第12話


「うーん……」


 水面に映る自分の姿をまじまじと見つめ、フウッとため息をつく。


「なんでこんなことに……。これじゃあパッと見は誰かわからないなあ」


 スイは自分の髪の毛をひとつまみし、ため息を零してその手を離した。今日何度目になるかわからないため息。


 一体全体どうしてなのかこれっぽっちもわからないが、髪の毛と目の色が変わってしまっていたのだ。



 十ヶ月近くも眠っていたことに驚いたのも束の間、今度は顔を洗おうとして水面に映った自分の姿に驚いた。

 白髪のように見えたそれは、よくよく見ると銀髪のようであった。そして雲一つない晴天を思わせる青色を瞳に宿していた。



「なんだよ辛気臭い顔して」


 カルラがタオルを持って来てくれたので、また一つため息を零しながら受け取った。


「ありがとうございます、カルラさん」

「うわっ。すげぇ鳥肌立った! 呼び捨てでいいよ、カルラで。さん付けとかされたことなさすぎてビビったー」

「えっと、じゃあ……カルラ?」


 言われた通り呼び捨てにしてみると、腕をさすっていたカルラが右の口角だけを器用に上げてニッと笑った。


「そうそう、それでよし。ってか敬語もなしな。馬鹿丁寧なのはあいつだけで十分」


 肩をすくめるカルラに、戸惑いながらもスイは頷いた。手にしたタオルを脇に置いて、今度こそ顔を洗う。



 洞穴から出てすぐのところに川が流れていた。何だかいろいろありすぎて頭がぐちゃぐちゃになってきたので、一度サッパリしたくて顔を洗いたいと申し出たのだが、案内されたのは思ったよりも立派な川だった。スイが普段釣りをしていた川よりもかなり大きい。


 水の流れが結構速く、手を差し入れるとかなり冷たい。



 十ヶ月。

 それだけの月日が過ぎ、季節は今、冬らしい。

 川の水だけじゃなく空気も冷たい。本当にそんなに長い間眠っていたんだな、と身をもって知った。


 スイが住んでいた村も雪の積もらない比較的暖かい気候の地域だった。周りの木々を見る限りでは、ここも似たような気候なのだろうと思う。

 そういえば着ている服もスイのものではなく、寒さを凌げる厚手の生地で、細かな刺繍の入った見たことのないデザインだった。




「なあ、スイって何者なんだ? フィーリスじゃないんだよな?」

「へっ⁉︎」

 顔を拭いていたタオルから顔を上げる。予想外の質問に思わず素っ頓狂な声が出た。


「オレらと同じかなーって思ったけど違うみたいだし? でも人間ってわけでもなさそうだよな。なんつーか、すげぇ曖昧な感じ」


 今度は声すら出なかった。



 人間じゃない……?


 今まで生きてきて自分が人間じゃないと思ったことなど一度もないし、そもそも自分は何者かだなんて考えたこともなかった。

 獣の姿をした人たち、獣人と呼ばれる種族ではないことだけは確かだけど、それ以外だったら一体何になるんだろうという疑問しか浮かばない。


「俺って……人間じゃないのか……?」


「いや知らねぇし。むしろこっちが聞いてるんだけど。何だよもしかしてわかんねーの?……うわ、めんどくせーの拾っちまったかも」

 カルラはあけすけにそう言うと、くるりと踵を返した。


「とりあえず戻るぞ。話の続きはそれからだ」





 洞穴に戻るとルトアが編み物をしていた。


「二人ともおかえりなさい」

 スイとカルラが戻って来たことに気づき、にっこりと微笑む。


「ただいまー」

 カルラはルトアが編み物をしていることを特に気に留めることもなく、適当に返事をしながら奥へと進んで行く。


 スイもカルラのあとに続いたが、洞穴で編み物というミスマッチな光景が気になって仕方がなく、ついルトアのことを凝視してしまう。

 淀みなく動き続ける指先は素人のそれではなく、明らかに熟練者であることを物語っていた。


「もう少しで君の分が出来上がるので、待っていてくださいね」


 しかも俺の分らしい。

 複雑な気持ちでひとまずお礼を言い、さっきまで寝ていた場所に腰を下ろす。弾力性のある綿がふんわりと包み込んでくれた。



 ちょうどいい高さの岩の上に胡座をかいたカルラが早速話を切り出す。


「スイ。さっきの続きだけどな、お前は人間というにはちょっと微妙な、曖昧な存在なんだよ」


 目が覚めてからわからないことだらけだけど、一旦疑問は隅の方に追いやることにして話の続きを聞く。


「あんなに強い神力を垂れ流してたくせに、今はまったくなんにもないしな。その代わり、すげー変な感じ。お前の存在そのものが良いものなのか悪いものなのか、それがわからねぇことには放っておくわけにもいかねーじゃん? それで目が覚めるまで待ってたわけ」


