第13話
フィーリス。
それは神の力、すなわち神力を授けられし者のことである。
彼らは神力を以って瘴気を制する。
魔毒が集まりしところに瘴気が生まれ、地上のあらゆる生命を脅かすが、フィーリスによってそれは浄化さるべし。
「というのが、フィーリスの役割であり、存在意義でもあります。そして私たちはそのフィーリスなのです」
カルラが言っていたフィーリスが何なのかを尋ねると、ルトアが厳かな口調で説明してくれた。
「魔毒って?」
「魔毒は魔毒ですね。世界のどこにでも発生するものです。敢えて言うならば、魔物、でしょうか。あれらは魔毒を発生させることがあります」
「魔物……じゃあ魔毒は危険なものなのか?」
スイは実際に魔物を見たことはないが、旅の人からその危険性はよく耳にしていた。自分が魔物に襲われそうになった事実はあるが、あの時はその姿を見ることはなかったので、結局は魔物を見たことはない。
人々が恐れる生き物から発生するのだから、魔毒というのは危険なものなんだろうと思い至ったのだ。
「難しい質問ですね。魔毒はそこにあるからといって必ずしも危険ということはありませんが、あまり増えすぎると瘴気となってしまうので危険です。なので、魔毒は危険なものであるとも、ないとも言えない、というのが答えですね」
ルトアの言うことは時々、わかるようなわからないような、ちょっと含みのある言い方が多かったので、スイの理解も、何となくそんな感じなのだなという域を出なかったが、今は少しでもわかることを増やしたくて必死だったので、構わずに次々と質問していった。
「その危険な瘴気? っていうのを浄化できるルトアたちはすごいんだね。神力か……それは神の祝福とは違うんだよな?」
「神の祝福ですか?」
「うん。フィーリスの説明を聞いてて思ったんだけど、聖者様と似てるなあって。聖者様は神から祝福を受けて、それを人々にもたらすことでこの世の平和を保ってくれてるって、そういう言い伝えがあるんだ」
「ああ、聖者のことですか。それなら私たちのことで間違いないですよ」
ふふっと楽しそうに微笑むルトアは、相変わらず編み物に勤しんでいる。
その光景に早くも慣れてきたスイは身を乗り出した。
「えっ、ルトアは聖者様なのか? あれ? ていうことはフィーリスって聖者様のこと……?」
「そうです。私たちはフィーリスと名乗っていますが、人々からは聖者と呼ばれることが多いですね。長い歴史の中で、いつどこでそのように呼ばれるようになったのかはわかりませんが、その伝聞を今でも受け継いでいるのでしょう。立派なことです」
「そうなんだ……」
だがスイが知っている聖者様の話は、伝聞というには少し緻密さに欠ける内容のように思う。ルトアから聞いた魔毒や瘴気などの言葉は一切出てこないのだ。
あの村はあまり大きな集落ではないし、森に囲まれていて他所との交流が少なかったせいで正しい言い伝えが伝わってこなかったのかもしれないが……。
ルトアとの話は、まるで真実を紐解くような高揚感を僅かながらもスイに与えていた。
もしかしたら自分が知らないことが、知らされていない真実が、もっとあるのかもしれない。
そう思うと小難しい話も苦ではなかった。
「あ、でもそういうことなら俺はフィーリスじゃないよ。俺には浄化の力なんてないし、村に来る聖者様を見てただけっていうか、むしろその恩恵を受ける側だったから」
川で顔を洗っていた時にカルラに質問されたことを思い出した。
本来なら『人間だから違う』と言いたいところなのだが、かつての面影がないほどに変貌してしまった自身の見た目を思うと、それもはばかれる。そう断言できるだけの自信が、今は、ない。
スイは十ヶ月経ってそれなりに伸びた髪の毛にそっと触れた。
編み物の最終段階へ突入したらしいルトアは、先程とは別の毛糸を取り出して何やら縁に縫い付けるようにしながら話を続ける。
「それはどうでしょうか? 君が嘘を言っているとは思いませんが、それだけではフィーリスではないという確証にはなりませんね。もしかすると君が気づいていなかっただけで初めから何かしらの力を有していたかもしれませんし、それが何かのきっかけで覚醒したのかもしれません。まあ、カルラが言うようにフィーリスではないでしょうが。君はフィーリスでもなく人間でもない、ひどく曖昧な存在なんです」
「やっぱり人間じゃないのか……」
「そう落ち込まないでください。人間でないからといって何か重大な支障があるわけでもないのでしょう?」
