第10話
揺れで目を覚ますと、体中が痛かった。殴られた鳩尾辺りが特に痛くて若干吐き気もあったが、身動き一つできなかった。体を小さく丸められて縄か何かで縛られて、さらに袋詰めにされているようだった。
魔力で拘束されていた時よりは動けそうだったけれど、さっきからひっきりなしに揺れている袋の中ではどうせただの悪あがきに過ぎない。
少しずつ意識がハッキリしてきた頭でもう一度状況を整理することにした。
コウラクさんは旅人ではなかった。最初からクアンを狙っていたと考えるのが自然だろう。この村にやって来てから事を起こすまでの手際が良すぎる。きっと誘い風で連れとはぐれたというのも嘘だ。
仲間の男たちとの会話を聞いても、これが計画的であることがわかる。
クアンを売ってお金にするために盗みに来たのだ。
クアンのことを知っているのは村の人たちだけじゃない。飼い主探しに積極的だった頃、村を訪れた人々にクアンを何度も見せている。そして、ある商人は一枚の羽根だけでとてつもない価値があることを教えてくれた。
つまり、クアンの存在と価値は人伝に広がっているのだ。手に入れようとする者が出て来てもおかしくはない。今まで被害に遭わなかったことのほうが不思議だったのかもしれない。
今さら悔いてもどうにもならない。
もう事は起きてしまったのだ。
だけど、こんな状況でもまだ生きていることに震えそうなほど安堵している自分がいる。
正直死んだと思った。あの一瞬でそこまで頭が回ったかどうかはもう思い出せないけど、とにかく生きている。その事実がスイの感情を昂らせた。
布を噛まされていなければ涙を堪えることもできなかったかもしれない。歯が折れそうなほど食いしばり、必死に声を押し殺した。
揺れる袋の中である程度気力と体力が回復してきたものの、助かったわけでもないし、どこに運ばれているのかもわからない。
どれくらいの時間そうしていただろうか。ふいに揺れが収まり、くぐもった声が聞こえてきた。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
「ああ。ガキを下ろせ」
ドサリと乱暴に地面に置かれ、強かに体を打つ。痛い。もうあちこち痛すぎて、どこが痛いのかもわからなくなってくる。
閉じられていた袋が開き、新しい空気が流れ込んでくるのを感じた。息苦しさから少しばかり解放される。
男たちの油断を誘うため、目は固く瞑ったままでいることにした。袋から無理やり引っ張り出された時に一瞬だけ瞼を上げてしまいそうになって堪える。
すぐそばで剣を鞘から抜いた音が聞こえた。
「致命傷は避けるんだぞ。魔物の餌にするんだからな」
「わかってますって。逃げられねぇように足を切るだけでさ」
直後、斬られた、と思った。何故か痛みは感じられなかったが、音が、感触が、斬られたのだと言っている。
そして一拍遅れて、じわりじわりとふくらはぎの辺りが熱を持ち始めた。そこからはあっという間で、激しい痛みと熱さで全身が一気にこわばった。
斬られた範囲が大きいのか、傷口が脈打ってるようにさえ感じる。暴れてしまいたいほどの痛みだったが、少しでも動くと激痛が走ったので、ただひたすら痛みに体を硬直させることしかできなかった。
全身の皮膚から汗が吹き出しているような気さえする。涙と鼻水も出ていたかもしれないけど、気にしてなどいられなかった。
もはや目を閉じていることはできず、すでに瞼は全開だったのだが、周りを観察することに意識を割くことは不可能な精神状態だった。
「精々おいしく食べられるんだな」
男は嘲るようにそう言うとスイから離れた。足音が遠ざかっていく。
さらに遠くのほうでコウラクと若者のやり取りが聞こえた。
「えー、おれ一人で見張りっすか? 嫌っすよこんなところで」
「文句を言うな。貴様も魔物の餌にしてもいいんだぞ?」
「へーい……」
「あのガキがちゃんと食われるところを見届けてから合流しろ。いいな?」
自分の身にこれから起こることなのに、まるで他人事のように聞こえた。
マモノ。まもの。魔物。
確かにそう言っていたが、それがどういうものなのかわからない。いや、話を聞いたことはある。そしてそれが決して良いものではないことくらいなら知識としてある。
だけど、実際にそれを目にしたことは一度もない。
魔物がどんなに恐ろしい生き物なのかわからないが、とにかく今この状況ではそれすらもさして重要には思わなかった。次から次へと襲いくる足の痛みのほうが、スイの感覚の九割ほどを占めていたせいだ。
痛さと怒りと悔しさで感情がぐちゃぐちゃだった。
朦朧としながら残りの一割で男たちの会話を聞いていたのだが、空気が突然ピリッとした感じがした。
何が起こったのだろうという疑問に、すぐ答えが用意された。
「クソっ! もう来やがったか!」
「慌てるな! 奴の目的は私たちではない!……なあに、ちょうどいいさ。ここで少しの間見ていようじゃないか。魔物が獲物を捕らえる瞬間をな」
それが何を意味しているのかわからないほどスイは鈍くはなかった。
来たのだろう、魔物が。
足音もなく、静かにそれが迫って来ているのだろう。
視界には地面と草と、縛られた手首しか映らない。
だけど確実に、自分の命がもうすぐ終わるであろうことを悟っていた。
この時、本当に一瞬だけど、頭の中が真っ白になった。痛みすら忘れたように、妙に気持ちが落ち着く瞬間があった。
死を目前にすると人はすべての感覚を失うのだろうか? わからない。だが、いわゆる走馬灯の代わりにあることを思い出していた。
冷たい地面。動かない体。
暗くて寒くて震えている。
ここ最近ずっと見ていた夢を思い出していた。
もしかして正夢だったのかな、と呑気な考えが浮かんだ時、ならあの暖かい光もあるんじゃないのかと思った。
それが何だったのか未だに思い出せはしないけど、今はそれが唯一の心の拠り所のように思えた。
夢で見た光景と同じように、あの光が、暖かい光が視界の端にかすめて、スイは沈みゆく意識の中で、ゆっくりと目を閉じた。
———クアン、助けてやれなくて、ごめん。
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