第7話



 夢を見た。


 冷たい地面の上にうつ伏せになっていた。

 暗くて寒くて震えていた。

 体が少しずつ地面に吸い込まれていく。

 視界の端に暖かい光を感じて、そちらに行きたかったが体が金縛りのように動かない。


 ついに何も見えなくなった時に目が覚めた。





 何だか嫌な夢を見たなと思いながら、スイは玄関先に散らばった木の枝を拾い集める。


 誘い風が止み、窓枠の板を外すと太陽がもうすぐ頂点に達しようとしていた。昨日とは打って変わって無風の今日は、皆総出で村の掃除に励んでいた。



 まずは自分の家の周りを片付け、人手の足りない場所へと手伝いに行くのだが、飛来率の高い反物などは多少破れていても繕えば使えるものも多く、ゴミとそうでないものの区別もあるので意外と時間がかかるのだ。


 木の枝をこれ以上持つことができなくなったので一旦家の裏に置きに行こうとして、叫べば聞こえる距離にある隣家を見た。

 ナッドの家も家族全員でせわしなく動いており、家の中と外を往復するナッドがこちらに気づいて手を振ってくる。


 いつも通り元気そうだな、と思っていると、ナッドは父親と何か話をしてから走って来た。


「よっ! 昨日は相変わらず凄かったなぁ! 手伝いに来たぜ。うちはだいたい片付いたし、スイのところに行ってもいいって言われたからさ」


 ニカっと笑うナッドにスイも微笑む。

「ありがとう。助かるよ」

「スイの家はほとんどゴミばっか集まったみたいだな? よし、さっさと片付けちまおう」

「うん」


 一人でも掃除はできるが手伝ってもらえるならそのほうがいい。



 スイは拾った枝を家の裏にある廃棄物専用の箱へ投げ捨てた。一家に一つあるこの箱は、ある程度量が溜まると回収せずに燃やす。魔力を使うため正確には燃やしてるわけではないらしいが、見た目は燃えている。


 火種は必要ないし、燃えカスも発生しないので、魔力って便利だよなぁとつくづく思う。



 戻ってくるとナッドがゴミを一箇所にまとめてくれていた。近づいてお礼を言い、まとめ作業が終わっている箇所に屈む。

 手を動かしながら何気なく聞いてみた。


「プロポーズはうまくいった?」

「ぶはっ!」


 何故か盛大に吹き出された。


 そして慌てたように口元を手の甲で拭い、頬を赤く染めて目を泳がせる。

「な、おまえ……。いきなりすぎるだろ!」


「聞いたらまずかった?」

「そうじゃなくて、そういう話題はデリケートな問題があってだな、聞くにしても会話の流れとかあるだろ。スイはいつも直球すぎるんだよ」

「うーん。じゃあ……本日はお日柄も良く」

「違う違う違う」


 両肩を掴まれ、ぶんぶんと首を振られる。


「スイってしっかりしてそうに見えるのに、どっか抜けてるよな。だからほっとけないっていうか、危なっかしいんだよ」


 呆れ顔でそう言われるのは初めてじゃなかった。昔からナッドは俺に対してちょっと信用がない気がする。

 

