第20話


 巨大な苔ウサギを仕留めた後、ルトアとカルラにしこたま怒られた。


 同じ顔の二人に両側からお説教をされるとなかなかの圧力だ。それでも二人とも俺のことを心配して怒ってくれてるというのはわかるから、ただただ申し訳ない気持ちになる。



「まったく君は無鉄砲にも程があります! 新しい装備があるからと言って過信してはいけませんよ。相手の脅威がどれほどのものか判断がつかないうちに突っ込むとはどういう了見ですか。助かったからいいものの大怪我してた可能性だってあるんですからね?」


 ルトアはこんな調子でさっきから語気を強めている。腰に手を当て、鋭い眼光で睨めつけるようにスイに圧をかける。



「つーか馬鹿? 馬鹿だろお前。一人で突っ込んでどうにかなるような相手に見えたのか? あのデカブツが? しかもオレらの言うことまるっと無視しやがって。結果よければそれでよしとか言ったらぶん殴るからな」


 カルラは苛立ちをあらわにしながら腕を組んでスイを見下ろす。顎が上がっているせいであまり見えないが、きっと眉間にはくっきりとシワが刻まれていることだろう。



「ご、ごめんなさい……心配かけて」


 二人の長いお説教の最後にスイが頭を下げ、ピリピリとした雰囲気が終息を迎えた。


 スイは安堵のため息をこっそり漏らし、改めて動かなくなったその巨体を見た。



「それにしても、すごく大きな苔ウサギだったなぁ」


 スイの呟きにカルラが反応を示す。

「それ、さっきも言ってたけど何? 苔ウサギ? アレはプラシクネだろ?」

「え? プラシクネ? 苔ウサギ、だよな?」

「いや、プラシクネだろー」


 要領を得ない二人のやり取りにルトアが口を挟む。


「呼び名が違うだけですかね? もしかして」


 口元に軽く指を添え、首を傾げた。

「私たちはこの魔物をプラシクネと呼んでいますが、スイの住んでいた地域では苔ウサギと呼んでいたのでしょうね」


 その推測に、なるほどとスイとカルラが頷く。そして一拍遅れてスイはある単語に耳を疑った。



「魔物!? 苔ウサギ……じゃなくてプラ、ネ……なんだっけ。まぁいいや、アレって魔物なのか?」


 横たわる緑色の塊を指差してルトアを見ると、キョトンとした顔でさらに首を傾げた。


「ええ、魔物ですけれど……。スイの言う苔ウサギという生き物は違うのですか?」


「絶対違うとは言い切れないけど、魔物だなんて誰も言ってなかった。でも大きさが違うだけで、アレはどこからどう見ても苔ウサギだと思う……」

「まぁ、アレは成体の中でもかなり大きいほうだと思います。私もこれほどの大きさは初めて見ましたし。プラシクネはせいぜいこれくらいまでしか育ちませんから」


 そう言うと手のひらを自身の腰のあたりで水平にかざす。それを見て今度はスイが首を傾げる番だった。


「えっ? そんなに大きいのか? 苔ウサギはこう……だいたいこれくらいの大きさなんだけど」


 両腕で軽く抱えられる程度の円を描いてみせると、横で傍観していたカルラがパチンと指を鳴らした。


「わかったー、スイが言ってる苔ウサギって幼体のことじゃね?」


「なるほど、それなら納得ですね」

 ルトアも笑顔で同意すると、一人だけ話についていけず疑問符を大量に浮かべているスイへと向き直った。



「スイ、君の言う苔ウサギというのはやはり魔物で間違いないと思います。これまでの情報を整理すると、苔ウサギとプラシクネは同一の魔物であり、スイが見知っているのは恐らく幼体のプラシクネのことでしょう」


「幼体……?」

「はい。プラシクネの幼体は先程スイが示したほどの大きさしかないのです。そして成体になるとこれくらいまでになります。アレは何かの変異であそこまで大きくなったと考えられますね」


 ついて来てください、と言われて巨大な苔ウサギの元へと歩く。



 近くで見るとますます苔ウサギにしか見えない。ルトアはスイがとどめを刺した右目の矢を興味深そうに眺めた。かろうじて矢羽が見えるくらいにまで深く食い込んでいる。


「それにしてもスイは弓の腕がいいですね。プラシクネの弱点が頭だと知っていたのですか?」


 急に褒められてドキッとしたが、自分の弓の腕に自信がないスイは若干俯きがちで返事をした。


「うん。苔ウサギはよく森で狩っていたから、狙うなら頭だって教わっていたし……でもそいつは頭が硬くて矢が通らなかったからちょっと焦った」

「そうですか。それで目から貫通させたのですね。見事です」


 弓で褒められることはあまりなかったため、褒められ続けて体がこそばゆい感覚だ。慣れない感覚に、嬉しさよりも恥ずかしさのようなものがスイの体を駆け巡る。


 そんなスイに、後ろからやって来たカルラがからかうようにニヤニヤしている。それを見てルトアはクスリと微笑んだ。



「スイ。魔物には核があるのをご存知ですか?」

 スイが首を振るのを見てルトアは続ける。


「核は魔物にとっての中枢部です。そしてプラシクネの核は頭部にあります。この辺一帯に発生していた魔毒と瘴気の流れが今は途絶えているので、スイが射た矢は見事に核を破壊したようです」


 ルトアが矢羽の先を指差す。

 その先に核があり、俺はそれを破壊したってことなのか……。


「その核を破壊したから死んだのか?」

「いいえ。この魔物は核を破壊したから死んだのではありません」

「ん?」

 どういうことだ?

