第7話 幼少期編7 家族

 ――お前が忌み子のグレイズラッドか。ノルザンディ家の恥晒しめ。


 そう言われた僕の胸中を占めたのは困惑であり、呆れだった。

 成人男性と相違ない精神を持った僕にとって、9歳ほどの男の子の罵詈雑言など毛ほども気になるものではない。


 「らしいですね。では」


 僕がいけしゃあしゃあとそう言って、彼の横を通り過ぎようとする。しかし、そうはさせないと男の子は僕の前に立ちはだかった。向こうのほうが一回り大きく、僕は彼を素通りすることができない。

 僕はめんどくさげに彼を見上げた。


 「えっと、僕急いでるんですけど。というか、あなた誰ですか?」

 「お、おま! っ! このっ!」


 僕の言葉に金髪の彼の顔が真っ赤になった。あまりの怒りに声も出ないと言った様子。

 そこまで、彼の様子を見て、僕は思い出した。確か、本家には幾つか年の離れた兄がいると。母から聞いていた気がする。もっとも、母の子ではなく、クソ親父アーノルドの本妻の子であるらしかったが。


 「……えっと、確かエーデノルドだったっけ?」

 「エーデノルド様と呼べ! 不敬だぞ!」


 地団駄を踏みながらそう言う彼は、つまるところ僕の異母兄にあたる存在であるということだった。


 「……はぁ。それで、エーデノルドお兄様は僕に何の用なんですか?」

 「忌み子に兄と呼ばれる筋合いはない!」


 話にならないとはこのことだろう。なんでこいつ僕に絡んできたんだ?

 エーデノルドはコホンと咳払いをすると、冷たい目で僕を見下ろしてくる。


 「お前は一目見ておく必要があった」

 「はぁ」

 「その金眼。どうやら本物らしいな」

 「……金眼?」


 僕が反応すると、エーデノルドは憐憫の眼差しを向けてきた。


 「なんだ? 知らなかったのか?」


 エーデノルドが僕を指さす。


 「お前の持つ金眼は人ならざるものが持つ目だ。故にお前は忌み子であり、悪魔の子なんだ」

 「……」


 知らなかった。


 「……まあ、いい。そのうちにお前は処分する。そのために顔を見にきたのだが……」


 ――現実を知らぬ道化か、要らぬ関心だった。


 そんなことを言いながらエーデノルドは去っていった。

 ……結局何がしたかったんだ、あいつ。わざわざお前を殺す、って言いにきたのか?


 僕は首を傾げながら、スイと一緒に来客室の方に戻るのだった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 来客室にはコルネリアフェリシア、そして侍女メイシアに加えてこの屋敷の執事。最後に見知らぬ少女がいた。

 金色の髪と碧眼。年の頃は10代前半くらいか。美しい少女ではあったが、母と似ていなかった。少女はフェリシアの相手をしていたが、僕が入ってきたことに気づくとその美しい顔を顰めた。その瞳には嫌悪と憐憫が混じっており、とても気持ちのいい目ではない。