 小さい頃はいいとして、もう成人した今でも言われ続けるのはいかがなものかと思い、少し考えた後、スイは改めて口を開いた。


「ナッドはめちゃくちゃいい奴だ。頼りがいもあるし俺の一番の友達だから幸せになってほしいと思ってる。だからプロポーズがどうなったのか気になってるんだけど」


「ああ〜もう、小っ恥ずかしいことを真顔で言うな!」


 またしても首を大きく振られた。ナッドの頬がさらに赤く染まっている。どうやら辱めたらしい。



 ようやく落ち着いたナッドがかしこまったように咳払いをすると、真剣な表情を向けてきた。

「今日この後コシェと逢う約束してるんだ。そこでプロポーズの返事を聞くことになってる。本当は昨日だったんだけど誘い風のせいで、それで今日になった」


「今日? それならうちの手伝いなんかしてないで早く聞きに行ったほうがいいんじゃないか?」

「いや、返事を急かすみたいなことして小さい男だと思われたくねぇから、いい」

「そうか……。うん、わかった」


 ナッドがそう決めたのならこれ以上何も言うことはない。それにこれはナッドとコシェの問題なのだから、俺が出しゃばることじゃない。

 でもなんだか、自分のことじゃないのに妙にドキドキしてきた。今日この後、結果がわかるのか……そう思うと、早く聞いて来いとナッドを急かしたくなってしまいそうになる。



「俺って実は小さい男だったのかなぁ……」


 失望ってほどではないけど、ちょっと自分にガッカリしたというか何というか。


 ため息混じりに呟くと、ゴミを集めていたナッドが振り向いた。

「何か言ったか?」

「いいや? 何でもないよ」


 自嘲気味に笑い、作業に戻った。





 太陽が低くなり、もう少しで日が陰る頃にようやく村全体の掃除に目処がついたので、スイが家に戻ろうとした時だった。


「すまないね。旅の途中なんだが昨日の暴風で連れとはぐれてしまって難儀していたところなんだ。少しの間こちらで厄介になってもいいだろうか?」


 村の入り口に現れた壮年の男は手近な村人へと声をかけていた。ずんぐりとした体型で、ベルトの上に窮屈そうに乗った腹肉に手を置き、人当たりの良い笑みを浮かべていた。


 今回はこの人が誘われてきたのか、とスイは思った。誘い風の被害に遭うのは大抵、旅人か商人だ。彼らは道を見失い、足が棒になるまで歩き続けた果てに人々が暮らす集落にたどり着く。その頃には疲労困憊で、村の入り口で力尽きる者もいた。


 道だけでなく荷を失うこともあるが、その男はしっかりと皮袋を背負っているところを見ると無事だったようだ。腰に立派な剣をぶら下げ、村人と笑顔で話しながら口髭をゆったりと撫でつける様子は、特に疲れもなく余裕に満ちている。


 きっと運がよかったのだろう。あまり苦労せずにここへ来られたらしい。

 それに今話している相手は村長の娘だった。ならばすぐに話が通り、今夜の宿に困ることもないだろう。やはり運がいい。


 自分が手助けする必要はなさそうだと判断したスイは、軽く伸びをして家に戻った。途中、ナッドは今頃コシェと一緒かな、などと思いつつ良い知らせが聞けることを願っていた。





「スイ!」

 玄関の扉が勢いよく開くと同時にナッドが飛び込んで来た。


 晩ご飯を食べ終え、後片付けをしていたスイは危うく皿を取り落としそうになる。


 喜色満面の笑みを浮かべ、入って来た時の勢いのままにガシッと肩を組まれる。近づいた拍子に酒の香りがふわりと鼻を刺激した。

 もしやとスイが口を開く。


「ナッド、プロポーズ成功したのか?」

「おうよ! やったぜスイ〜!」

「おめでとう、ってか酒臭いなぁ。まぁ祝い酒ならしょうがないか」

 泥酔とまではいかないが、よく見ると顔が赤い。


「スイ!」

「うん?」

「おれは今幸せだ!」

「それが聞けて嬉しいよ」

「スイ〜!」

 機嫌が最高潮のナッドは、今度は力任せの抱擁でスイにその喜びを示した。お互いに背を叩き合い、笑い合う。


「本当におめでとう!」


「ありがとな!……でももっと早くおまえに知らせたかったんだけど、コシェの親に捕まってさ。一杯だけのつもりがいつの間にかおれの親もいて、軽く祝いの席みたいになっちまってよ……」


