第17話


 泊まった宿の二軒隣のお店で朝食を食べながら説明されたのは、ここセリーニの隣街であるネーロンへ行く方法についてだった。


 ネーロンへは定期的に馬車が出ているのだが、街で運営している馬車組合のため護衛が必ず同乗するという決まりがあり、その安心感からか利用客も多く、旅人だけじゃなく街の住民たちも普段の足として使っているそうだ。


 スイたちもこの馬車を利用するために街の東側へと向かっていた。



「結構賑やかな街なんだな。昨日は夜だったから人が少なかったけど、朝からたくさん人が歩いてる」

「そうですね。ここは大通りなので特にそうかもしれません。時間があれば買い物などもしたいところなのですが、もうすぐ馬車が来るのでネーロンに着いたらにしましょう」



 乗り合い馬車の待合所と書かれた看板が見えてくると、すでに数人が待っているようだった。軒下の日陰に佇む者や荷物を下ろして座り込んでいる者、立派な剣を携えた者などがちらほらといる。


 ここへくる道すがら、いろんな看板を掲げたお店が何軒もあったので若干目移りしつつも、馬車に乗るという一大イベントを前にスイの胸は高鳴っていた。


 だからこそ自分たちに注がれる視線の多さに気づくのが遅れ、待合所の看板にたどり着いて辺りを見回した時に、ようやくその違和感に気づくことができた。



 やけに人の視線を感じる。同じく馬車を待っている数人もそうなのだが、道行く人々も必ずこちらを見てから通り過ぎて行くのだ。

 じっと見てくる人もいれば、サッとすぐに視線を外す人、何度もチラチラ見てくる人が後を絶たない。


 スイは妙な居心地の悪さに耐えかねて、すぐ隣のカルラの肘を小突いた。


「なあ、みんなこっち見てくる気がするんだけど……俺たちどこか変なところでもあるのか?」

「はあ? 周りの連中が見てくるなんてよくあることだろ」


 呆れたように肩をすくめるカルラに、スイの疑問は捨て置かれた。聞く相手を間違えたのかもしれない。

 すぐさま逆隣にいるルトアに話しかける。


「ルトアは? 何か変に思わないのか?」

「変、ですか?」


 軽く首を傾げて微笑むその様子は、カルラ同様、どうしてそんなことを聞くのかわからないと言いたげであった。


 どうやら二人は視線に気づいていないわけではなく、気づいていながらこの状況を変に思っていないらしい。



 スイはモヤモヤした気持ちを抱えたまま再び辺りを見回す。待合所の人たちはもうこちらを見ることはなかったが、大通りを行き交う人々は皆一様にして視線を投げかけてくる。

 そこでふと、その視線の先は自分に向かっていないことに気がついた。確かにこちらを見てはいるのだが、そのどれもがスイと目が合うことはなく通り過ぎて行く。



 もしかして。

 ある推測がスイの中で閃く。


 遥か昔、とある商人から教えてもらったことがある。




「これ、何に使うの?」

「これはね、使い道があるわけじゃないんだよ、坊や」

「使わないのに買うの? そんなの変だよ」


「世の中にはね、こういう綺麗なものを手に入れるためにお金を支払う人たちもいるんだよ。美しいというのはそれだけで価値があるからね。例えばこっちの絵は一見なんの役にも立たないけど、美術鑑賞と言って、見るために買うんだよ」


「……よくわからない」

「ははは、坊やにはまだ早かったかな? 物の価値というのはね、一言では語ることのできない世界だからね。でもそのうちわかる時がくるよ」




 今ならわかるよ、おじさん。


 スイは両隣の双子を改めて見る。


 完璧に配置された目鼻に形の良い唇。陽の光を受けて滑らかにしなる髪と陶器を思わせる肌。

 それは先ほど店先で見かけた精巧な作りの人形よりもずっと美しく、同じ生物とは思えないほどに完成された存在だった。



「そうか。二人の見た目が綺麗すぎるからみんな見て行くんだな」


 納得したように呟くと、両側から勢いよく視線を向けられた。


「はああ? 何だそりゃ。オレらがフィーリスだから見てんだろ」

「見られることに慣れてしまったので気にしてませんでしたが、他種族に対しての好奇の目だと思いますよ? フィーリスは数が少ないですから」


 俺が出した答えは即座に二人から否定されることになり、カルラの呆れ顔とルトアの優しい微笑みに挟まれる。



 そんな二人の顔を交互に見て、新しく浮かんだ疑問を口にした。


「フィーリスって見ただけでわかるものなのか?」


 スイは聖者———フィーリスの素顔を見たのはこの二人が初めてだったので、他に比較対象がなかった。



 ルトアがそうですね、と軽く上を向き答える。


「フィーリスには独特の雰囲気があると聞いたことがあります。皆さんそれを嗅ぎ分けているのでしょうね。フィーリス同士なら神力を感じることができるのですぐにわかりますが、他種族の場合はそういった力もありませんし、一種の本能として備わっているのかもしれませんね」