 僕はため息をつきたくなるのを堪えながら、母に話しかけた。


 「母様、ただいま戻りました」

 「そう。それじゃあ、帰りましょうか」


 母はにっこりと笑うと、フェリシアを呼ぶ。フェリシアは母に抱きついた後、僕の姿を認めてこちらに駆けてきた。

 スッと僕に寄り添ったフェリシアの小さな手を握る。フェリシアがにぱっと笑った。

 そんな様子を面白くなさそうに見ていた金髪の少女が僕に声をかけてきた。


 「あなたがグレイズラッドね」

 「そうですが」

 「……ジェスティーナ・ノルザンディ。あなたの異母姉にあたる存在よ」


 吐き捨てるようにそう言った少女、もといジェスティーナの顔は硬い。見るからに好意的ではない。


 「今後フェリシアにあんまり近づくんじゃないわよ」

 「……え?」

 「自身の立場を理解しなさい」


 冷酷にそう言ったジェスティーナは他の人たちに挨拶をすると、来客室を出て行った。


 母を見ると、どこか辛そうな顔をしている。顔は笑顔だが、作り笑いというか、そういった感じだ。


 その様子を見て、僕は自分の立場がどういったものか少しばかりわかってきた。


 金色の眼を持った悪魔の子でノルザンディ家の忌み子。どうやら、僕の2つ目の人生はどうにも波乱万丈な始まりを迎えていたらしい。


 『……神が宿ると言われし、黄金色の瞳は実に美麗だ。これが、生まれし時のものならば、なにも言うことは無いのだがのう……』


 かつて赤子の時に聞いた、老人の言葉が蘇る。


 僕はこの後どうなるのだろうか。順風満帆だったはずの人生に翳りが見えた気がした。心の奥底に宿る不安の種を、僕は見ないフリしながら、母に微笑みかけた。

 フェリシアが不思議そうに僕を見上げている。


 大丈夫。僕はまだ、家族として見てもらえている。大人の精神を持ったはずの僕の肩が、微かに震えた気がした。




――――――――――――

――――――――

――――




 本家で最悪の出会いを果たした数日後のこと。


 僕は窓辺に腰掛け、頬杖をつきながら外を眺めていた。

 視界を緑の光がかけていく。今日は風がそれなりに強い。風の強い日は、世界が緑に染まる。


 僕は思い返していた。自身の異母兄が、そして異母姉が僕に向けて放った言葉を。


 ――お前の持つ金眼は人ならざるものが持つ目だ。故にお前は忌み子であり、悪魔の子なんだ。

 ――今後フェリシアにあんまり近づくんじゃないわよ。

 ――自身の立場を理解しなさい。


 エーデノルドとジェスティーナの言葉が脳裏に蘇る。

 彼らによれば、僕は金眼の持ち主で悪魔の子であると。それが僕――グレイズラッド・ノルザンディの今の立場であると。

 その時は何とも思わなかった言葉も、家に帰り、冷静になれば、また違った感性で受け取ることができた。


 僕は思い返す。生まれてから、この目になり、そしてここまで生きてきた日々を。

 そして気がついたのだ。彼らの言葉も、あながち間違いではなさそうだということに。

 

「…………」

 

 思えば、確かに予兆はあったように思う。

 

 あの事件、僕の眼に変化が訪れたあの日以降。僕はメイシア以外の侍女メイドとしっかりと話していない。もとより他の侍女メイドとの関わりは薄かったが、それでも挨拶をすれば、それなりに僕に構ってくれていたように思う。それが、あの日以降ぱったりとなくなった。


 挨拶は返してくれるが、どこかよそよそしい。最低限、という言葉が正しい表現だろう。

 当時の僕からしたら、些細な変化だった。ほんの少し、僕から興味が消えただけ。そう思っただろう。

 給士メイドも貴族に仕えている以上、その御曹司である僕を無下にはできない。故に僕は気が付かなかった。彼女らの心が生んだ、僕に対するくすぶりを。


「……ふぅ」


 湧き出でる寂寥感に蓋をするように、息を吐いた。

 気づきは自身を傷つける。知らなければ幸せだった、という言葉はきっと正しい言葉だ。


「スイ」


 僕の言葉に反応した緑光スイが僕のほうに飛んできた。目の前でふわりと浮いたスイは、楽しそうにくるくると僕のまわりを回りだす。僕が手を伸ばすと、スイは自身の体を僕の手にくっつける。ほんのり暖かな緑の光が僕の手を伝い、全身に広がった。まばゆい輝きののち、スイはまたしてもくるくると僕のまわりを回ると、ぴょいと窓の外へと飛んで行った。スイは手を振るかのように明滅して、ちょっと行ってくるとばかりにどこかへ飛んで行った。

 その様子を見て、僕の寂寥感は幾ばくか落ち着いた。

 

 「スイは、うん。なんか、変わらなそう」


 一人呟くように嘆息する。その後もしばらくぼーっと外を眺めていると。


 ――コンコン。


 ノックの音が響く。同時に扉が開いた。

 僕が振り向いた先には、小さな金髪の少女。僕の愛しい妹君フェリシアがそこにいた。

 彼女は僕の姿を目にとめると、ぱあっと顔を明るくして僕のもとに駆けてくる。


「フェリシア?」

「にぃに!」


 突撃してきた妹を僕は優しく受け止めた。にこにこと僕をみるフェリシアには全くの邪念も懸念もない。純粋で無垢な笑顔が僕には向けられていた。僕はよしよしとフェリシアの頭を撫でた。絹糸のように滑らかな彼女の髪を優しく梳く。フェリシアが気持ちよさそうに目を細めた。


「フェリシアはお兄ちゃんが本当に好きね」


 声にはじかれて顔を上げると、そこにはコルネリアの姿があった。少し苦笑したような顔をしている。どうやらフェリシアを追いかけてこちらに来たようだ。

 コルネリアの僕を見る目は穏やかだった。

 だが、感傷に浸っていた僕にはわかってしまった。彼女の顔からは憂いの気配を感じる。

 

「母様?」

「私はいつまでもグレイの味方よ」


 コルネリアはそれだけ言って、僕を抱きしめた。僕の腕の中にはフェリシアがいたので、彼女が僕と母のサンドイッチのような状態になる。むぎゅっと言って、少し苦しそうに身じろぎした。そのさまが少しおかしくって、僕は笑ってしまった。

 母が驚いたように僕を見る。


「母様、ありがとう」


 僕は6歳に至るまで、家の外の人とほとんど話したことがない。家の外に出ることを許されていなかったからだ。それはおそらく、3年ほど前に僕の眼が変化してしまったから。僕を守るために、母がそうしたのか、あるいはクソ親父アーノルドの指示によるものなのか。そのあたりはわからないけれど。

 だけど、今後はそうもいかなくなる。僕が成長するにつれて、外部の人と関わる機会は絶対に増えてくる。悪魔の子として殺されることがなければ、その未来は必然だ。


「にぃに?」


 上目遣いに僕を見つめるフェリシア。その目は純粋で穢れがない。母を見上げると、彼女もまた微笑んだ。

 願わくば、彼女らがいつまでもその目を向けてくれることを祈って。

 僕は今の幸せをかみしめるのだった。

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