第5話 幼少期編5 スイと英雄譚

 また、2年ほどの歳月が過ぎたと思う。

 前よりもずっと背が伸びて、あたりを歩き回るのにも苦労しなくなってきた。

 わかる言葉も、話せる言葉も増えた。

 あれ以来、目が痛むことはなかった。


 むしろ前よりもより鮮明に、光が見えるようになった。


 今まで、辺縁がぼやけていたのが、よりはっきりと見えるようになったと言えば良いのだろうか。

 そして、あの時に見えた大きな緑光は、今なお、僕の回りをふわふわと飛んでいた。


 あの日からである。


 寝ても覚めても、目の前を浮いているため、僕はこの光に名前をつけた。


 その名もスイ。


 緑とはつまり、翠色すいしょく。ここからスイと名付けた。なんとも安直だが、これ以上の名前を僕は思い付かなかった。


 僕が名付けをしたとき、たぶんこの子は喜んでいたと思う。いつもよりもより激しく動いてたから、おそらく。たぶん。きっと。


 結局この光はなんなんだろうなぁ。


 相変わらず、わからないことは多いし、幼子である僕は基本的に暇だった。

 

 母に魔法? を教えてもらおうとしても、まだ早いと断られてしまった。どうも、ある一定の年齢にならないと魔法を教えてはいけない決まりになっているらしい。


 魔法書? のようなものも見るのは禁じられていた。

 僕に許されていたのは、幼児用の英雄譚、あるいは童話くらいなものだった。

 残念ではあったが仕方がない。


 それに文字もまだ全てはわからないのだ。いつも僕の世話をしてくれる侍女メイドであるメイシアや母に読み聞かせてもらわなければ、僕は物語すら満足に読めない。

 メイシアは僕を視界にいれつつも家事に勤しんでいるため、邪魔をするわけにもいかない。


 それで、相も変わらず僕は暇をもて余しているのである。


 「スイ、君はなんなんだい?」


 僕が小さな声で緑光スイに話しかけると、彼? は嬉しそうに僕のそばにすり寄ってきた。

 スイに触れると、手のひらが暖かくなる。スイから流れ出た緑の光が、僕の体を伝う。


 魔法を使うときの母もこんな感じで、身体中に光が溢れていた。これを収束させれば僕にも魔法が使えるのかな?


 ふん、と踏ん張ってみたがなにも起こらなかった。表面を流れる光は触れることはできても動かすことはできなかった。ほどなくして、光は消えてしまった。

スイが楽しそうに僕の周囲をくるくると回り出す。


 僕は小さく息をつく。

 あまりにも、あまりにも、暇だ。


 僕は自分の用具いれに手を伸ばした。

 中には、母からもらった英雄譚の物語がある。

僕は本を開いた。

 まだ読めない字も多いけど、ある程度物語の内容は覚えている。

 一つ一つの文字を悩みながら僕は読み進め始めた。



――――――



 英雄譚。

 それは、過去が紡ぎ、今へ伝わる希望の物語。


 かつて、世界は「災厄」に溢れていた。

 強大な魔物に追われ、人々は生きる希望を失いかけていた。

 魔物とは魔を操る物。それはおぞましく、見るものを狂気へと誘う化け物であった。そんな人ならざる怪物は、「魔」を現界させる力を持った。

 「魔」とは何か。それはこの世の全てを象るものだ。

 大地も水も、空も、生物も、もちろん――人も。


 「魔」はありとあらゆるものの「要素」であり「源」であった。


 なればこそ、「魔」を操ることができる「魔物」の恐ろしさがわかるだろう。

 ある時は巨大な業火を以って。ある時は天に上るほどの海嘯かいしょうを以って。ある時は大地の怒りを以って。ある時は終焉を思わせる颶風ぐふうを以って。

 魔物は一息に街を破壊し、人を殺し尽くした。

 「魔」を操る術を持たぬ人族は瞬く間に追い込まれていった。

 しかし、人々は希望を捨てなかった。

 偉大なる神に祈り、知恵を絞り、死力を尽くした。

 数々の種族がその手を取り合い、ついに救世主が生まれた。


 救世主は七色の力を用いて「災厄」に立ち向かった。


 その煌々たる双眸そうぼうが見据えていたのは、希望の光か。あるいはその遠く未来か。


 彼女は「災厄」を討ち滅ぼした。


 そして、全ての魔物はこの世を去った。


 救世の聖女――アンリエット・ルーデシア


 彼女の功績を後世に伝えん。


 著.キールデイ・アナハイム


 ――――――



 僕は「救世の聖女」と題うたれた本を閉じた。


 僕は基本的におとぎ話を信じていない。

 本によれば、この話は遠く1000年以上前のお話だという。

彼女アンリエットの功績により、人々は「魔物」の脅威から解き放たれ、ここまで繁栄してきた。彼女のお陰で、人はかねてより苦しめられてきた「魔」というものを操る術を得て、巨大な力へ対抗できるようになった。

 ただ一人の人間によりそのようなことができるのか、甚だ疑問ではあるが、それが事実ということになっている。


 胡散臭い話だなと、思う。

 だけど、作り話と切って捨てることが僕にはできなかった。それほどにこの話はどこか現実的だった。そしてなにより、虚構と切って捨てさせはしない。そんな著者の意思を感じるのだ。


 僕は本を道具入れにしまった。

 メイシアが近づいてくる。


「グレイズラッド様、お食事の時間です」


 言われて、自分が空腹であることに気づいた。

 暇と言っていたわりに、思っていたよりも英雄譚に熱中してしまっていたらしい。

 僕は頷くと、彼女につれられて食事どころへと向かうのだった。




――――――――――



 彼女アンリエットはいつもどこかを見ていた。その双眸が捉えていたのは、魔物でも人でもなかった。

 彼女が見ていたものはなんだったのだろうか。


 希望か、あるいは未来か。絶望か、あるいは過去か。


 救世の聖女 終章.p367 より抜粋。

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