第16話
アストロンまでの道のりを徒歩で移動するにはかなりの困難があるため、まずは近くの街へ行き移動手段を確保することになった。
死者の森の中を歩き、二日目の夜には街に着くことができた。
「見えてきましたね。あれがセリーニです」
二度目の野宿を免れたことに内心ホッとしながら、スイは立派な門構えを目にした。夜の闇を柔らかく照らす街灯に、疲れ切った両足が歓喜する。
二日目の夜も野宿なんだろうなと思っていたスイだったが、もう少し行けば街にたどり着くからと言われて、一日中歩き通しで重くなった足を無理やり動かしてここまで来たのだ。
セリーニという名の街は近づくにつれて建物の明かりが徐々に増えていき、そこに暮らしている人々がいることを示唆していた。
「さっさと宿に行って休みてぇー」
「もう少し我慢してくださいね」
あくびを繰り返すカルラに、ルトアは苦笑しながら門をくぐる。スイもその後に続き、街の中へと足を踏み入れた。
もう遅い時間ということもあり外を歩いている人の数は少なかったが、窓から溢れる明かりと背の高い街灯がたくさんあった。ずっと森の中を歩いていたせいで逆に明るすぎる気がするくらいだった。
建物は木製のものとレンガのものがあり統一感がまるでなく、それでも同じ街の中なのだと思えるのは、三角の布が建物のあちこちにぶら下がっているからだ。濃い緑色に金糸で模様が刺繍されているように見える。
ちょうど頭一つ分くらい上の位置にあるそれを見上げると、真ん中に虎みたいな生き物がかたどられていた。
「うわっ」
「よそ見してると危ないですよ」
上を見ながら歩いていたスイの腕をルトアが引っ張り、街灯との衝突をギリギリで回避する。完全なる前方不注意だ。
慌ててお礼を言うとルトアは柔らかく微笑み、前方を指差す。
「早くしないとカルラを見失ってしまいますよ。ほら、もうあんな遠くに」
言われて見てみると、確かにかなり距離が空いてしまっていた。いつの間にそんなに離れてしまったのかと疑問に思うほどにカルラの背中が小さく見える。
初めて来る街に辺りを興味津々に眺めてしまったからなのか、それとも単純にカルラの歩く速度が凄まじいのか、はたまたその両方なのかもしれない。
そして、見失うと言いながら全然急ぐ様子のないルトアはのんびりとスイの横を歩いている。もしかしたら足が疲れてもうあまり早く歩けないことに気づいていて、わざとゆっくり歩いてくれているのかもしれない。
「ルトアって優しいよな」
「? ありがとうございます」
思ったことをそのまま言うと、ルトアは首を傾げつつも嬉しそうに顔をほころばせた。
先を行くカルラに追いついたのは、色とりどりの花を咲かせた植木鉢が入口にいくつも並んでいる可愛らしい宿屋の目の前だった。
宿屋の選定はカルラが行い、宿泊の手続きはルトアが済ませる。たぶん普段から各々そのように役割が決まっているのだろう。ルトアはごく自然に三人分の宿泊費を払ったので、スイは少々申し訳ない気持ちになったのだが、カルラは頭の後ろで手を組みあくびをしていた。
部屋番号が記された鍵を渡され、二階へと上がる。客室は二階と三階らしい。既に足が棒のようになってしまっているスイにとっては、たかが一階分と言えどかなり堪えるので、三階じゃなくてよかったと手すりを掴みながらしみじみと思う。
「うわぁ、結構広いな」
疲れているとはいえ、初めて宿屋に宿泊するというイベントはスイを興奮させるには十分だった。
当たり前だが自分の部屋ではなく、なおかつ知り合いの家でもない、多くの旅人たちのために用意され金銭を介したその場所はスイの目にひどく新鮮に映った。
奥に窓があり、その下に三台のベッドが並んでいる。入口の近くには一人用のテーブルと椅子が備えつけてあった。壁には外套を掛けられそうな出っ張りが三つある。
全体的に飾り気のない部屋だったが、掃除が行き届いていて清潔感があった。
