第6話

 その日は朝から強い風が吹き荒れていた。年に何回かこうした風に見舞われるのだが、家の中に籠ってこれをやり過ごすのが通例となっている。


 いつ来るかわからない暴風に備え、窓や扉は風に押されても大丈夫なように外開きで、さらに内側にはもう一枚板を固定することで強度を高めることができる仕組みになっている。外壁は風の抵抗を受けぬよう無駄な装飾のないシンプルな建物ばかりで、家畜の小屋もすべて頑丈な造りである。


 内側の窓枠に板を固定すると外の様子は見えなくなってしまうが、どうせ土埃で何も見えないのだから問題はない。室内がちょっと閉塞的になるだけだった。



 丸一日は外に出られないため不便ではあるが、村の者たちは常日頃から食糧備蓄をしっかりしているため何も心配せずに過ごすことができた。

 スイも例に漏れず自宅でのんびりと朝食を食べていた。


「なぁ、クアン。今回の誘い風はどんなものが来るだろうな?」


 温かいスープを一口飲み、止まり木を見るとクアンは首を小さく傾げてみせる。



 暴風によりさまざまなものが飛んで来るのだが、それは品物だけにとどまらず人間さえもやって来ることがある。


 人間の場合はさすがに飛んで来るわけではないが、道中の旅人などは進むべき方向へ行けずに風に押されて進路を強制的に変えられてしまうのだ。渦中の人物にとっては大変迷惑な話なのだが、たどり着いた先の住人にとっては、まるで風に誘われるかのごとくやって来た、という印象であるため『誘い風』という呼び名が昔からこの村では根づいていた。



 そういえば去年は珍しい品物を持った商人がやって来たな、とスイは朝食の後片付けをしながら思い出す。


 ここら辺では見かけない品々に村の者たちは色めきだったが、既に納品先が決まっているらしく売ってはもらえなかった。見るだけでも楽しかったが、どうせなら何か欲しかったと皆一様に肩を落としたものだ。


「誘われてくるものはいいものばかりじゃないんだけど......。ゴミとかがほとんどだし」

 明日はきっと村の掃除に駆り出されるだろう。思わず苦笑する。



 バサリと羽ばたく音が聞こえて振り向くと、クアンがその美しい羽を広げていた。青空を嵌め込んだような二つの瞳がこちらを見据え、ふるりと体を震わせると静かに羽を閉じる。


「もしかして激励のつもりかな?」


 そう尋ねるとゆっくりと首をもたげる。やはり激励だったらしい。

 スイは感謝と愛情を込めてクアンの首元を撫でてやると、心地良さそうに目を細めた。


 星を散りばめたような羽はクアンが動くたびにまばゆく光る。



 もし明日、クアンのことを知っている人が誘い風でやって来たら———。


 撫でていた手を下ろし、ため息をつく。



 最初の目的は飼い主を探すことだった。でも月日の経過とともにその意欲も下降していき、ほとんど家族のようになってしまった今となっては手放すことに躊躇いが生じている。

 だけどいずれ来る別れを思うと、預かっているという心づもりでいたほうがいくらか楽にも思えるのだ。



 スイの中では相反する気持ちが常に同じくらいの大きさで存在していて、ある時はクアンはもう自分の家族だと思う気持ちが大きくなり、またある時はクアンを探し続けているであろう人の元へ返してあげたい気持ちが大きくなる。自分ではどうしようもないせめぎ合いがあった。


 できることならクアンの幸せを一番に願いたいのだが、どちらの選択がそれを叶えるのかはわからなかった。



 少し目線を落とすと細い銀の輪が目に入る。


「これがついていなければな……」


 所有者がいる可能性の証であるそれが、いつだってスイの気持ちを惑わせる。


 いずれ失ってしまうのならば、大切なものを失う悲しさをまた味わうくらいなら、最初から手にしなければいい。両親を失った過去がそう仄めかす。



 ふうっと大きく息を吐いて、嫌な記憶を振り払うように頭を軽く振った。


「こういう時こそ外で気晴らしできたらいいのにな」


 外の風の音に耳をすませるも、未だ凄まじく吹き荒れていて当分は止みそうにない。なかなか思い通りにはいかないものだなと自嘲気味に笑うと、クアンが心配そうに低く鳴いた。ポンポンと頭を撫でてやり、何でもないよと声をかける。



「そういえばナッドはうまくいったのかな……?」

 ふと思い出したのはつい先日の出来事。一緒に森へ苔ウサギを狩りに行った日、思いがけず彼の想い人を知ることになった。


 その日のうちにプロポーズしたのかはわからないが、ここ数日ナッドの姿を見ていない。確か今日で三日目になると思う。


 もしかしたらまだプロポーズしてないのかもしれないし、返事待ちなのかもしれない。もしくはフラれて落ち込んでたりするのかも。いや、ナッドはいい奴だしフラれるとは考えにくいけど肝心のコシェの好みをよく知らない。


 コシェはソクさんの姪ということもあって、スイにとってはそれなりに接点があるほうだったがあまり話したことはなかったのだ。


 ソクさんは村で一二を争う狩りの腕前で罠作りにも詳しく、小さい頃からよくナッドと一緒に教えを請いに行っていた。ソクさんに会いに行くとだいたいいつもコシェがいた。彼女は俺たちと違って魔力の練習のために通っていたのだとナッドから聞いたことがある。


 コシェはあまり快活なほうではなかったけど、ナッドが持ち前の明るさで根気強く話しかけているのを何度も見ている。



 あ、そうか。

 よくよく思い出してみるとコシェとの会話はいつもナッドを介していた気がする。ナッドが間に入っていたというか、ナッドが一方的に話しかけた内容を聞かされてたというか、とにかくスイが口を挟む余地がなかったのだ。


 いつの間にかそれが当たり前になっていたし、俺はコシェと話すよりもソクさんの罠作りを見ていることのほうが多かったから尚更だった。


 今思えばあの頃から既にナッドの心には淡い恋心が芽生えていたのかもしれない。



 明日、どうなったか聞いてみよう。ナッドもきっと誘い風の後始末に駆り出されるだろうし、よい返事があったのだとしたら一番にお祝いの言葉を伝えたい。ダメだった時は憂さ晴らしにとことん付き合おう。



 そう考えると明日が楽しみになってきた。

 先程までの憂鬱が吹き飛び、スイは上機嫌で短剣の手入れを始めた。

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