 申し訳なさそうに目を伏せるナッドに、スイは気にするなと笑顔で応える。


「こうやって知らせに来てくれただけで十分だよ」


 とりあえず片付け途中であった食器類を棚にしまい、椅子に座るようナッドに促す。酔ってるしお茶よりも水かな? と思い、透明なグラスに水を注いでテーブルの上に置いた。

 目の前のグラスに早速口をつけるナッドを横目に、スイは自室へと向かう。ほどなくして戻って来ると、その手にはいくつかの羽根が握られていた。



「俺からのお祝い。何がいいかなってずっと考えてたんだけど他に思いつかなくて」


 それは一見ゴミとも捉えられそうな代物だったが、現時点で人にあげられそうなものの中で、一番、スイにとっては価値のあるものだった。


 夜空の星々を散りばめたような光り輝く羽根。


 魔力を送ったクアンが暴れたあの日、あまりの暴れっぷりに抜け落ちた数枚の羽根。

 それ以降はいくら月日が経とうとも、一枚も抜け落ちたことがないことを考えると、まさに貴重と言わざるを得ない代物であり、それでなくとも、他では手に入らないくらいにとにかく美しかったので、スイはずっと大切に保管していたのだ。



「ハンさんとか手先器用だし、頼めば二人でお揃いのアクセサリーが作れるかもな。あまり数は多くないけど好きに使ってよ」


「いいのかよ? 大切にしてたじゃねぇか……」

「うん。いざという時は換金してくれてもいいよ。確かに大切にしてはいたけど、ナッドたち夫婦のほうが大切だしね」

「ばかやろ……売るわけねぇだろ。でもありがとうな、大切にするよ」


 眉間にシワを寄せて今にも泣きそうな顔のナッドは、壊れ物を扱うかのようにそっとスイから羽根を受け取った。



 実は以前、クアンを拾って一月も経たない頃、村を通りかかった旅の行商人にこの羽根を見せたことがある。各地を旅する商人であれば、どこかの街で似たようなものを見たことがあるかもしれないと思ってのことのだった。

 結果として目ぼしい情報は得られなかったが、代わりに羽根の商品価値を知ることになった。これほどまでに美しい品はその商人が知る限りどこにも流通していないらしく、たかが羽根につけるとは思えない金額を提示されたのだ。


 聞くところによると、都がある栄えた地域では珍しい品を集めたがるコレクターと呼ばれる人種がいるらしい。上流階級である彼らは目当てのものを手に入れるためならば金に糸目をつけないのだとか。


 提示された買取金額にスイとナッドは目を白黒させたが、コレクターたちに売ればそれをさらに上回る利益が約束されていることを知り、都会ってすげーなと興奮したものだ。



 そのことはお互い忘れるはずもなく、普通ならば羽根を換金などと冗談のような会話であるが、それが冗談ではなく現実的な話であると知っている二人だからこそできる、冗談めいたやり取りであった。





「じゃあ、そろそろ戻るわ。抜けて来たからあんまり遅いとここに乗り込んでくるかも」

「今度改めてお祝いさせてくれよな」

「おう、楽しみにしてるぜ」


 まだ酔いは覚めてないようだがしっかりとした足取りで扉へと向かい、出て行く前にニヤリとからかうような笑みを浮かべる。


「おまえも早く好きな女の一人や二人、作れよ!」

「だから二人もいたらダメだろ」


 なんだか前にもこんな会話したな、と愉快に笑いながらナッドを玄関先で見送る。


 本当によかったと自分のことのように嬉しく思っていると、止まり木に佇むクアンと目が合った。

 あれだけ騒がしくしていたというのに鳴き声一つ上げず物音も立てず、ただただ静かにそこにいた。ひどく目を惹く見た目なのにまるで存在感がない。


 朝はあんなに元気なのになぁ。

 毎朝欠かさずスイのベッドの上を跳ねて回るクアンの姿を思い出し、その違いに思わず笑みがこぼれる。



 ふんわりとした首元に指を滑らせ、おやすみと声をかけると、返事の代わりにゆっくりと瞼を閉じた。

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