第11話 幼少期編11 アールヴ
アイがうちに来てから暫く経ったころ。
「……奴隷ですか?」
「そうよー、グレイ」
首を傾げる僕の目の前でそう言ったのは、僕の
8歳児の僕を産んでいるとは思えないほどの若々しさ。たぶん20代後半にも至ってないと思う。
これで二児の経産婦ってこの世界はどうかしてるんじゃないかな。
ちなみに、彼女のお腹はちょっとぽっこりとしている。つまり、3人目がお腹にいるのだ。
あの
僕が生まれても、なんというか父親は
まあ、確かに。うちの母様、めちゃくちゃ美人だし。
結局
案外可愛い……、いやきもいな。なんだか気分も悪いし、イライラしてきた。
考えないようにしよう。
一回深呼吸して、冷静になって。僕は母に向き直った。母は忙しない僕の様子を不思議そうにみながら、説明を続けた。
「グレイももう8歳だからね。側仕えの子が一人いた方がいいと思うのよ」
母はそう言って僕の頭を撫でてくる。流石に恥ずかしい年齢になってきたけど、僕は母には逆らえない。甘んじて撫でられることにする。
さて、貴族の側仕えというのは基本的に幼少期に付けられる場合が多い。例えば、母は北の辺境伯――侯爵家の令嬢らしい。母の側仕えはメイシアであり、彼女も母が幼い頃から仕えていたようだ。
側仕えの選定は非常に重要である。ある意味では人生のパートナーを決めるくらいには慎重に決めなくてはならない。なにせ側仕えは貴族が心を割って話せる生涯の友となりうるのだから。
「それって奴隷以外じゃだめなんですか?」
「うーん、奴隷じゃなくてもいいんだけど……。というか、本当は奴隷じゃない場合の方が多いんだけど……」
母は困ったように微笑んだ。それだけで僕はなんとなく察した。
うん。僕が忌み子、悪魔付きだからですね、間違いなく。
大体は妾の子供とか、側仕えの子が代々受け継ぐとか、そういう人選をするんだと思うんだけど。
僕の場合はそもそも子供を預けてくれるような人がいなかったらしい。
「メイシアの子はまだ生まれて2年くらいしか経ってないから、フェリシアかお腹の子の側仕えになるだろうし……」
うーん、なんというか。難儀だなあ。
人生中々うまくいかないものだ。魔術の勉強も相変わらず進展がないし。
「側仕えの人選は大事だから。グレイが自分で決めるといいわ」
「わかりました」
僕はニッコリと笑う。
安心する匂いに包まれながら、僕は気づいた。
母の肩が若干震えていることに。
僕は抱きしめる力を強くする。
だけど僕にできることなんてほとんどない。強いて言えば、生まれてきてしまったことが唯一の間違いなのだから。
だから僕は大丈夫と、彼女に伝えることしかできないのであった。
――――――――――
―――――――
――――
この国において、奴隷というのは合法である。
しかしながらその扱いに関する法はほとんどなく、その所有者に一存される。
つまり、この国における奴隷とはまさしく奴隷そのものなのだ。
奴隷を無闇に殺すことは法に問われるが、貴族ほどになると、奴隷の扱いに対して物を言われることは少ない。
いわゆる暗黙の了解のようなものだ。
故に僕は憂鬱なのだ。
貴族に買われることを良しとする奴隷は少なく、むしろ敵意を持つ者の方が多いだろう。
その中から、僕の側仕えを選ぶなんて、なんて難しい目標なのだろうと。
「坊ちゃん、イースタンノルンの街はどれくらい知ってるんだい?」
「あんまり知らないですね。街に出るのも数回くらいしかないんで」
目ぶかに被ったフードの位置を調整しながら、僕は隣を歩くむさ苦しい近衛のおっさん――バルザークに返答した。
彼はいつもの鎧姿ではなく、一般人のような格好をしている。その腰には大きな剣を携えているが。
あくまでお忍びの購入なのだ。特に僕の場合は市民にあまりバレてはいけない理由――つまり目のこと――がある。目立つような格好で出歩けない。
とはいえバルザークみたいな筋骨隆々の男はそんなにいないから今も十分目立っているけど。
「あー、そうか。うん、そうだったなあ」
バツが悪そうに首を掻くバルザークを見て僕は笑いそうになる。
僕が街を出歩かない理由に思い立ったらしい。まあ、普段気にしてないならわからなくてもしょうがない。
僕は賑やかな商店街を歩きながら、空を見上げた。
天気は快晴。街は活気に満ちている。
イースタンノルンは東の都市の中では2番目に大きい。ノルンよりも国境に近いため、商人の出入りも激しく、商業の都市としてはかなり栄えているほうだ。
スイとアイも楽しそうに僕の周りを回りながら、出店を物色するように飛んでいる。
たぶん、いつもと変わらない光景。僕は窓からしか知らない商店街の景色。
少しばかりの寂寥感と、高揚する気分。そんな感情とともに、商店街を巡っていたその時だった。
奇妙な感覚が僕を包んだ。
それはまるで世界から隔絶されたような違和感。周りの喧騒が、一気に遠くなっていく。
だけどそれすらも忘れて、僕は
その
それはその人物が連れ歩く
雑踏の中、ただ一人あまりにも異質な存在。そのはずなのに、その人は完全に溶け込んでいた。
(何、あれ)
言葉にならない驚愕。僕は息を呑む。
なぜ、誰も気づかない? なぜあの群衆の中に溶け込んでいる?
