第19話 幼少期編19 これからも
僕が駆けつけた時には、シラユキは台所でうずくまっていた。
吐き出すような悲壮と、諦めの感情。
目は涙に濡れていて、その目は赤い。
その様相はスイとアイに連れられてやってきた僕の心を締め付けるには十分だった。
僕は自分がどれだけ彼女を見ていなかったのかを反省した。
まだ幼いシラユキがどんな気持ちで、この屋敷にきたのか。それを全く考えていなかったのだ。
辛くないわけがないんだ。大人の精神が心に居座る僕でさえ、僕を恐れる人の多いこの世界は居心地が悪い。いわんや、彼女はそれ以上に辛い思いをしていただろう。
僕にはフェリシアや母様、メイシアやバルザークなど、自分を見てくれる人がいるけれど。
シラユキには家族おろか、そんな人は誰もいないのだから。
僕はベッドで眠るシラユキを見る。
心労で倒れたシラユキを、僕は自分の部屋のベッドで寝かせていた。
彼女の部屋でもいいけど、ベッドの質がいい僕の部屋の方がいいと考えたのだ。
メイシアにはすでに言ってある。
シラユキはしばらく借りるから、侍女の仕事もお休みにしておいて、と。
これでシラユキが怒られることはないだろう。
忌み子と呼ばれる僕であっても、ノルザンディ家の子息であることに変わりはない。
僕の一言は、この屋敷で働く人たちの誰よりも優先されるのである。
「……」
シラユキの寝顔は安らかだった。
常にどこか緊張を孕んでいた彼女の唯一の安寧は睡眠だったのかもしれない。
そんなことを考えてたおりに。
シラユキの獣耳がピクリ、と動いた。
微細な揺れに呼応するようにまつ毛が震えた。
非常に整ったシラユキの眉間が険しげに歪む。
そして、瞼がゆっくりと開いた。銀色の双眸が僕を射抜く。
「ごしゅじん、さま……?」
惚けたようにそう言ったシラユキは、自身の状況を見ると。みるみると顔色を悪くしていった。
ベッドから飛び起きると、慌てて床に膝をつく。
「も、もうしわけ――」
「ごめん、シラユキ」
頭を下げようとするシラユキの言葉を僕は遮った。
そのまま、彼女の体を抱きしめる。
「あぅっ」
シラユキの体は暖かった。そして、とても小さかった。
小さな背中と肩が震えていた。この小さな体に、どれだけの苦しみを与えていたのだろうか。
シラユキは僕を拒まなかった。だけど、困惑の色が見える。
「嫌だったら、嫌って言って」
「……いや、では……ない、です」
嫌じゃないなら、よかった。
僕は静かにシラユキに話し出した。
「シラユキ、昨日はごめんね」
「……きの、う?」
「うん。僕はシラユキを傷つけた。僕にはシラユキが必要なのに、それを言葉にできなかった。だから、ごめん」
僕の言葉を聞いたシラユキは言葉を紡がなかった。ただ、シラユキの体からは強張りが消えていった。
恐る恐る、と言った様子で彼女の手が僕の背に触れる。
僕は小さく息を吐いてから、彼女の顔を見た。
シラユキは驚いたように目を見開いていた。今聞いた言葉が信じられない、とでもいうように。
僕は真正面からシラユキを見つめて、伝えるべき言葉を言葉にした。
「君が嫌になるまで、僕のそばにいて欲しい。僕にはシラユキが必要だ」
打算のない行動なんてない。現に僕の言葉も恣意的なものがないと言えば嘘になる。
だけど、この言葉は紛れもない本心だった。
僕と同じ、世界の嫌われ者であるシラユキ。
それは傷の舐め合いのようなものなのかもしれない。1人よりは2人がいい。そんな、消極的な心の幻影なのかもしれない。
だけど、僕には――シラユキが必要だった。
頬が熱くなるのを感じた。面と向かって、君が必要だ! だなんて正直ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
だけど目はそらさない。
シラユキは呆然とその言葉を聞いて、少し顔を俯かせた。
翳りのある顔に冷や汗が増す。嫌だった、のかな?
告白の返答を待っているような心地で僕が固まっていると、シラユキが小さく口を開いた。
「……シラユキは」
シラユキが顔を上げる。目元は濡れていた。
だけど。
「シラユキは、ひつよう、ですか……?」
「うん。必要だ」
シラユキの頬が緩む。同時に涙が溢れ出た。
「うぅ、ぅぅぅぅ」
「ちょ、ちょ、シラユキ⁉︎」
泣き出してしまったシラユキに驚いて、僕は慌てふためいた。
だけど、泣いた女の子を慰める方法がわからない。そもそも、泣かせたのは僕な訳だし。
仕方ないので、僕は黙ってシラユキを抱きしめた。
さっき拒まれなかったし、たぶん、大丈夫。だと思う。
背中を撫でてやって、僕はシラユキが泣き止むのを待った。
ここまでずうっと溜めてきたものを解放するかのように、シラユキは泣いた。
僕は黙ってそれを受け入れた。
しばらくして、シラユキは泣くのをやめた。
「ごしゅじん、さま」
「うん」
「わたしは、あなたのそばにいて、よいのですか?」
「うん。むしろそうしてほしい」
「……そう、ですか」
噛み締めるようにシラユキはそう言うと、体を起こした。
僕とシラユキの目が合う。その目に映ったのは、諦めの色じゃない。
「ごしゅじんさま、シラユキをおそばにおいてください」
――これからも、ずっと。
僕はその時のシラユキの顔を生涯忘れないだろう。
あの眩いほどのシラユキの笑顔を。
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