第5話


 支度を終え、ナッドと森へ向かう。雲が多いが雨の気配はない。過ごしやすい暖かな気候と太陽の光は森の木々を豊かに育てていた。


 迷いなく森の中を進めるのは、小さい頃から通っているからであり、村の大人たちに教わったことがきちんと身についているからだ。よそ者には一見わからない目印や獣道を二人は難なく歩いて行く。



 何度目かの分かれ道で前を歩くナッドが足を止め、目的の方向とは別の道を横目で一瞥すると再び歩き出した。


「クアンの飼い主、見つからないな」

「そうだね」

「飼い主なんていないのかもな」


 特に感情のこもらない淡々とした言い方なのは、このやり取りが繰り返し行われているからだろう。時々こうして、クアンがいた川に近づくたびにどちらからともなく同じ内容の会話をする。



 クアンを拾ってからは、村を訪れる商人や旅人の情報収集を積極的に行っていた。


 聖者様が去った後の例の三日間を無事にやり過ごし、ナッドの両親や村の大人たちにクアンの存在を知らせたのはそれからさらに二日後のことだった。

 特別な理由はないが、世にも美しい鳥を匿っているという二人だけの秘密に少しばかりの特別感を抱いていたのかもしれない。端的に言ってしまえば、何となく言い出すのが遅れただけとも言える。


 クアンはとにかく目立つ見た目をしているから飼い主はすぐに見つかると思っていたのだが、これが案外難航し、村の大人たちの協力を持ってしてでも未だに有力な情報は一つもない。


 でも、とスイは思う。

 仮につけたクアンという名前も今ではすっかり定着しているし、一緒に過ごした期間が長くなってしまったことで情が移ってしまっている。もう家族の一員であった。


 飼い主が見つからなくてもいい。むしろ見つからないほうがいい。


 ナッドはスイのそんな気持ちを知ってか知らずかクアンの話題になると、飼い主なんていないのかも、と付け加えるようになった。もし本当にそうなら嬉しいのでスイもあえて否定はしない。




 黙々と歩き続けていると、うっそうとした森を抜けてひらけた場所へたどり着いた。ここ一帯は背の高い木がなくて遠くまで見渡すことができる。頭上から聞こえていた木の葉の揺れる音の代わりに、太ももの高さで生え揃った草花がさわさわと春の風を乗せていた。


「おい、あそこ」


 ナッドの指差すほうを見ると、そこだけぽっかりと穴が開いたように草が生えていない箇所があった。人が一人立てるくらいのごくわずかな空間。

「ソクさんが仕掛けた罠だね?」

「ああ。おれは向こう側を見てくるからそっちは任せた」

 二手に分かれ、罠の成果を確認しに行く。


 スイがそこへ近づくと何かが動く気配があった。


 どんどん狭くなっていくアーチ型の針金の先に濃い緑色の塊が見える。後退できない苔ウサギの習性を活かした罠は見事に役目を果たしていた。


 スイはしゃがんでアーチの隙間から片手を入れ、獲物の後ろ足を掴む。反対の手で腰の短剣を取り、その柄部分で苔ウサギの頭部を強めに殴打する。気絶したことを確認し、罠からずるりと引っ張り出すと持ってきた布袋へ詰め込んだ。


 流れるようなその作業はもう慣れたもので、罪悪感は微塵もない。苔ウサギに対して思うのは「美味しそう」であって、かわいそうと思ったのは幼き日に父親と初めて行った狩りの最初だけ。

 ちなみに今思っているのは、次の獲物はもっと大物だといいな、である。


 あの頃は苔ウサギが気絶させられるさまを見るだけで涙ぐみ、その後の血抜き作業では足が震えたものだが、今はその作業を全部一人でこなすことができる。父がまだ生きていたら成長したと褒めてくれただろうか。

