結末と始発駅 2

 全身が総毛立つ感覚。自分の身などもうどうなってもよかったと思っていたのに、今この場になってナギはようやく恐怖を感じた、

 人間を超えた存在だという事は重々承知しているつもりだった。だが普段のおどけた態度のせいで認識を誤っていた。


 目の前にいるのは人の知性を持った兵器だ。一度安定を失えば容易く人間など破壊できる。そしてその敵意の矛先は今、ナギを侮辱した民衆たちに向いていた。


「リンやめろ! 僕はそんな事望んでいない!」

 群衆へ向かって歩き出そうとするリンに叫ぶ。しかしリンはナギに対し、いつも通り人懐っこい笑顔で振り返って喋りかける。


「大丈夫ですってば。先輩はそこで待っててください。ボクが先輩の事馬鹿にした奴ら全員に罰を与えるっす」

「それが要らない世話だって言ってるんだ! 僕がいつそんな事を頼んだ!」

「……先輩? ボクは別に先輩の為だけにそうしようとしているわけじゃないっすよ。ボクにとって先輩を馬鹿にされるのは自分を馬鹿にされるよりも腹が立つっすから」

「お前何を――」

「ねえ、知ってるっすか?」


 ナギの言葉を遮り、リンは静かに笑って見せた。


「ボク、昔は自分の事を普通に私って言ってたんです。先輩に憧れて自分の事をボクって呼ぶようになったっすよ」

「ッ……」


 知っている。そんなことぐらい。初めて会って一緒に戦い続け、リンの事は自分の事と同じぐらい知っていた。


「うわああ! 八百長野郎の機巧飛竜ドラグーンが暴走した!」

「う、腕折りやがった! 逃げろ殺されるぞ!」

 市民達が俄かに騒ぎ出す。このまま騒ぎが終わってしまえば、リンまでも今まで積み上げた物を失う羽目になる。

 リンは最早説得では止まらない。だとすればもう、ナギに残されたリンを止める手段は一つしかない。


 人対人には慣れていた。だからナギは、演じた。


「……なあリン、知ってるか?」


 すべて失ったと思っていた自分に残った最後の大切な物。それを自分の手で壊す為に、ナギは口を開いた。


「リンが濡れ衣だと思ってる事、あれって全部本当なんだ?」

「……え?」


 リンの歩みが止まる。信じられないという感情をにじませてこちらを見るリンに、ナギは嘲笑の色を込めて笑って見せる。


「下層出身ってのは本当だ。だってお前、根っから下層の事馬鹿にしてただろう? 言えば何をされるか分かったもんじゃない。第一印象から最悪だったよ、お前」

「……ッ⁉ そ、そんな」

「一人称を真似されてるのだって鬱陶しくて仕方なかった。それに金で勝ち負けを売ってたってのも本当。なんせ金の為に騎手になったんだから、その点お前は勝敗のコントールがしやすい、いい手駒だったよ」

