第14話


 やけに重苦しいと思ったらカルラが俺の体の上を横断する形で寝ていた。


 意識を取り戻してから迎える初めての朝。今までずっと寝ていたのだから昨日の夜は寝つけないかもしれない、と思ったけど案外すんなり眠れた。そして体を圧迫される苦しさで目を覚ましたところ、この状態だった。






「何を今さら驚くんだよ。ずっとこうやって寝てただろーが」


 昨日の夜。カルラとルトアは俺を挟んで寝る準備をし始めたので驚いたら、カルラが呆れたようにそう言った。


「そんな無茶苦茶な。俺はずっと意識がなかったわけだし、三人並んで寝てたなんて知りようがないことだよ。……あ、ルトア。別に三人で寝るのが嫌とかそういうわけじゃないからね?」

 隣でルトアが悲しそうな顔をしているのに気づいて早めに訂正する。


「ただ、誰かと一緒に寝るのが久しぶりすぎて何だか緊張するって言うか……」



 両親が亡くなってから何年もの間、一人で寝ていたのだ。ここ数年はクアンと一緒だったけど、クアンは鳥だから隣に並んで寝るわけじゃないし、ほとんど一人のようなものだった。

 それが急に三人で寝るだなんて。しかも家族でもなく、よく知りもしない相手と一緒に。もっと言えば真ん中という何とも落ち着かない位置だ。


「はっ、くだらねー。一緒に寝ると防御力が上がるんだよ。知らねぇのか?」

「初耳だよ」

 何それ……。どういう理屈なんだ。



 兎にも角にもカルラとルトアは三人で並んで寝るための準備をさっさと終え、有無を言わさず就寝してしまい、スイも寝るしかなくなったのだった。



 そして数刻後。ふわふわの綿みたいな正体不明の寝具に包まってまどろみながら、誰かと一緒に寝るというのもなかなかいいものだな、とちょっと思って眠りについたのが昨晩のこと。


 そして今。なんとも言えない目覚めを迎えたスイは、上に乗っかっているカルラの体を出来る限りそっと退かした。


 まさかとは思うが俺の意識がない間も、こんなふうにダイナミックな寝相だったのだろうか? 知ったところで今さら何の意味もないが、単なる好奇心というのはそう簡単に自制が効くものではない。


 俺がいなかった頃はルトアを押し潰してたりするのかな……。


 一緒に寝ると防御力が上がるらしいから、きっと普段から二人並んで寝てただろうし、今日だけたまたま寝相が悪かったとも思えない。半回転とひねりが加わった躍動感あふれるこの寝相は、一朝一夕で身につくものではないだろう。



 目が覚めたばかりのボーッとする頭でそんなことを考えていると、スイの好奇心はそこで終わらず次なるターゲットを見つけていた。


 すぐ近くにあるカルラの髪の毛。

 こんなに綺麗な髪の毛をスイは生まれて初めて見た。未知との遭遇。はやる好奇心。

 絹糸のように一本一本が美しく、艶やかで、柔らかそうなそれを触ってみたくなったのだ。


 ルトアのほうが長さがあって触りがいがありそうだけど、金縛りにでもあっているかのように真っ直ぐな姿勢で寝ているので触るのは勇気がいる。一度も寝返りを打ってなさそうな様子が少々心配でもある。


 それに比べてカルラは、起きたら寝癖がひどそうだなと思うほどの寝相だし、ちょっとくらい触っても問題ないだろうと思えたので、自分の上から退かしたついでにそろりと手を伸ばしてみた。


 うわ……。

 想像以上に柔らかくて感動すら覚える。

 髪束をひとすくいしてみると、サラサラと手のひらから滑り落ちていき、あっという間に手の中からなくなってしまった。間近で見ても陶器のように美しい肌の上を髪の毛がサラリと撫でていく。