 そんなことを考えながら次の罠を探した。





 それからいくつかの罠を巡り、ナッドと合流した。

 空振りの罠もあったが、弓矢で仕留めた分も合わせると成果としてはそこそこよいほうであり、お互いの布袋もそれなりに膨らんでいた。


 スイはあまり弓が得意ではないため自分で仕留められたのは一羽のみだったが、ナッドは三羽も仕留めていた。


 血抜きのために近くの川へと向かう途中で、ふいにナッドが道を外れる。


「どうかした?」

「あ……ちょっとな」


 なんだか歯切れの悪い言い方で、木の根本にぽつんと生えていた白い花弁の花を摘み、素早く腰のポーチへ忍ばせる。


 そして何事もなかったかのように戻ってくると、じゃあ行くか、とこれまた何事もなかったかのように歩き出すナッドの肩をスイはガシリと掴んだ。


「いやいやいや。今の何? 怪しすぎるんだけど」

「スイ。おまえは何も見なかった。先を急ごう」

「思いっきり見たよ! ていうか見られて困るならもっとこっそりやってくれないとこっちが困る」

「……しょうがねぇだろ、たまたま見つけちまったんだから」

 ナッドは渋々といったふうにポーチから花を取り出した。


「ん? どっかで見たことあるような気がするけど……。これがどうかした?」

 首を捻るとナッドが呆れたように眉を下げた。


「嘘だろ? サクジュの花、知らないのか⁉︎」


「あー……。ああ! サクジュの花ってあれか! 女の人に贈るやつ!」

「スイももう成人したんだからそういうことに敏感になってくれないと、おれは心配だぞ……」


 見覚えがあると思ったのは、村の女の人が髪の毛につけているのを見たことがあるからだった。

 村では成人すると世帯を持つことが許される。男は意中の女にサクジュの花を贈り、プロポーズをする。正式な婚姻が結ばれるまでの間、女は贈られた花を身につける。

 もちろん、フラれたら身につけてもらえない。


 サクジュの花は一度花をつけると七日間咲き続け、枯れる時は跡形もなく消えてしまう不思議な植物だった。群生地がなく、生える場所に共通点もなく、その生態も明らかになっていない。欲しくとも簡単には手に入らない希少さゆえに人気があった。



 あれ? ということはもしかして。


 スイは改めてナッドの顔を見る。


「ナッド、好きな人が」

「みなまで言うな! おれだって好きな女の一人や二人いるっつーの! 悪いか!」


 ナッドの頬がみるみるうちに紅潮していき、まくし立てるようにスイの言葉を遮った。

「悪くないけど、いや、二人もいたらそれはそれでダメなような気もするけど」

 うちの村は一夫一妻制だ。


 そういえばナッドとそういう真剣な話をしたことなかったな、などと思いながら相手は誰だろうと思案する。

 ナッドは時々、あの子の胸が大きいだの、実は着痩せするタイプだのを話題にすることがあった。つまり巨乳好きだった。



「コシェに渡そうと思ってる」


 頬を染めたまま観念したようにナッドは視線を逸らし、サクジュの花をポーチに戻した。


 意外な名前が出たことでスイの頭に疑問が浮かぶ。

「え、巨乳じゃなくてもいいの?」

「おまえは胸の大きさしか見てないのかよ。そんなんじゃモテないぞ」

 憐れみの視線を送られる。

 なんたる理不尽。




 少しばかり立ち止まって話し込んでしまったが、抱えた布袋の重さが本来の目的を思い出させる。

 川に向かっている途中であった。早く血抜きをしないと肉の質が落ちてしまう。


 行きと同じくナッドの背を見ながら歩いた。こちらを振り向くことなくナッドが口を開く。

「その様子だと気になってるやつとか、いないのか?」


「うーん。結婚とかまだピンとこないな」

 スイとて、異性に関心がないわけではない。だけど昔からナッドと一緒に遊びまわることが多かったからなのか、あまり女の子と接点がないまま成長してしまった。


 そう考えるとナッドも自分と条件は同じなはずだ。いつの間にナッドは女の人にプロポーズする段階にまで至ったのだろうか。一年早く成人したことで、知らないうちにいろいろあったということなのか。


 ぼんやりと考えていると、ナッドがチラリとこちらを伺い見た。何か言いたそうにしつつも、何も言わずに前を向く。


「何?」

「いや、なんて言うか……」


 今日のナッドは随分と歯切れが悪い。

 無理やり隣に並んで続きを促すと、ぽつりぽつりと呟くように話し始めた。


「ほら、その、スイは顔がいいだろ? だから……おまえのこと気になってるやつは結構いるのになって思ったんだよ。コシェも、カッコいいって言ってたし……」


 最後らへんは尻すぼみになっていく。

 幼なじみからの思いがけない評価にスイは目を見開いた。


「俺って顔がよかったのか?」

「自分の顔くらい鏡で見とけよ」

「毎朝見てるよ。でも今まで誰にもそんなこと言われたことないし、自分の顔がいいかどうかなんて考えたこともないよ」


 顔を洗って身だしなみを整えるために鏡は見てる。だけど見たところで、自分の顔だなくらいの感想しか湧かない。


 スイの無頓着ぶりにナッドは残念なものを見るような目を向けた。そしてなぜか落胆するように大きなため息をつく。


「まあ、あれだ。おれだってそこそこイケてるほうだと思うんだけどな、コシェに言わせるとスイのほうが女に人気があるらしい」


「えーと、ちょっと待って」

 寝耳に水というか、青天の霹靂と言うべきか。一言で言うと、もうわけがわからなかった。

 眉間を押さえながら頭を整理する。


 顔がいい?女に人気?コシェがそう言ってた?

 どれも自分のことを言われているとは思えず、まるで他人の噂話を聞いているようだった。でも唯一、さっきからやたらと出てくる名前についてはきちんと言っておかねばならないことがあるのだけはわかる。


「とりあえずコシェのことは安心してよ。好きとかそういうのはないから」


 それを聞いたナッドが明らかにホッとしたため、予想が当たったのだと確信する。これで歯切れの悪さや怪しい行動にも説明がつく。ナッドは俺もコシェに気があったらと危惧していたらしい。


 まさか自分が恋のライバル視される日が来るだなんて夢にも思わなかったし、ナッドのこんな姿を見たのも初めてで、なんだか急におかしくなってきて笑いが込み上げてくる。口元に手を当てて隠したつもりだったけど、すぐにバレて肩を軽く叩かれた。


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