 最もらしい説明に頷きそうになるが、スイにそんな本能は備わっていないし、視線を投げかけてくる通行人たちが女性に偏っていることにも気づき始めていた。



 そこでさらにもう一つの疑問をぶつけてみる。

「フィーリスって皆綺麗な顔してたりする?」


 今度はカルラが腕を組みながら答えた。

「そんなもん聞かなくてもオレら見てわかるだろーが。普通だよ、普通」


 ……なるほど。絶妙に話が噛み合ってない気がするのはこれのせいか。たぶんだけど、この二人の美醜の基準がおかしいのだ。

 今通り過ぎた女性も、よく見れば顔を赤らめうっとりとした表情で二人を見ていた。つまりはそういうことだ。



「俺は二人ともすごく綺麗だと思う」


「お前物好きだなー。真顔で言われるとこっちが恥ずかしいっつーの」

「スイは守備範囲が広いんですね。それはとてもいいことですが、見境がないのは少々危険ですよ?」


 あははうふふと笑い飛ばす二人に、スイの主張は一ミリも届かず、そうこうしているうちに乗り合い馬車が到着した。







 馬車での旅はとてつもなく快適だった。道によってはある程度揺れはするものの、舗装された道が多かったし、徒歩で森の中を移動することに比べれば、乗っているだけで目的地に着くことができるのは楽以外の何ものでもなかった。


 馬車の荷台は思ったよりも広くて他の人たちと間隔を空けて座ることができたし、屋根はあるけど壁はなく四隅の支柱だけなので、とても開放的に過ごすことができた。

 柔らかな風を感じながら景色が少しずつ変わっていくさまを眺め、雨が降らなくてよかったと思うばかりであった。


 途中、荷を積んだ馬を引く人とすれ違ったりしたが、特に何事もなく目的地のネーロンへと着くことができた。



 ネーロンは、森に囲まれたセリーニとは違い海に面した街で、軒先に店を構えるような形でたくさんの物が売られており、活気にあふれた街並みだった。

 船での流通があるせいか、魚介類だけではなく色鮮やかな果物や装飾品なども多く並んでいる。



 馬車を降り、背筋を伸ばすと潮風が髪をさらった。


「海初めて見るよ」


「あ? それにしてはあんま感動してなくね? それにさっき馬車の中で潮の香りがしてきたって言ってたじゃん」

 同じく背筋を伸ばしていたカルラが訝しげに尋ねてきた。


「これでも感動はしてるよ。でも写真や絵で見たことは何度もあったから、飛び跳ねるほどの感動ではないってだけかな。あと潮の香りはお土産で『潮風を詰め込んだ瓶』っていうのもらったことあって、どんな匂いかは知ってたんだ」


「何だよその瓶……」


 通称、潮風瓶。海の砂と小さな貝殻が入ったもので、コルクを開けるとふわりと潮の香りがする。


「おや、知らないのですか? 海から遠い地域では人気のある品ですよ」

 ルトアが風で乱れた髪を耳にかけながらクスリと笑った。


「土産なんて買わねぇし」

「ルトアは何で知ってるんだ?」

「私も買いませんが見るのは好きなので」


 お土産屋さんを楽しそうに眺めるルトアと退屈そうなカルラが容易に想像できる。




 賑わっている市場を通り過ぎ、今晩泊まる宿を探して歩いた。今回もカルラを先頭にして進んで行く。

 セリーニからネーロンまでは半日ほどかかったため、すでに日は傾きかけていた。


「カルラって宿にこだわりとかあるのか?」


 道すがら聞いてみると、カルラは軽く首を振った。

「いや? こだわりってほどのものはねぇけど、こいつに任せるとひどいことになるから基本オレが選んでるだけ」


 スイは意外な返答に思わずルトアの顔を見た。


「そんなにひどくはないですよ?たまたまご飯が美味しくなかったり、ベッドの足が折れたり、夜中にネズミが屋根裏を駆け回ったり、知らない人が勝手に入ってきたりするだけですから」


 思ったよりもひどい話だった。

 ほんわかと思い出を語るような感じのルトアとは対照的に、カルラはその時のことを思い出したのかげんなりとしていた。



 この日カルラが選んだ宿は、もちろん何事も起こらず朝を迎えることができた。

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