第15話


「アストロンまではどれくらいかかるんだ?」


 支度を終えたスイが近くにいたカルラに尋ねた。支度と言ってもスイの場合、私物は一切ないので外套を着込むだけだったが。


「そうだなー。ここからなら本気出せば五日……いや、四日くらいだな」

「結構遠いんだな。本気出さないとどれくらい?」

「七日くらいはかかるかもな。でも途中の街に立ち寄ったりもするだろうから実際はもっとかかるんじゃねーかな」


 言いながらカルラは腰のポーチに寝具を詰め込んでいく。例の綿だ。

 その様子を手持ち無沙汰でスイは眺め、さらに質問する。


「そのポーチってどうなってるんだ? さっきからすごい量が入ってるけど全然膨れないし、そもそもそんなに入るはずないと思うんだけど」


「これか? グルートン見たことねーの?」

「グルートン?」

 聞き慣れない名称に首を傾げる。


 カルラは腰のポーチを外して、よく見えるようにスイの前に差し出した。

 それは一見どこにでもありそうなポーチだったが、蓋を開けて中を見ると闇の中に浮かぶ二つの瞳と目が合った。


「⁉︎」


 驚いて食い入るように見た。

 やっぱり目がある……。


 ポーチの中は真っ暗で底が見えないが、そこに確かに目が浮かんでいるのだ。不気味な光景だけどよく見るとつぶらな瞳が可愛いと思えなくもない。



「マジで初めて見るのな。グルートンってのはこういう入れ物に棲みつく妖精みたいなもんで、すげぇでかい胃袋があるから何でも入る」


「何でも……?」

「ほぼ無限にな。あると便利だろ」

「確かに便利だな……」


 妖精なんて初めて見た。おとぎ話の中の生き物じゃなかったんだ……。


 呆然としながらカルラにポーチを返し、いつか見た絵本に書いてあった妖精はもっと可愛らしい姿だった記憶を静かに封印した。事実は絵本よりも奇なり。


「こいつらそれなりに希少だけど、アストロンに着くまでにはスイの分も手に入れられんじゃね?」

「本当⁉︎」


 欲しい。めちゃくちゃ欲しい。見た目はちょっとアレだけど、ほぼ無限に物が入るだなんて考えただけでもワクワクする。


「欲しいならルトアにも言っとけよー。あんま数が出回るもんでもないし見つけた時に買わねぇと。自力で捕まえんのは、捕獲の専門家がいるから望み薄だろうな。あいつら縄張り意識高くてめんどいっつーか。運がよければ勝手に棲みつくかもしんねぇけど、それはまぁ、あんま期待すんな」


「その妖精を捕まえる専門家がいるのか? 捕まえて、それを市場に流通させるのか……。捕まえるところ見てみたいなあ」

「そんなに目ぇキラキラさせても無駄だと思うけど? 狩場だけじゃなくて捕獲方法なんて絶対教えてくんねぇから。それがあいつらの生活の糧みたいなもんだし? 諦めろ諦めろー」


 期待に胸を膨らませるスイに、カルラは面倒臭そうに手をヒラヒラと振った。スイの寝具もポーチに入れ終えて、続いてルトアの分も入れ始めた。




 グルートンかあ……。


 外の世界にはいろんな生き物がいるんだな。

 それに、滅多に会うことのない聖者様。そんな彼らと言葉を交わし寝食を共にする日がくるなんて、少し前の自分には想像もつかなったことだ。今でも信じられないって気持ちのほうが大きいけど……。


 聖者様は三年くらいの周期で村を訪れて、俺たちに神の祝福を授けてくれていた。と言ってもその姿を近くで見ることはなく遠巻きに見ていただけだ。フードを目深に被っているから顔なんて見たことないし、前回来た聖者様と同じ人物かさえわからない。


 そういえば二人組の聖者様は見たことないな。人間も双子ってたくさんいないし、聖者様もそうなのだろうか?



「どうですか? 準備できましたか?」


 振り向くとルトアが洞窟の奥から出て来たところだった。奥の方には食料庫や消耗品類などが置いてあるらしい。


 カルラと同じポーチを腰につけているのを見て、たぶんそこに残りの食料とかを入れてきたのかなと思っていると、視線を感じたルトアが微笑みながら小首を傾げてきた。


「何か気になるものでもありましたか?」


「あ、えっと。そのポーチ、グルートンっていう妖精が入ってて無限に物を入れられるってカルラから聞いたんだけど、俺も欲しいなって思って」

「ああ、これですか。そうですね……これから立ち寄る街で見つけたらスイの分を手に入れるのもよさそうですね」

「ありがとう! あ……でも」


 嬉しくて立ち上がったはいいが、よく考えてみたらこんなすごいものが安いわけがない。しかも妖精だし、さっきカルラも希少って言ってた気がする。



 急に顔を曇らせたスイに、ルトアが怪訝な表情を見せる。

「スイ? どうかしましたか?」


「俺、二人にお世話になりっぱなしなのに、その上こんな高価そうなものまでもらえないなと思って。お金は今は全然ないけど、これから稼いでちゃんと自分のお金で買ったほうがいいんじゃないかと思ったんだ」


 ルトアもカルラも特に何も言わないけど、このままずっと二人の好意に甘えて何でもかんでも頼り切ってしまうのは違うと思った。


 確かに今の俺は一文なしで所持品もない状態だ。旅支度も何もする必要がないくらいに何も持ち合わせていない。これまでの経緯を考えたら仕方のないことかもしれないが、だからと言ってすべて面倒見てもらうことを当たり前だと思っていい話ではない。



 以前の生活では、狩りをして肉や皮などを売ったり、薬草を採取したりして少しばかりの金銭を手に入れていた。

 ほとんどが自給自足の生活だったし、大人たちから必要なものはお下がりをもらえたので、村での生活そのものにお金が必要になることはあまりなかったが、時々訪れる商人から品物を買ったりするためにお金は必要だった。



「うん……よし! やっぱり俺、自分のお金でグルートンのポーチ買うよ。正直、これからのこと、自分が何なのかとか、不安なことはたくさんあるけど、まずは自分ができることをやろうと思う。お金を稼いで欲しいものを買う。ひとまずはそれを目標にして頑張ろうと思う」


 ある日突然、盗人たちに襲われ、魔物の餌食にされそうになり、見知らぬ土地で目覚めると途方もない月日が過ぎていた。

 おまけに人間でないと言われ、自分が何者なのかわからなくなってしまった。


 いろんなことが一度にまとめて起こったせいで、どこか心ここにあらずの状態であったスイだったが、やるべきこと、やりたいことが決まり、ようやく地に足がついた感覚があった。



 グッと拳を握りしめて決意をみなぎらせるスイに、ルトアは口に手を当てて上品に笑う。

「ふふふ。スイは随分と前向きなのですね」


 既に旅支度を終わらせて岩の上でくつろいでいたカルラも、右側の口角を上げてニッと笑う。

「逞しーじゃん。お前のこと気に入ったよ」



 今この時をもって、スイの前途多難な人生が本当の意味で始まったのだ。


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