その人物はあまりにも美しかった。神の使い、あるいは神そのものか。それほどまでに彼女は完成されていた。
特筆するはその人間と異なる
だけど、それよりも。
彼女は静かに僕に近づいてきた。周りの誰も、バルザークも気付いていない。
スーッと近づいてきた彼女は僕の耳元に口を近づけた。
「面白いね、君」
脳を震わすような美声に軽い酩酊感が襲う。
気づけば、彼女の姿はいなくなっていた。
「坊ちゃん? どうかしたのか?」
バルザークが心配そうに声をかけてくるが僕は返事をすることができなかった。
ただ、僕の脳裏に焼き付いて離れないのだ。彼女の、あの
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
結局僕は奴隷を買ってくることができなかった。
あの謎の存在に出会ってから精根尽き果てたというかなんというか。
ともかく、奴隷の購入は別の日に行うこととなった。面目ない。
結局その日は、修練も何かもおやすみになった。心配した
僕は母に逆らえない。僕は甘んじてその日一日を休むことにしたのである。
今は自室のベッドの上。夜月の光が部屋を照らす、宵闇の頃。
僕はぼーっとして天井を眺めていた。
頭に浮かぶは今日のお昼の出来事だった。
誰にも気付かれず、しかし確かにそこに存在した不思議な人物。
月の光が僕を照らして、その黄金色の光と彼女の
脳裏から離れないのだ。あの人ならざる明眸が。僕と
「何者なんだろう?」
ふと、そんなことを口に出した。部屋には僕一人であり、返答を望んだものではない。だけど。
意に反して、その声に応える声があった。
「ふふ、気になるかい?」
「っ⁉︎」
脳を蕩かすような声が耳朶を打つ。それはまさしく、僕が昼に聞いた美しい声音だった。
声のしたほうに目を向ける。
そこにはいつの間にかあの、昼に見た少女がいた。
少女は窓に腰掛けていた。彼女の黄金色の髪を月光が照らして煌めく。周りには多種多様な光たちが輝きを放っていて、その眩しさに僕は思わず目を細めた。
スイとアイが困惑気味に少女を見ては、僕の後ろへと身を寄せた。なんか、警戒してるみたいだ。
「えっと、あなたは、一体?」
「ふーん。すごいね、君。こんなに精霊に好かれてる人間、中々見ないよ」
僕の質問に少女は答えなかった。長い耳がピクリと動いて、彼女は笑みを浮かべた。その黄金色の瞳に映るのは興味という感情の色。
僕はちょっと怖くなってきた。
考えてみれば、相手は貴族の家に立ち入ってきた侵入者である。それも、門番などをすり抜けて僕の元までやってきた。
金色の目は人ならざるモノの目である。それはこの世界の常識だ。ならば目の前の少女はなんだ? 僕と同じ、人ならざる目をもつ少女は。
「あは。そんなに警戒しないでよ。僕は敵じゃないよー」
往々にして敵が言いそうなことを少女は言う。
うん。怪しすぎるよね。
「……どうやってここに入った?」
「うーん? 普通に? 宵闇の頃は影に潜みやすいからね。相手の精神に干渉することもできるし、自分を偽ることだって容易だよ」
――もっとも、君には効かないみたいだけどね。
そう言って、少女は笑う。その容貌の美しさに思わず毒気が抜けてしまう。なんていうか、美人って本当にずるい。
僕は諦めたようにため息をついた。もとよりここまで侵入を許した以上、僕にはどうすることもできない。
魔術も満足に使えない8歳の子供が僕だ。彼女が刺客であれば、僕のことを殺すことは容易だろう。
「それで、あなたは? なんのためにここにきた?」
「ふふ。そうはやらないでよ。僕は別に君に害を与えにきたわけじゃないんだからさあ」
そう言って、少女は頬を緩ませると。ビシっ!と人差し指を振った。
「じゃあ、一つ目の質問ね。ぼくはルディって名前なんだ。君の名前は?」
「……グレイズラッド。グレイズラッド・ノルザンディ」