スイが部屋の中を見回している間に、カルラは真っ先にベッドへと飛び込み、ルトアはゆっくりとベッドに腰かけた。
つくづく似てない双子だよなあ、と思いながら空いている真ん中のベッドを見る。
「......もしかしなくても、また俺が真ん中?」
「そりゃそうだろ」
「奇数ですから」
二人とも、当然だろという顔でスイを見る。
カルラはまあいいとして、ルトアの発言は質問の答えになってない気がする。
別にいいけど、とスイは呟きベッドに倒れ込んだ。もう一歩も動きたくないし、ツッコむ気力もない。明日の朝、顔にシーツの痕がつくだろうなと思いながら意識を手放した。
翌朝、スッキリと目覚めたスイは見慣れぬ部屋に一瞬混乱したが、すぐに昨日のことを思い出した。
思いのほか疲れ切っていたのかベッドに倒れ込んだ途端に寝てしまったのだ。その割にはきちんと外套と靴を脱ぎ、枕に頭をつけて掛け布団を被っていた。
無意識のうちにそうしたとは思えない。きっと意識を失った後で二人が世話を焼いてくれたのだろう。もう子供じゃないというのに、ちょっとばかり恥ずかしい。
手を握ったり開いたりして、肩をグルグル回す。うん、体は軽い。ぐっすり眠れたおかげで疲れは取れたようだ。
それにしても———スイは自分の体を改めて見下ろした。
最初はそこまで考えが及ばなかったが、どうにもおかしい。この体、十ヶ月もの間、眠り続けていたとは思えないのだ。筋肉の衰えも感じず、最後に記憶に残っているあの日がまるで昨日のことのように、洞窟で目覚めたその時から何の違和感もなく体を動かせていた。
今思えば、というか今になってようやくおかしいことに気づいたというか、それとも実は十ヶ月くらいではたいして変化がないのが普通で、気にするほどのことでもないのだろうか?
正解がわからない。
でも、不都合がないならそれに越したことはない。
考えてもわからないのでスイは考えるのをやめた。それよりもっと大切なことがあるからだ。
体が自由に動かせるならそれでいい。今は過去のことよりもこれからのこと、未来のことを考えるほうが大切だ。アストロンへの道のりはまだ遠い。それまでに少しでも知識を増やしたりできることを増やしたい。
まずは第一目標のお金を稼ぐということ。これについては道中ルトアから提案があった。
「魔物狩りをするのはどうですか?」
「魔物を狩るのか? でも魔物って危険な生き物なんじゃ……」
「中には獰猛な魔物もいるようですが、それらを狩ることを生業とする、そういう職業もあるんですよ」
「魔物狩りが、職業?」
「はい。カサドールと呼ばれています。魔物から獲れる角や爪などの素材には貴重なものもあるので、常に一定の需要があります。カサドールでなくても市場で買い手がつきますし、職に就けば契約に基づいた依頼を受領することができるそうですよ」
「へぇ……。魔物狩り、カサドール、どっちも初めて聞くなあ。村に来る人たちにそういう人はいなかったし話も聞いたことなかったよ」
「魔物が多く生息している地域で、物流も盛んなところでは珍しくもない職業なんですが、きっとスイの住んでいたところは魔物が少なかったんでしょうね。それで、どうですか? カサドールにご興味はありますか?」
「うーん……」
「おや、あまり気乗りしないようですね?」
「魔物に襲われかけたことがあるせいかな……ちょっと怖いっていうか、俺に魔物を狩ることなんてできるのかなって」
「その話、スイはその魔物の姿すら見てないと言うじゃないですか。そして魔物自体のこともよく知らないと言っていましたね。つまりスイは己の記憶の中に作り上げた魔物を怖がっているということになります。実際に対峙した時に恐怖を感じるのは生き延びるための本能ですが、スイが今感じている恐怖はそれに該当しないように思います。襲われかけたと言っても無傷で助かっていますし、人伝に聞いた危険な生き物という情報を記憶しているだけ、ということなのでは? スイは魔物がどういう生き物なのか、己の目で見極める必要があると思うのです」
