いた。

 

 煌々と燃える炎はそのまま草木へと燃え移ると、獲物たちを守るように広がっていく。


 飛び上がった彼らはそのまま炎の中へとその身を投げ、灼熱の記憶を最後にその命を投げ出していく。


 炎の壁を抜け出したものも、その後に迫る銀の穂先――大槍によってその身を貫かれた。


 香りに誘われた彼らの本能が徐々にその本質を取り戻していく。


 だが、もう遅かった。


 彼らは知らない。人間の戦い方を。戦いを知らぬまま、彼らはここで死に絶える。後世に受け継がれることなく、彼らの同胞もまた、同じように人に狩られていくのだろう。


 「全軍、隊列を整え、突撃せよ!」


 先頭の獲物が再び声を張り上げた。

 縦一列に並んだ騎馬隊が突撃を始める。


 戦いが終わるのは、その暫く後のことだった。






 

 アンドリューは焦げ付いた草原の背後に何かを見つける。

 馬を降りたアンドリューは魔物の亡骸を踏みつけながら、そちらへと向かった。


 そしてアンドリューは気がつく。

 油が焼ける嫌な臭いに、芳醇な香りが混じっていることに。


 「やはりそうか」


 小さく呟いたアンドリューは、腰元の剣を引き抜く。

 警戒を怠らぬまま、匂いのする方に近づいた彼は、そこにあるものを手に取った。


 それは小さな麻袋だった。

 そして、その中から香る匂いはまさしく魔香草特有のもの。


 軽い酩酊がアンドリューを襲う。

 魔香草の香りは人間にもある程度効果がある。故に非常に危険なものだった。

 

 アンドリューは息を止めて、麻袋を投げ捨てた。

 そして、剣を持ってない左手を掲げる。


 「<火球ファイア>」

 

 瞬間。手のひらの先から炎の球が出現し、麻袋へと飛来した。


 魔香草の処理方法は焼却だ。燃えた瞬間は強烈な香りを発するが、直に無臭となる。そしてなんの効能も持たない塵となる。

 

 魔香草を持ったまま本隊に戻るのは危険が多い。ここで処分するのが得策だった。


 燃え上がる魔香草を背に、アンドリューは自身の部隊の方へと戻った。

 そして、馬に乗りながら伝令の兵に声をかける。

 

 「伝令使!」

 「はっ」

 「先行し、隊長に伝えろ。魔香草があった、と」

 「承知しました!」


 伝令使が馬を走らせてその場を後にする。


 少し馬を休ませたら、アンドリュー達も早急に本隊に合流しなければならない。

 

 麻袋の存在は、人間の関与を感じさせるものだった。そこにアンドリューは焦りを感じる。

 

 もしも人間が魔物を襲撃に使うならどう使うか。


 答えは簡単。陽動である。


 細かな指示ができない魔物は相手の戦力を削ぐために使うのが一番良い。少なくとも、アンドリューならそうするだろう。

 

 ならば、本命が狙う場所はどこか。それはアンドリュー達の護衛部隊に他ならない。


 本当なら下手人の形跡を細かく調べたいところではあるが、そんな時間はアンドリュー達にはない。

 一刻も早く、本隊に追いつかねばならない。

 

 「隊列を組みなおせ! 馬を休ませたのち、本隊を追う!」

 「「「は!」」」


 テキパキと隊の再編を行う彼らを見ていると、ふとアンドリューは漂う空気に違和感を感じた。


 鼻腔をくすぐる臭いに1つ異物が混じり込んだのだ。


 土と木々が徐々に湿度を伴っていく。じめじめとした嫌な臭い。


 その時。アンドリューの頬に冷たいものが落ちてくる。頬を伝う水滴は顎先にまで、垂れて落ちた。


 アンドリューが空を見上げる。

 

 髪の毛と頬を伝う水がその数を増していく。

 

 「この状況で、雨か……」

 

 南方の空。本隊が向かっている先を見ながらアンドリューが呟く。

 

 そこには、まるでアンドリュー達の行きつく先を示すかのように。巨大な暗雲が渦巻いていたのだった。

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