結末と始発駅 1
「おいおい、聞いたかよあれ」
「あ? なんだよ?」
上層区のカフェテリア。石畳の道沿いに建てられた店でコーヒーを飲みながら、二人のお男がコーヒーカップを片手に雑談をしている。その後ろの席では、小柄な一人の少女がサンドイッチを口に運んでいた。
その表情は憔悴しきっていた。しかし目だけは爛々と光り、何かを探すように周囲に視線を向けている。
「ほらあれだよ。例の八百長野郎、ミヅチが今日下層に送り返されるんだとよ」
「ああ、あいつか。なんだよまだここにいたのかよ」
談笑する二人の会話。後ろの席で食事をしていた少女の手がぴたりと止まる。
「まったく見苦しいよな。そもそも今までの勝ち星からして、下層上がりのカスがまともに稼げていたかも怪しいもんだ」
「言えてるな。はは、顔でも拝んでやりに行こうぜ。石でも投げてやろうや」
「はは、いいなそ――れ⁉」
男が笑いながら相槌を打とうとしたその瞬間、その胸ぐらを少女が掴み上げた。
小さな身体からは想像も出来ないような人間離れした力。テーブルからコーヒーカップが落ちて砕け、胸元を締め付けられた男はひゅーひゅーと気道が塞がる音を漏らす。
「な、なんだテメエ! いったいどこから!」
「邪魔!」
スカートの裾から鈍色のワイヤーが翻り、自らに掴みかかろうとした男を吹き飛ばす。
それは鋼のワイヤーで編まれた尾だった。少女は野獣の様に唸り胸元を掴んだまま男へ叫んだ。
「さっき言っていた場所はどこっすか」
「な、なんだお前……一体何の……」
「さっさと答えて。こっちは時間がないんすよ」
ややあって、少女は場所を聞き出すと男を乱雑に放り捨てる。
そして次の瞬間には、その場から忽然と姿を消していた。
***
何か特筆するべきことは何もなかった。
体が動き、十分に歩けると判断されたナギはそのまま軍の駐屯基地へ移送、そこで病院での滞在費、市長にかけた損失額、それらを手持ちの財産から全て接収され、残された僅かばかりの身銭が手元に残った。
何年もかけて溜め続けた資産。人生を七回ぐらいは遊んで暮らせる程度の額があった筈だが、様々な名目で削ぎ落とされた後はもう大した金額は残っていなかった。せいぜいが安宿で一か月程度慎ましく暮らせる程度だ。相当な額がピンハネされたものと思われるが、今更金などどうでもいい。
そうしてこの街での金回りと権利をきれいさっぱり清算されたナギは今、軍部の人間が操縦する、リフターの搭載された小型輸送機に乗せられていた。
「いいか? お前みたいなクズを俺達が逃がすと思うな? 余計な事は考えるんじゃないぞ」
もう既に二十回は聞いた同じような台詞。しかし無視すれば反抗扱いなのでナギは渋々頷く。かつてのこの都市の英雄を自分の手で悪人として輸送している。それが楽しくて仕方ないのだろう。
地上二十メートルを飛行し、あまり快適とは言えない空の旅を終え、ようやく着地したそこは上層区の端の端。下層と上層を繋ぐ貨物輸送用の電車が留まる駅である。
この上層地区の建造物とは思えない程にうらぶれたむき出しのコンクリートのホーム。そしてそのホームの周りには多くの人々が集まっていた。
ある者は怒りの、ある者はある種何かを期待するように、ある者は悲観して、それぞれが悲喜こもごもでありながら何かを待望するような表情をしているのが、ベヒモスの窓から見えた。
「降りろ」
「……」
「早くしろ! 逃げようなどと考える手も無駄だ! いいか? お前みたいなクズを俺達が逃がすと……」
「分かったよ」
いい加減聞き飽きた台詞にうんざりとしながら、ナギは重たい足取りで車両を降りる。