「見極めて、それでもやっぱり怖いって気持ちが変わらなかったら?」
「今は魔物を狩れるかどうかもわからない状態ですが、魔物は恐怖の対象であるとわかれば一つの指標になります。それはきちんと知った上で出た結論なので今後魔物に関しての選択肢で迷うことはないでしょう。逆に魔物狩りが可能なら出来ることの幅が広がりますよ」
魔物狩り。
魔物を狩って素材を売る。それが出来れば生計を立てることができる。
カサドールにならなくても素材の買い取りはしてもらえるみたいだし、ルトアと話をして試しにやってみようとという気持ちが高まっていた。
もし魔物を狩ることが出来なかったとしても、また別の方法を考えればいいだけの話だ。
もっと安全な稼ぎ方もあるだろうけど、元々野生の生き物を狩って生活していたこともあってそのほうが性に合っている気もしたし、できることなら同じような生活を送りたいという気持ちもあった。
グッと拳に力を込めると前腕部から上腕部へと力が伝わって行き、筋肉の躍動を感じる。日々の狩りで鍛えた体はそれなりに逞しさがある。
弓も短剣も相応の力がなければ扱うことすら出来ないのだ。日々の鍛錬は欠かさず行なっていた。
ベッドから足を下ろして軽くスクワットをしてみる。広く足場の悪い森の中を長時間歩き続けることができる足は、以前となんら変わりない。
昨日は慣れない旅路で疲れが溜まってしまったが、体力筋力ともに衰えたわけではないことを確認し、安堵の息をつく。
これなら魔物狩りに挑戦できそうだ。
「何してんだよお前……ていうか早起きすぎー。ジジイかよ」
急に声をかけられて振り向けば、カルラが枕の下に腕を入れた状態で目だけをこちらに向けていた。大きなあくびをこぼしている様子を見るに、今しがた起きたのだろう。
「ごめん、カルラ。起こしちゃったか?」
「そんなんじゃねぇよ。最初っから起きてたっつーの……ふぁあ」
二度目の大きなあくびで、隠しきれていない眠気を体現するカルラに、思わず笑いが込み上げる。
もしかしてカルラなりの気遣いなのかもしれないな。
スイは上半身をひねり、ストレッチをしながら会話を続ける。
「ずっと動いて、なかったから、体がなまって、ないかなって、確かめてたんだ」
「ふぅん……。朝から元気なやつだなぁ。そんなに張り切ってもどうせ移動は馬車だぜ?」
「馬車? そういえば初めて乗るかも」
一通りストレッチを終えて、ふうっと一息つく。
カルラは横になったままゴロリと体勢を変えて頬杖をついた。洞窟の中や森での野宿の時によく見た光景だ。
「スイって結構世間知らずだよな。宿に泊まったこともなければ馬車も初めてとか。一体どんな辺境に住んでたんだよ。あー、魔物も見たことないっつってたな。世間知らずってか平和ボケ? そんなんでよく今まで生きてこれたよなー」
「そういうカルラは遠慮がないというか、容赦がないよな」
ここまでくるといっそのこと清々しい。
また笑いが込み上げてきてクスッと笑ってしまう。
「笑い事かよ。世の中のこと知らなさすぎるせいで、どっかの誰かに騙されて野垂れ死にしても知らねーぞ」
「一回本気で死にかけてるから身に染みるな……」
「その死にかけたってのもよくわかんねぇけどなー。オレらが見つけたときは———」
カルラの言葉を遮ったのは、モゾモゾと動き出した布団の塊だった。とても姿勢良く寝ていたルトアが寝ぼけ眼でムクリと起き上がる。
きっちりとした見た目に反してルトアは朝が苦手なようだった。三人の中ではいつも最後に目を覚ますのだ。
「……あれ? 二人ともりんごはどこにやったのですか?」
初めて宿で迎えた朝は、ちょっぴり愉快な一日の始まりだった。
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