 結局何もわからなかった。むしろ疑問が増えた。

 神力って何だろう? しかも垂れ流してた? そんなよくわからないものを垂れ流した覚えはないけど……。



 スイは混乱しながらも情報を整理しようとしたが、うまく頭が回らなかった。カルラの説明が断片的すぎて全然繋がらない。点と点は線になることはなく、ひたすら点のままだった。

 だけどカルラの口ぶりから、値踏みされている、というか警戒されているようだとは感じる。


 誤解はされたくない、と思った。魔物から助けてもらったわけじゃないみたいだけど、それでも森の中で気を失っていたらしい俺を助けてくれたことには変わりない。


 とにかく今の自分の気持ちだけでも伝えなくちゃ……。



「……俺自身、何が何だかわからない状況だけど、お世話になったカルラたちに恩を仇で返すような真似はしない。したくないと思ってるよ。……悪いものなのか、とかもよくわからないけど、もしそうなら俺は今すぐここを出て行って二人に迷惑をかけないと誓う」


 だから、安心して欲しい。そして願わくば、悪いものではないと思って欲しい。そんな気持ちを込めて目の前のカルラを見た。




 すると、背後からクスクスと愉快そうに笑う声がした。


「カルラ、君のはちょっと説明不足かもしれませんね。スイが混乱してしまっているようですよ?」


 そう言いながらもルトアの手はせっせと毛糸を操る。


「いいですかスイ。カルラの言う悪いものというのは、善悪とはまた別の次元のものになります。たとえ君が善い人格者であったとしても、それはあまり意味がありません。重要なのは君が周りに与える影響であって、そこに君の善悪は関係ないのです」


 ルトアはスイの目を真っ直ぐに見つめ、優しく微笑んだ。そして、まだ理解しきれていないスイの考えを見透かしたように、大丈夫ですよと続ける。


「今はわからなくてもそのうちわかるでしょう。己のことであれば、たとえ嫌でもわかる時がきます。わからなくてはいけない時が。それまでは私たちと行動を共にする、なんてのはどうでしょうか? 心配しなくても衣食住は保証しますし、私たちは君を監視することができるのでお互いにとって利益があります」


 その長いまつ毛が伏せられることはなく、真っ直ぐにこちらを見続けている。どこまでも澄んでいる瞳は温かさも冷たさも感じない。それは作り物のような美しい顔にふさわしく、感情を推しはかることが難しい。



 監視と言われるとやっぱり不穏な感じがしてしまうのだが、ルトアの声音は思いの外穏やかで警戒心とは無縁であったため、スイはゆっくりと肩の力を抜いていった。

 それに、今もなおルトアの手元が淀みなく編み物を生成しているさまは、どこか日常的な雰囲気を漂わせていて、知らず知らずのうちに強ばっていた筋肉をゆるゆると弛緩させる力があった。



 スイは少し考え、そして決断する。


「わかった。今はまだわからないことだらけだから、ルトアさんとカルラにいろいろ教えてもらいたい。それから自分の身の振り方を考えたい、と思う」


 人間ではなくなってしまったらしい状態で、今まで住んでいた村に戻って大丈夫なのかがわからない。村に戻りたいのが本音だけど、ここがどこなのかもわからないままではどうしようもない。


 どうあっても、この二人の助けが必要なのだ。幸い一緒に行動してもいいと言ってくれてるし、そこはありがたくお願いしたほうがよさそうだと思った。


「だから、よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げ、顔を上げると、何故かルトアが悲しそうな表情でこちらを見ていた。あれだけ喋っていても一切止まることのなかった手が止まっている。


 悲壮感さえ漂うその様子にスイは思わず気を揉んだが、すぐにそれは杞憂であったと判明した。


「私だけ『さん』付けなのは何故ですか……? カルラのことは呼び捨てなのに……。何だか距離を感じて悲しいです」



 まさかの申告に、今度からはルトアのことも呼び捨てにしようと心に誓うスイであった。

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