第6話 幼少期編6 父親

あれからまた、3年ほどの月日が流れた。

僕もおそらく6歳くらいになったんだと思う。

この国では毎年誕生日を祝わないから、若干曖昧だ。


僕は自室の椅子で本を手に取っていた。この国の言語の教科書である。僕はぼーっとしながらページをぱらぱらとめくっていた。内容はほとんど頭に入ってこない。そして小さくため息をついた。


相も変わらず、僕は暇を持て余していた。


4歳頃から、僕には家庭教師がつけられるようになった。

今更ではあるが、どうやら僕はなかなかに裕福な家に生まれていたらしい。

家には何人もの侍女メイドがいるし、家もすごく大きい。今もたまに迷子になるくらい広いのだ。

加えて、家の外も広大な庭が広がっている。僕の背には高すぎる石垣に囲まれていて、僕は真の意味で家の外に出たことがなかった。

それに僕は自分の名前をグレイだと思っていたが、正式な名前はグレイズラッド・ノルザンディと言うらしい。

なんとも貴族っぽい名前である。


どうやら裕福な家の御曹司らしい僕に、4歳という幼い時期から教育係をつけるのは納得できるものだった。

もっぱら教わるのは、算術や語学、歴史、貴族のマナーといった内容だった。特に貴族の風習に関しては特に厳しく教え込まれた。こちとら4歳なのだからもう少し手心を加えてほしいと切に思う。


 この国の歴史や、貴族のマナーなど目新しいものもあれば、算術のように僕が学ぶにはあまりにもレベルが低いものもある。4歳児に高校の内容を教えることがないように、僕が教わる算術はとても易しいものだった。2年もあれば、あらかたのマナーや歴史は覚えられたし、語学もある程度理解できるようになる。家庭教師と母は僕を天才だと褒めちぎったが、精神的には30歳を超えている僕はズルをしているに等しく、全く喜べない。中身は凡夫なのでいつか失望されるかもしれないと考えると、悲しくなった。もちろん母には迷惑をかけたくないし、失望もされたくないから、努力は厭わないつもりではあるけれども。


 さて、凡夫とはいえ中身は大の大人である僕は、この年齢で履修するような知識はほとんど納めてしまっていた。家庭教師の担当者はこれほど早く修めるとは思わなかったらしく、教材の収集やカリキュラムの調整に時間が欲しいということでしばらくの間、家庭教師はお休みになってしまっていた。


 そのため何かやるにも、何もできないのが今の現状だ。僕は勝手に外に出ることを許されていないため、外出も不可能である。正直、暇を持て余している。


 そしてもう一つ、僕がここまで暇を持て余している理由があった。


 「……いつになったら魔法を教えてくれるのかなぁ」


 魔法を教えてもらえない。僕の退屈の最大の原因はこれだった。

 6歳になっても僕は魔法を勉強することを許されていなかった。

 あの頃から僕の魔法への知識は全く変わらない。使い方も、その性状も、何もかもがわからないまま。

 無為に過ぎていったこの6年間が実にもどかしかった。


 なぜここまで厳格に魔法の勉強を禁じられているのか。それには理由があった。

 なんでも、あまりにも早い段階で魔法を使うと、「魔力」の放出に障害をきたすらしいのである。

 「魔力」とは魔法を使うのに必要となるエネルギーのことらしい。確証はないが、僕がたびたび見てきた光はこの「魔力」なのではないかと僕は考えている。

 「魔力」が放出できないと、「魔力」を用いることができなくなる。つまり、「魔法」が使えなくなる。

 いち早く魔法を使いたい僕も、そう言われてしまうと何も言えなくなってしまうのだった。魔法が使えなくなるのは嫌だったからだ。


 「……待つしかないか。ね、スイ」


 僕がそう言うと、視界を回っていた緑光スイが嬉しそうに僕にすり寄った。

 スイは前よりも随分と鮮明に見えるようになった。それに感じる圧も大きくなったように思う。

 大きさは相変わらず変わらないが。なんだろうか。色濃くなったというか。が上がったように感じる。

 スイに触れると、緑の光がすーっと僕の肌を伝う。僕はこの光をどうにか動かそうといろいろと試していた。

 だけどあんまりうまくいかない。なんとなく触れている感覚はあるのだけれど、一向に動く気配がないのである。


 僕はふぅっと、息を吐く。


 ちょうどその時、パタンと僕の部屋の扉が開いた。

 ドアを開いたのは金色の髪の美しい女性――母ことコルネリア・レラ・ノルザンディだった。コルネリアの足元には僕の肩ほどしかない小さな少女がいた。

コルネリアそっくりの金色の髪を下した彼女は、僕の姿を認めると一目散に駆けてきた。


 「にいに!」


  満面の笑みで僕をそう呼ぶ彼女は、何を隠そう。僕の妹である。名前はフェリシア・ノルザンディ。母の面影を強く感じる彼女は、将来間違いなく美人になる素質を秘めていた。

 フェリシアは僕が3歳頃の冬に生まれた子だ。今の僕が6歳なら、彼女は現在3歳ということになる。

 僕に抱き着いてきたフェルシアはそのクリっとした碧眼で僕を見上げた。その様が可愛くて、僕はフェリシアの絹糸のような金髪に手を伸ばした。彼女の頭を撫でると、フェリシアは気持ちよさそうに眼を細めた。