「うーん。そう言われればそうなのかな……? まだわからないな。今のところ変わったのは見た目くらいだけど……」
スイはまた髪の毛を触った。
「あ! お前さっき妙に辛気臭いと思ったら、そういうことか?」
つまんなさそうに岩の上で寝転がっていたカルラが、急に起き上がって話に加わってきた。
「なんだよ、不細工にでもなったってか?」
「いや、多分顔はそのまんまっぽいけど……」
「じゃあ別にいいじゃねぇか。何をそんなに悩む必要があるんだよ。心配して損したわ」
スイにとっては髪の毛と瞳の色がガラッと変わってしまったことはそれなりに大きな変化だったのだが、カルラはスイの都合など知らんとばかりにカラカラと笑い、再び寝そべる。
でも一応心配してくれてたみたいだ。カルラは言葉遣いや行動は粗暴なところがあるが、結構いい奴なのだと思う。
「ありがとう、カルラ」
「なっ⁉︎ 急になんだよ、気持ち悪ぃな……」
居心地悪そうにしながらもどこか照れたようにそっぽを向いてしまった。
「さ、できましたよ」
そうこうしているうちにルトアの編み物が完成したらしい。
スイが振り向くと同時に肩にふわりと何かが被さってきた。
「どうぞ。スノーヴェヒターの毛で編んだので暖かいですよ。柔らかくて軽いのにとても丈夫なので私たちも愛用してるんです。ほら、お揃いですよ」
ルトアは奥のほうにある布の塊を指差した。その隣にあるのはきっとカルラのものだろう。
スイは肩にかけられたそれをまじまじと見下ろした。
すっぽりと上半身を覆うその作りはスイが持っていた雨具によく似ており、袖がなく動きやすいものだった。手作りとは思えないくらい細かな網目で、体の熱が逃げることなくかなり暖かい。表面を軽く撫でると案外サラッとしている。
スノーヴェヒターがどんな生き物なのか想像もつかないけれど、真っ白な毛の色はとても綺麗だった。
「ルトア、ありがとう。こんなにいいもの、もらってもいいのか?」
「もちろんですよ。これから一緒に過ごすんですし、冬はまだ終わりませんからね。さて、と。それではそろそろ食事にしましょうか」
そう言って立ち上がると、ルトアは岩の上に置いてあった円柱形の灯りを持ち、洞穴の奥へと移動した。
スイが寝ていた場所にもそれと同じ灯りがあり、洞穴の中を明るく照らしているが、奥のほうには灯りがなかったので、ルトアが進むにつれて新しい道が浮かび上がってくるように見えた。
洞穴かと思っていたけど結構奥まで道が続いてるみたいだ。ここは洞穴というよりは洞窟なのかもしれないな。
さっきまでルトアが座っていた岩の上に腰かけ、どんどん小さくなるその姿を見ていたが、角を曲がったのかとうとう見えなくなり、再び暗闇となった。
先を見通せず手探りで道を行く感じが、小さい頃に夜の森を歩いた記憶を呼び覚ます。
夜の森は危険なので基本的には立ち入らないのだが、どのように危険なのかを教えるためにかつて父は幼いスイを連れて歩いたのだ。昼間歩いた道をそのまま通っているはずなのに、全然知らない道のように見えた。すぐそばに父がいるのに、とても心細かった覚えがある。
スイは懐かしさにふけっていたが、岩の上で大の字になっていたカルラに何気なく視線を移した。
「なあ、カルラ」
「んあ? 何だよ」
「ここって一体どこなんだ? 俺が倒れてた森から結構離れてる?」
「あー……そこそこ離れてるかもな。山二つくらいは移動したから」
「そっか……」
村からあの森がどれくらい離れていたかもわからないが、そこからさらに山二つ分となると相当離れたところに今いるらしい。
あいつら、計画的にクアンを盗みに来たならそれなりの移動手段は用意していただろう。袋詰めにした俺をずっと背負って森の中を歩いていたとは考えにくいし、おそらく馬か何かである程度距離を稼いだ後で徒歩に切り替えたに違いない。
俺を始末しようとしてたから、村の近くの森ではないはずだ。簡単に足がつくような真似はしないはずなんだ。
そう、魔物がいる森なんて、俺は知らない。
あいつらはあの森に魔物がいることを最初から知っていて、それを利用しようとしていた。そして俺は、魔物の餌になりかけた———。
ぶるりと背筋を震わせる。
……嫌なことを思い出した。
「おい、大丈夫かよ? 顔色悪いぞ?」
「ああ、うん。大丈夫……お腹空いたなって」
腕をさすりながら苦し紛れの嘘をつくと、カルラは急に真面目な顔で瞬きを繰り返した。
「腹が減ると顔色が悪くなるなんて……スイ、お前って奇っ怪な奴だなー」
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