 高級な人形みたいだ。そういえば昔、貴族に納品する人形を商人から見せてもらったことがあったけど、それよりよっぽど作りが綺麗で価値がありそうに思う。


 これは寝癖なんてつかないだろうな……。だからひどい寝相なのかもしれない。



 スイはたどり着いた結論に満足すると少しだけ伸びをしてゆっくりと立ち上がった。

 昨日もらったルトアお手製の外套を身にまとい、足音を立てないように気をつけながら外へ出る。


 朝の独特の静かさや空気に少しだけ目を閉じ、ふーっと細く息を吐き出した。



 ———村のみんなは今頃どうしてるかな。


 俺がいなくなったことに気づいて、しばらくの間は付近を探してくれていたかもしれない。人攫いに遭ったと気づいてもらえただろうか? 村長の家に泊まっていたコウラクもいなくなっていることに関連性を見出してくれたかな?



 でももう十ヶ月が経ってしまった。きっと死んだと思われているに違いない。


 それは寂しくもあるが、あまり心配をかけたくない気持ちもあるので、どうせなら普通にいつもの生活を続けてくれてたらいいな、と思う。



 そういえばナッドの結婚祝い、結局出来なかったなあ……。かろうじてお祝いの品は渡せていたけど、本当は祝いの席に参加したかった。

 友人であり、幼馴染であり、家族のような存在だった。



「盛大にお祝いするって約束したのにな……」



「めでたいことでもあったのか?」

「びっ……くりした。……カルラ」


「一人で勝手にうろちょろすんな。ここは死者の森だからいいけど、もうちょい危機感を持ってくれねぇと困んだよ」

「死者の森? すごく危なそうなところにいるんだな俺たち」

 明らかに物騒な名前に思わず顔が引きつる。


「何言ってんだ? 死者の森なんだから生きてるオレらには関係ねーじゃん」


 カルラの理屈は時々よくわからない。



 興味なさそうに、常識だろ、とだけ言い、カルラは頭をガシガシと掻きあくびをした。思った通り髪の毛には寝癖ひとつついていない。


「カルラは……カルラの家族はどこにいるんだ? 故郷は?」

「はああ? 家族? フィーリスには家族なんていねーよ」

「え、そうなのか?」


 カルラは特に悲しむでもなく平然としている。それに『フィーリスには』ということは、カルラたちだけに家族がいないというわけでもなさそうな言い方だ。


 村を懐かしんだその流れでお互いの故郷の話でも、と思ったけど失敗に終わった。気まずくならなかったのはよかったけど、カルラはもうそれ以上この話を続けるつもりはないようで、口を閉ざしたまま歩き始めてしまう。


 その背中をぼんやりと眺めていると、数歩進んだところでくるりと振り返った。


「なんだよ顔洗いに行かねーのか?」

 眉根を寄せて不思議そうにスイを伺う。

 その手にはしっかりと二人分のタオルがあった。


 そんなカルラに、スイはちょっとだけ笑って追いかけた。



 他に家族はいないらしいこの双子は、全然似てないようでやはりどこか似ているのかもしれない。二人とも優しくて、昨日知り合ったばかりとは思えないくらいの気安さがあり、一緒にいるとどことなく安心感があった。






 洞窟に戻るとルトアが朝食の準備をしてくれていた。


 昨日の晩ごはんもとても美味しく、ルトアは料理上手なんだなと褒めたら自分の分の肉までスイの皿に盛ってきて、お腹いっぱい食べさせられた。


 ルトア曰く「カルラは褒めてくれない」らしくて、カルラは「不味くなけりゃ何でもいい」らしい。


 それでも二人は喧嘩することもなく、文句は言うものの仲良く食卓を囲んでいた。スイはその空気感が心地よかった。


 自分が何者なのか、などと考える必要がなく、のんびりと三人で過ごせたらいいのにと思っていると、食事を終えたルトアが両手をパンと打ち鳴らした。


「もう少しで食料庫の在庫が底をつくのですが、スイも目覚めたことですし、ちょうどいいのでそろそろ街へ行きましょうか」



 唐突なルトアの言葉に、スイは最後の一口を運びかけた手が止まってしまう。


「街へ?」

「はい。都があるアストロンへ行く予定です。そこへ行けばスイの体についても何かわかるかもしれません」

「アストロン……。そこには何があるんだ?」


 かじると甘さの広がる小さな赤い果実をゆっくりと皿の上に戻す。


「フィーリスの庁舎があります。そこにはフィーリスを束ねる機関もありますし、アストロンを拠点とするフィーリスも多くいるので、彼らからいろいろ話を聞くことができます」