 ああぁ~、可愛すぎる。


 思わず、頬が緩んでしまう。人形のようにかわいい妹、そんな子が僕に懐いてくれているのだ。可愛くないわけがない。


「グレイ、話があるの」


 僕がフェリシアの可愛さにニヨニヨしていると、母が話しかけてきた。その声はいつもの優しい声音では無く、どこか硬さを感じる。真面目な話なのかと、僕が母を見上げた。


 母は躊躇うように目を伏せると意を決したように口を開く。

 その内容は僕を驚愕させるに十分な内容だった。 


 「アーノルド・ドライ・フォン・ノルザンディ――グレイのお父さんにこれから会いに行くわ」


 それは、生まれてから一度も会ったことがなかった。僕の父親の話であった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――




 生まれてからずっと不思議に思っていたことがあった。

 母がいて、メイドがいて、順風満帆な生活。

 妹のフェリシアもいて、家は賑やかになった。

 だけど、ずっと足りないものがあった。


 それは父親の存在だ。


 僕は生まれてから一度も父親に会ったことがない。そして、母も父親の話をしようとしなかった。

 

 最初は父は亡くなってしまったのかと思った。病や事故など死の危険は多数ある。

 だけど、フェリシアが産まれたことでその説は否定された。


 どうして会いにきてくれないのか。僕はずっと疑問に思っていた。


 だけど、6歳になった今日。僕は父に会いに行くという。


 正直、父親といえど6年間放置されてきていた。だから、肉親の情なんてものはなく、知らない男に会いに行くという感覚が強い。


 だけど、肉親に変わりはないし、これから話せるようになったらいいかな、なんて。

 そんなことを僕は考えていた。


 考えていた――けれど。


 「……やはり悪魔付き、か」


 書斎に響く低い声が僕の耳朶を打った。目の前にいたのは人相の悪い大柄な男。歳の頃は40代ほどに見える。これでコルネリアと結婚したのかと考えると、かなり犯罪的だな、と僕は思った。


 そして父親アーノルドの放った第一声を聞いて、「あ、こいつとは仲良くなれない」と直感的に悟ってしまった。

 悪魔だなんて、6年越しに出会った息子にかける言葉ではない。思わず、こいつ何言ってんだ? って顔をしてしまった。

 それを見てアーノルドが蔑むように僕を見た。とても家族に向けるような目ではない。


 「悪魔、と呼ばれたのが不服か?」

 「……理由がわかりません」


 悪魔と呼ばれる理由に心当たりはない。


 「神童、と聞いていたのだがな」


 アーノルドはそう言うと、失望したように背を向けた。もう話すことはない、とでも言うように。

 納得ができず、僕はその背に向かって声をかける。

 

 「どういうことでしょうか?」

 「……その目に問いかけたまえ」


 それっきり、アーノルドは黙り込んだ。


 こうして、人生史上最悪の父親との初対面は終わった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 「なんなんやあいつは!」


 僕は憤っていた。それはもう怒っていた。

 思わずかつての言語――日本語が飛び出てしまうくらいにはイライラしていた。

 

 初めて出会った息子に対して悪魔とか、とても親の言うことではない。加えて、そう呼ぶ理由もまともに教えてくれないのだ。

 何が「その目に問いかけてみるがいい」だ。意味深なこと言って適当にはぐらかしやがって。


 歩き慣れない廊下を進みながら、僕はあの髭面親父に心の中で悪態をついた。


 ある程度心の中でクソ親父をボコボコにした僕は、少し冷静になった。

 だが、冷静になっても状況は変わらない。あそこまで、彼が僕を拒絶した理由がわからないのだ。


 僕はふわふわと浮かぶスイに目をやりながら、ため息をついた。とりあえず、家に帰ろう。


 今僕がいるのは、ノルザンディ家の本家である。ノルザンディ家は王国の東に位置する辺境伯家であり、その規模はかなり大きい。

 ノルザンディ家の本家は東の最大都市であるノルンにある。権威を見せるため故にか、その広さは言い表せないほどに大きい。

 僕の住んでた家も大概大きいと思ったけど、この家を見た後だと随分と小さく感じる。それほどに大きさの差があった。

 ちなみに僕の生まれ育った街はノルンのさらに東に位置する、イースタンノルンという街である。ノルンほどではないが東の第二都市と呼ばれるくらいには栄えている街だ。


 帰りは来客室に戻ればいいんだっけ。僕は来客室までの道を頭の中で思い浮かべる。

 そもそも家族のはずなのに、来客室とかに通されるものなのか、とか疑問は湧くけど、その辺りのことは僕にはよくわからない。

 ただ、父親の対応からして、僕が歓迎されていないのは確かである。それが関係するのか、それとも分家への対応はこんなものなのか。

 答えの出ない疑問にぐるぐると思考を働かせる。

 そんなことを考えながら、歩いていたからか。僕は前から歩いてくる人影に気づかなかった。


 「おい、お前」


 声をかけられた僕が顔を上げると。

 そこにはやたらと上質な身なりをした金髪の男の子が立っていた。僕よりもひとまわり背が高い。3歳くらい年上だろうか。目つきの悪い碧眼が僕を見下ろしていた。


 「えっと? どうかなさいましたか?」


 そんなことを言いながら、僕は首を傾げた。見たこともない金髪の男の子。しかし、その面影は誰かに似ている。そう、例えばあのクソッタレなのような……。

 男の子は僕を見ると、気味が悪そうに顔を顰めた。

 そして嘲るように僕にこう言ったのだった。


 「お前が忌み子のグレイズラッドか。ノルザンディ家の恥晒しめ」

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