 考えていることがそのまま顔に出たのか、ルトアはおかしそうに小さく笑ってから答えた。


「すみません、混乱させてしまいましたね。まず、スイはプラシクネの弱点である頭を狙って倒しました。しかし偶然にも核は頭部にあり、たまたまそれも一緒に破壊したというのが事実です。そして、魔物にとっての核は力の源であり魔物として存在するために必要不可欠なものなので、失ってしまうと次第に衰弱していき最終的には死に至りますが、即死することはありません」


 つまり核は破壊しなくても魔物を倒すことはできるのです、と付け加えると柔らかい微笑みが苦笑へと変わる。



「ここで残念なお知らせなのですが……魔物の核は高値で売れるので、魔物狩りのみなさんは魔物を倒した後に必死でそれを探すそうですよ」



 貴重な収入源をみすみす破壊してしまったというあまりにも残念すぎる事実に、スイは呆然としてしまう。

 カルラがルトアの側に行き、件の矢羽を覗き込むとゆるりと首を振った。


「あーあ。こりゃマジで核ダメになってるな。これだけ大きい魔物の核なら相当高く売れたんだろうなー。もったいねー」


「そんな……」

 カルラの言葉が追い討ちとなり、スイの体から力が抜けていき、ふらりと一歩後退してしまう。

 お金を稼いでグルートンのポーチを買うという夢に一気に近づけるチャンスだったのだ。ショックは大きい。



「まぁ、やっちまったもんはしょうがねぇから次だ次! 今からいいもん見せてやるから元気出せよなー」


 軽い調子で言うカルラにスイは少し気を取り直して問いかける。

「いいもの?」


「そ。今からお前に瘴気を浄化するところを特等席で見せてやるよ」



 そういえば浄化というのがどういうものなのか全然知らない。見たことがないのだ。

 村に来ていたフィーリスはその場で浄化を行っていたわけではない。そもそも俺たちはフィーリスが具体的に何をしているのかさえ知らなかったのだ。


 神の祝福。

 そんな目に見えないものを盲目的に信じてきたのかと、今さらになって、そこに重大な真実が隠されてきたような何かの陰謀を感じずにはいられない。

 昔から聖者様や村の外出禁止期間を胡散臭いと思ってはいたけど、そこで思考を止めてしまっていたのだ。


 そんなの、盲目どころか盲信じゃないか。



 少しの自責と、これから目の前で起こることへの好奇心がスイにはあった。魔物の核を破壊してしまったショックは隅の方へ追いやられ、今は好奇心のほうが勝っている。

 純粋に、フィーリスの浄化というものに興味があった。



 カルラはスイの期待に満ちた眼差しに満足そうに口角を上げ、ルトアと向き合う。ルトアもちょっとだけ微笑んでからカルラの正面に立った。


「あと二歩ほど後ろに下がっていてくださいね」

 言われるまま二歩下がったスイを確認し、ルトアとカルラはお互いの手首を掴んだ。


 両手の手首を交差させるように掴み、ゆっくりと額を近づけると二人の体から小さな光の粒が現れる。その粒はキラキラと輝き、ルトアとカルラの額が重なった時に一際強く光った。


 二人を囲う光は体そのものが光っているように見えるほどに細かい粒となり、背中の周りに集まってくる。

 そのあまりに美しい光景にスイは瞬きも忘れて見入っていた。



 背中に集まる光の粒はどんどん大きくなり、目を細めなければ直視できないくらいの光の塊となった時、驚くべきことに二人の背中から翼が生えた。

 鳥が羽を広げるように、一陣の風を巻き起こしながら、それは突然形成されたのだ。


 最初からそうであったかのように、二人の背中から直接生えている。



 夜空の星々を散りばめたような光り輝く羽。

 息を呑む美しさのそれをスイはかつて毎日のように目にしていた。



「クアン……」



 若干色は違うが、クアンの羽をそのまま大きくしたような光り輝く二対の羽に、スイは開いた口が塞がらなかった。


 唯一無二とも思えたあの美しい羽が、あの日失ったはずのものが今、目の前にあることがとにかく信じられない。


 見間違えようがない。

 クアンと同じ羽だ。



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