 ルトアは人差し指をスイの胸元に向けてピッと指さし、緩やかに頬を笑みに染める。


「スイ、君は確かに神力をその身に宿していたのです。今は何も感じ取ることはできませんが、私たちフィーリスと何らかの関係があることは確かです。この世で神力を扱えるのは神とフィーリスだけですから。そして君はそのどちらでもない……。曖昧な存在という話はしましたよね? なので、その曖昧さを解明しに行きます」


 圧倒的な美しさと品格を漂わせるルトアに、スイは瞬きも忘れて目を奪われていた。

 長いまつ毛が揺れ、形のいい唇から紡がれる言葉に耳を傾けていると、拝んだほうがいいような気さえしてくる。つくづく、人間とは違う種族なのだなと思い知る。まさに住む世界が違う生き物なのだ。


 そしてルトアたちが俺のことをあまり詮索してこない理由も何となくわかった。普通、俺自身が何もわかっていないことが判明したとしても、もっと根掘り葉掘り探りを入れてくるはず。


 それがほとんどなかった。


 得体の知れない存在に対して寛容過ぎる態度だったのは、手がかりを得るための手段があったからなんだ。



 ルトアはスイに向けていた指を下ろし、ニコッと笑ってみせると、顔の横に持ってきたその指を二本に増やした。


「それにアストロンはとても大きな街です。この国の中心部なので人の出入りも多くあります。情報を集めるにはもってこいの場所なので、たとえすぐに解明できなかったとしても無駄足にはならないでしょう」


 三本目の指が立つ。


「あと、物流も盛んなので今よりいい暮らしができます。この洞窟はスイが目覚めるまでの一時凌ぎみたいなものだったので、あまり物資がそろってないんです。街へ向かえばいろいろ調達できて、美味しいご飯が食べられて、ふかふかのベッドで寝ることができますよ」


 スイは洞窟生活に特に不便は感じていなかったが、自分のことについて何か情報を得られるならそうしたいと思った。


 一体自分は何になってしまったのか。それとも最初から人間ではない何かだったのか。『いいもの』なのか『悪いもの』なのか、スイも知りたかった。



 ルトアの四本目の指が立つ。


「さらに、私たちの仕事の都合もあります」


「仕事って?」

「浄化のお仕事です。フィーリスとは本来、各地をまわって瘴気を浄化しなければならないのです。ここ最近は君に付きっきりだったのでそれもできていませんから、久々にお勤めを果たそうかなと」


 スイはハッとして姿勢を正した。

「ごめん! 俺のせいだよな」


「気にすんなって。お前を見張るのも仕事のうちみたいなもんだからなー」


 カルラがスイの皿にある赤い果実をひょいと口の中へ放り込む。もぐもぐと咀嚼しながらだらしなく肘をついた。

「平和のためには危険分子は排除しなきゃなんねーし、お前みたいな訳わかんねぇ奴を野放しにしたらそれこそ仕事放棄ってやつなんだよ」


 フィーリスのことはまだよくわからないが、本人がそう言うなら納得するしかない。



 ルトアが立ち上がり、空になった皿を手に持った。


「では、ここの片付けが終わったら出かける準備をしましょうか」



 

 アストロンへ行くことが決まり、不安と期待がスイの心を刺激する。これから起こることへの不安、畏れ。新しい土地へ向かうことへの高揚感。

 いつか、村を出て外の世界を見てみたいと思っていた。だけどこんな形で実現するとは思ってもみなかった。


 複雑な心境を抱えたまま、スイは目の前の皿を掴んだ。

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