「ふーん。じゃあグーくんだね」
ニコニコと笑いながら少女――ルディうんうんと頷いている。
「じゃあ、二つ目の質問なんだけど、なんのためにここにきたかってことね?」
僕は小さく頷く。最悪の場合を想定して、僕は自分の木剣の位置を確認する。相手が害意を持っていたとしても、僕はタダでやられるつもりはなかった。僕は緊張にゴクリ、と唾を飲み込んだ。
しかし、続く少女の言葉で僕の心配は杞憂に終わる。
「君と――遊びに来ました!」
「……」
ビシッと僕を指さすルディ。聞こえてきた言葉の意味を咀嚼するまで時間がかかる。何言ってんのこの子。
「は?」
「だーかーらー! グーくんと遊びにきたの!」
「いやいやいやいや。え? どういうこと?」
意味がわからない。ルディさんとは今日が初対面。遊ぶような仲でもない。なんなら、街中ですれ違っただけだぞ?
思わず脱力した僕に、ルディがキラキラとした目を向けてくる。
「ねね、何して遊ぶ? こんなに精霊に好かれてる人間初めて見たからさあ。昼に会った時からずっと遊びたいなあって思ってたんだぁ!」
無邪気な子供のような言葉である。もっともそれを言ってる少女の体は、子供というには成熟し過ぎであるが。
ふと、目についた大きなお胸から目を逸らしながら、僕は首をかしげた。
何か引っかかりを感じる。そう、先ほどから彼女が言っている言葉。聞き覚えのない単語に。
「……精霊ってなんだ?」
僕の呟きにルディが不思議そうな顔をした。
「精霊、知らないの?」
「うん。初めて聞いたよ」
ルディが周りを見渡して、首をかしげる。
「この子達が見えてないの?」
「この子達って……、この光のこと?」
僕はルディの周囲に漂う大量の光たちに目を向ける。
「そうそう! 見えてるじゃん! 精霊!」
「えっと……この光が、精霊なの?」
「そうだよー。人間で見えるのって珍しいんだよ! ほら、ぼくみたいな目を持ってなきゃいけないからさあ」
そう言って、ルディは自分の目を指さす。英雄の目、あるいは悪魔の目。黄金色の目が月明かりに照らされて光った。
と、唐突にルディがずいっと、僕との距離を詰める。僕の顔を覗き込むように、美しい顔が現れて、ドキッとした。
暖かな少女の香りが鼻腔をくすぐる。
「人間でこの目をもつ人は久しぶりに見たなあ。そういえば、君はぼくの目を怖がらないんだね?」
「そりゃ、自分の目と同じだからね」
「人間も難儀だよねえ。目の色が違くたって何にも変わらないのになあ」
やれやれと手を振るルディ。
それにしても。
さっきから、人間人間って、まるで自分が人間じゃないみたいな言い方をする。まあ、耳の形が人間と違うから、別の種族なのは間違いないんだけど。
「えっと、ルディさん?」
「あ、ルディでいいよ!」
「……じゃあ、ルディ。君は人間ではないの?」
僕の質問にルディはうんうんと頷いてみせた。一々リアクションがオーバーな子である。
ルディは自身の耳を指差しながら僕に告げる。
「そだねえ。ぼくはねアールヴって種族なんだ」
アールヴ聞いたことがない種族だ。
「人間の中ではねえ。エンシェントエルフとか、ハイエルフとか呼ばれてるよ!」
「エンシェントエルフ、ハイエルフ……」
「そそ。これでも結構すごい種族なんだよ!」
この世界には人間以外の多数の種族がいる。それは家庭教師から習った事柄だ。
魔物もそうだし、それ以外にも獣人族や龍族、魔人族、エルフ族、ドワーフ族とか。いろんな種がいるのだ。
その中に、伝説上の種族というのがいる。始まりの種族と呼ばれる種族だ。その中に、エンシェントエルフという存在がいたのを僕は思い出す。
「伝説の存在ってやつ?」
「あははは! 伝説なのかなあ? でもぼくはここにいるしなあ」
陽気に笑うルディはどこからどう見ても普通の女の子にしか見えない。これが本当に伝説の種族であるエンシェントエルフもといアールヴなのだろうか?