 見る見る顔が青ざめていくリン。その様子を見て嘲笑するように口の端を軽く上げて笑う。


「けどまあ、それも過去の話だ。もうレースに出られないっていうのに、金にもならないお前についてこられても鬱陶しくてしょうがない」

「せ、先輩……な、なんでそんな事……っ」

「馴れ馴れしく呼ぶな。僕を差し置いてこの街に残るお前はもう、僕にとっては妬みの対象以外の何者でもない」


 嫌悪感を表情に露にし、ナギはため息交じりに駅へと歩き出す。そして吐き捨てる様に呟いた。

「じゃあね元気で……えっと、名前何だったっけな」


 目も合わせる事無くリンの隣を通り過ぎようとする。しかしその直前で、ナギが腕を伸ばして行く手を遮った。


「……何? 僕はもうお前の顔も見たくないんだけど」

「……先輩、嘘は良くないっすよ」

「嘘なんてついた覚えはない。さっきのは全部事実だ」

「嘘っす!」 


 強く、縋りつくようなか細い声でリンは声を絞り出して笑った。


「八百長をしていたっていうのも下層出身だったっていうのも、それが例え本当だとしても先輩とボクの信頼は本物っす。口でどれだけ否定したって、僕にはバレバレっすよ」

「……そうか」


 リンの言葉にナギは柔らかく笑い、その頭を撫でる。埃で汚れてがさついた髪、きっと必死でナギの事を探し回ったのだろう。頭を優しく撫でられてリンは心底嬉しそうに笑う。

 だからナギは、リンが見ないようにしていたであろう一つの真実を突き付けた。


「ところでナギ、今回のドラグーンフラッグの前に僕がアーサーとした約束覚えてるか?」

「え?」

「あいつがレース前に持ち掛けた勝負の条件、僕に勝ったらリンを渡せって条件あったよな?」

「え……、っ⁉」

 

 一瞬の間を空け、リンがナギの言わんとすることに気づく。俄かに震えだすリンの頭をさらに優しく撫でながら、ナギは言葉を続けた。


「勿論あんな奴僕からすれば雑魚もいいとこだったんだけど……なにせ市長の息子だ。お前じゃなくてもどうせ僕は勝てるんだしそれなら、あいつに売っちゃおうと思ってね」

 そうだ。リンは肌で違和感を感じていた筈だ。レース中に不自然に、あんな男からフラッグを奪われたこと。そして奪われたフラッグを奪い返すどころか、二本目すら献上しかけた事。

 憶測ではない。事実として横たわるナギの言葉にリンは顔面蒼白になっていく。


「……なあお前、いい加減気づいたらどうだ? 自分が僕にとって、どういう存在だったのか」


 引き裂かれるように口角が歪む。ナギはリンの耳元で、囁く様にそれを口にした。


「特別な何かにでもなれると思っていたのか? 人間じゃない、たかが兵器のお前が」

「ッ‼」


 リンの右腕が、見えない速度で振るわれた。

 逆巻く風が遥か後方に置き去りにされる。瞬間、ナギは自分の死を覚悟した。

 だがその腕はナギの鼻先、皮膚から五センチのところで止まる。


「先輩は……先輩はボクをなんだとッ!」


 風が髪を揺らす。ナギはしばらく身動き一つできず固まっていたが、やがてリンの方から手を引く。


「……もう、いいっす。どこにでも行ってしまえばいい」

「……」

 リンの頭に置いた手を退けてナギは肩をすくめる。そして軍人達の方を向いて軽く笑った。


「んじゃ行きましょうか。厄介な人間関係が最後に清算出来て良かった」

「……お前、悪魔みたいな奴だな」

「はは」


 古びた電車に向かって歩いていくナギの背中に、リンの怨嗟に満ちた視線が突き刺さる。

 既にナギに罵声を浴びせる者は誰もいなかった。皆得体の知れないモノでも見る様にナギを気味悪そうに見ている。


「……軍人さん、パンドラの箱って知ってます?」

「ああ? この世の厄災が全部入ってたって神話のあれだろ。それがどうした?」

「僕はパンドラだったら、この世界に希望はなかったと思いますよ」

「ああ?」

 意味が分からないという様に軍人は不機嫌そうに唸った。

 

 パンドラは、この世の全ての厄災が詰まった箱を開けてしまった。しかし最後に箱の底に残った希望を拾い上げたお陰でこの世には救いが出来た。

 ナギはあろうことか箱を逆さまにひっくり返してしまった。最後に残ったリンという希望を自分の手で放り捨て、これからナギはこの世の掃き溜めに戻って行く。


 かくして英雄はこの世界から消えた。二度と飛べない、もう何にもなれないと覚悟をしたナギだったが、たった一つだけ誤算があった。


 箱の中にはもう一つ希望が残っていた事に、ナギはまだ気づいていない。

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ドラグーンフラッグ 空中逆関節外し @shimono_key

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