駅の前に集まった百人余りの人々。彼らはナギの顔を見た瞬間、一斉に声を張り上げた。
「出てきやがった! テメエこの嘘つき野郎! 殺すぞ!」
「アナタに憧れていた息子がショックを受けているのよ! どうしてくれるのよ⁉」
軍人が移送している手前、直接掴みかかったりはせず遠巻きに多くの人々が罵声を浴びせる。
つい先日まではナギの事を応援してくれていた筈なのに、その態度は180度変わってしまっていた。
「こらあ! 何をやっているお前達! 道を空けなさい!」
「軍人さーん! そのクズ今まで何人にケツ掘らせて勝ってきたんですか⁉」
「おいおいやめなさい!」
どっと移送の軍人たちの間に笑いが巻き起こる。
最早いちいち反応してやるのも面倒で、俯いて言葉聞き流していると、鈍い音と共に額に鋭い痛みが走った。
「ッ」
石畳の上に石が転がる投げつけられたと理解したと同時に、額から一筋血が流れた。
「さっさと消えろ八百長野郎!」
「いやその前に謝罪だろ! おい軍人さん! そいつに跪かせろ!」
酔っ払いの様に安定しないトーンで誰かが叫んだ。何を馬鹿な、と一周呆れたナギだが、直後に後頭部に鈍い衝撃が走る。
バランスを崩して倒れ、すぐ傍に立つ軍人を見上げると「市民のリクエストだからな」とナギを見下ろしてせせら笑う。
「さあ早く頭を下げろ! どーげーざ! どーげーざ!」
誰かが声高に叫び、それが間を開けず集団の中で伝播する。
鳴り響く土下座して詫びろのシュプレッヒコール。それに気を良くした軍人の一人がナギの頭を掴む。
「ほら! お前に残った最後の仕事だ!」
「地面に頭擦り付けて謝れよ! クズが今まで人間のふりしていて申し訳ありませんでしたってよ!」
「ぎゃはははは! 軍人さんそれサイコー!」
「早く頭を下げさせろ! こっちははらわた煮えくり帰ってんだよ!」
「っ……」
頭部にかけられる腕力に耐えながら、ナギは辺りを見渡す。
最初はナギに対する怒りで集まったであろう野次馬達。しかしその目的は既にすり替わっていた。全員が、かつての英雄の醜態を見たがっている。恐らくは地面に頭を擦り付けるまで彼らの溜飲は下がらない。
――なんかもう、面倒だな……。
既に失える物は全て奪われ尽くした。今更小さな意地を張ってどうなるというものでもない。
ナギは抵抗するのを辞めにした。彼らの望み通りに頭を下げてしまおうとして、
「何をしているんすか。その人に」
ナギ達が乗っていた輸送機が凄まじい破砕音と共に吹き飛んだ。
総重量は五トンを超える。鋼鉄の塊を玩具のように蹴飛ばし、小さな少女はナギの頭を掴む軍人の腕を掴んだ。
直後、鈍い何かが折れる音がした。
「ああ⁉︎ ぎゃあええあああ!」
悲鳴を上げてのたうち回る男と対照的に、突然の出来事に野次馬達が固まっている。
リンは、それらを意にも介さずナギの顔を見て嬉しそうに笑った。
「先輩、やっと会えたっす……」
「リンお前、その格好は……」
ボロボロの姿だった。軍から追われ、泥にまみれた姿、野良犬と見紛う今の出で立ちの中で、いつものように人懐っこい表情で笑う。
「やだなぁ。ボクは別に大丈夫っすよ。あ、でもちょっと待っていて欲しいっす」
その瞬間の表情に、ナギは全身が怖気立つのを感じた。
ナギなしでは機巧飛竜は竜の姿にはなれない。限定解除も行えない。
だというのに、その表情は今まで見たどの瞬間よりも〝兵器〟だった。
「こいつら全員、ボクがぶち殺してやるから」
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