……なんか、難しく考えるのも馬鹿らしくなってきた。
「それで、えっと。遊ぶんだっけ?」
「うんうん。何してあそぼっか。精霊術とかやってみる? ここにはいっぱい精霊がいるからね!」
また、聞き慣れない言葉が出てきた。
「精霊術って何? 魔術とは違うの?」
「あはは、魔術とは全然違うよ! 魔術の術式じゃあぼくとか君の魔力には耐えられないからね。頑張って手加減しないといけないから」
いまいち何を言ってるかわからない。ルディは僕の顔を見ると、ニコニコしながら空中に浮かぶ光に声をかけた。
「ねね、光の精霊さん。ちょっとお手伝いしてよ」
ルディの言葉に、白い光達が反応して近づいてくる。ルディがその光達に触れると、彼女の体が眩く光った。
直後に彼女の手元に複雑怪奇な紋様が浮かび上がった。僕の知る魔術の発動の際に現れるものとは全く異なる紋様だった。
その瞬間。目の前の景色が真っ白に輝く。瞬きの後に映ったのは先ほどのルディの姿。だけど、何やら体全体が先ほどの紋様で埋め尽くされていて――。
「わ!」
「っ!?」
後ろからかけられた声に大声を出しそうになった。気づけばルディは僕の背後にいた。抱きつくように僕に体重を預けている。人肌の暖かさが彼女が本物であることを物語っている。
しかし、僕の目の前には彼女そっくりの
背中に押しつけられる柔らかな感触を気にしないようにしながら、僕は彼女に声をかけた。
「えっと、あれは?」
「ふふ、あれはね幻影だよ。光の精霊術。まあ、魔術でもできなくはないけど、多分もうちょっと雑なんじゃないかな?」
使った魔力の量と質が違いすぎるからねえ、とルディが笑った。
「魔術に使う魔力ってさ。人間の魔力だから、質がよくないんだ」
「質?」
「簡単にいえば属性の濃度っていえばいいのかな? 人間の魔力の濃度って薄いんだ。だから、それを増幅させたり、威力を増す術が組んであったりするの。人間は魔術の陣が見えないからね。詠唱なんてシステムも作って魔力をうまく使えるようにしてね」
だから、とルディは話を続ける。
「僕とか君みたいに魔力の質が濃いとさ。魔術の陣を壊しちゃうんだぁ。君も魔術使えてないんじゃない? もしかして」
「……うん」
ルディに言われて僕は頷いた。なるほど、僕が魔術を使えなかったのにはこんな理由があったのか。
スイの力を借りて魔力を流した時も、魔術の陣――あの幾何学模様が耐えられずに壊れたから、魔術が発動しなかった、と。
僕の言葉を聞いて、ルディはハッと何かを思いついたかのように手を打った。
「ねね、じゃあさ。ぼくが精霊術を教えてあげようか?」
「え?」
「ふふ、君は随分と精霊に好かれてるしね。なんならなぜだか、ぼくも君に
ちょっと照れくさそうなルディ。傾国の美少女にこんなことを言われて僕自身も恥ずかしくなってくる。頬が熱くなるのを感じた。
「なんでだろうねぇ。君の魔力の特性なのかな。正直無色透明ってかなり珍しいから、あんまりんぼくも知らないんだよねえ」
「えっと、そうなの?」
「うん! 珍しいよ! ぼくも長いこと生きてきたけど、ほとんど見たことがないよ」
僕は自分の体を覆う魔力に目をやる。無色透明なのに僕の目は、この魔力を捉えている。この魔力はいったいなんなんだろう?
「まぁまぁ、いいじゃん。とりあえず、ぼくが精霊術教えてあげるよ! 君は高位精霊にも随分好かれてるみたいだし、すぐにできるようになると思うよ!」
満面の笑みでそう言うルディ。僕は少し考えて――頷いた。
魔術が使えないなら、別の方法で。どんな方法であっても、僕は魔法のような力を使いたい。
「わかった。これからよろしくね。ルディ」
「ふふ。よろしく! グーくん!」
差し出された手を握り返す。まだまだ子供である僕の手より大きな手。だけど、大人にしては小さなその手を僕はしっかりと握った。
この日、僕は奇妙な出会いを果たした。
初めて同じ目をもつ少女との出会い。そして、初めての友人ができた。
この出会いが生み出す結末がどうなるのか。今はまだ、誰も知らない。
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