FamousDay 5

「おい早くしろよ!」

「待ってよお兄ちゃん! 危ないよ!」

 

 勇猛なロックサウンドを背に夜の空を幾重もの鋼の竜が舞う。

 オベリスクに暮らす人々がその祭りに熱狂する中で、下層の外れにある海岸で二人の兄妹がいた。

 十代半ばと思われる兄が海に向かってボートを出そうとして、妹はそれを心配そうに制止している。


「ここからでも十分見られるよ。夜の海なんて危ないってば」

「ばーか。俺は漁師見習いだぞ、怖いことなんてあるもんかよ」

「でも……それに海の上からレースを見られる機会なんてそうないんだぞ。お前見たくないのかよ」

「きょ、興味はあるよ? でもぉ……」


 既にドラグーンフラッグは開幕している。レース開始までもう間もない。少年は煮え切らない妹に態度に嘆息し、ボートを海に向かって押し出した。

「じゃあもういいよ。俺一人で見てくるから、お前は留守番でもしてろ」

「ま、待ってよ! ついて行くよお兄ちゃん!」


 まだ躊躇いはあるようだったが、兄に置いて行かれるのはもっと嫌だったようだ。妹は慌てて兄のボートに乗り込む。

 夜半の海へ、二人の兄妹が誰にも知られず漕ぎ出した。


        ****


 それはさながら流星群の様だった。

 幾重にも機巧飛竜達が加速し、大気にリアクターの光の尾を残しながらたった一組を狙う。まるで星々がぶつかり合う様に夜空で激しく交差し合うその光景を、フィーネは1.2キロメートル離れた宙域から見下ろしていた。


 圧倒的な敵意の密度とそれに見合うだけの爆撃じみた物量。機巧飛竜ドラグーンと騎手達が夜の空を蹂躙していく。尋常な生き物であるならあの中にあって生きていられること自体がまずあり得ない。だが、


「相変わらず化け物ですわね……」

『どちらがですか? お嬢様』

「竜も騎手もどちらもですわ」

 百を超える竜に狙われるナギ達を遠目に、フィーネは呆れる様に笑う。


 機巧飛竜は元々、その飛行能力と数による偵察や戦術攻撃等を想定した汎用兵器として開発された。

 攻撃武装の全面解除と反応炉への過剰なまでの出力制限によりその機能は大きく抑制され、多少の個体差こそあれど機巧飛竜の最高速は時速800㎞前後。概ねレプシロ飛行機と同程度に抑えてられている。

 それ以上の出力は現代において不要であり、また機巧飛竜達の寿命を大幅に縮めてしまうからだ。それはアヤクモリンであっても本来例外ではない。


 だと言うのに、同じエンジンを積んだ百を超える同族に追われてまだ、誰一人として彼女のフラッグを奪えない。

 轟々と唸りを上げて押し寄せる機巧飛竜の群れをすり抜けるように突破する。彼らの挙動が速すぎていちいちその姿を見失っていた。


「速さに差が生まれにくい以上は反応速度は必要不可欠なスキル……ですがここまでの領域がお目にかかった事がありませんわ」

『お嬢様、やはりいきなり彼らを狙うのは得策ではないのでは? 他の組が抜ければ自然と彼らとは相対します。それまで接触を避けるのが宜しいかと』

「フォッケウルフ……貴方何もわかっておりませんわね」

 フィーネは苦言を零したフォッケウルフへ呆れながら応える。


「あれらはドラグーンフラッグにおける優勝候補筆頭。誰もが後半までは生き残ると予想しているでしょうね。だからこそここで彼等を堕とすのですわ」

『そうか……早い段階を脅威を減らす為にリスクを負おうと、お嬢様はされているのですね』

「違いますわ。早い段階で彼らがいなくなればその分私が目立てますの」

『お嬢様……』

 ひどく落胆したフォッケウルフ。声のトーンが数段落ちる。


「だって考えてもみなさい! 飛行貴族と呼ばれるこの私よりも目立つ存在がいるだなんて、貴方許せまして⁉︎」

『存在している以上は許すしかないと思いますが』

「そうですわよね! 許せないですわよね!」

「頭の中のイエスマンの私と会話しないでください」

 呆れ果てるフォッケウルフ。だがそこでフィーネの声音が一段冷える。


「それにあの男、まだ限定解除すら使っていない。あの状況下で手札を温存する余裕すらあるだなんて、少し業腹ではありません事?」

『……』

 少しだけ沈黙し、フォッケウルフは応じた。

『……それには同感致します。お嬢様』

「ならば蹴散らすのですわ。完膚なきまでに、けちょんけちょんに!」

 主人の言葉に同調したフォッケウルフの両翼が赤熱し、周囲の空観が僅かに歪む。

 透明な水の中で熱が対流する様に、視認できるほどに歪められた空気の層。それはあたかも目に見えない大翼が夜空へ広がっていく様であった。

 刃の様に殺気が鋭く研がれていく。その中でフィーネ笑い、その言葉を暴力的に吐き出した。


「限定解除。暴れなさいな《ファンカスノーレ》」



        ***


 宙域全体に神経を張り巡らせていく。

 全方向から迫りくる敵に対して、今必要なものは反応速度以上に視野の広さであるとナギは知っていた。


「くそがァ!」

「囲め! 早くそいつを仕留めろ!」


 焦燥から取り囲んでいる連中が叫び、その速度をさらに上げる。亜音速にまで到達する機巧飛竜の包囲の中にあってナギは眉一つ動かさない。

 

 不意に四方八方からの攻撃。完全に包囲されて退路を断たれれば例えナギであっても回避は不可。だがその前段階、攻撃の起こりが生まれたその瞬間には既にナギは加速を終えていた。一秒後には生存不可能となる危険宙域から、一瞬にして離脱していく。


 回避先、ナギを三組捕捉。回避するルート上に壁となるように立ち塞がる。


「リン」

『了解っす先輩!』

 リンの翼が空気を掴み、ナギの操縦がその挙動を助成する。通常であれば急旋回して回避するか反応しきれずに接触するであろう空の壁に対して、ナギは反応した上でその壁目がけてさらに加速した。


 極少の挙動モーション。目の前の障害物に対して大きく曲がる事も減速することもなく、最高速度を維持したまま敵機をすり抜け、ついでにリンの翼の先端が彼らのフラッグに接触する。その瞬間リンの尾から伸びる青い光の帯が三本に増えた。


「はあ⁉」

 遥か後方に置き去りにした騎手達が声を上げていた。

 恐らく彼らは自分の身に何が起きたのかすら把握できていない。ナギ自身の操縦技術もそうだが、それを十全に反映するリンの性能も尋常ではない。


『しつこいっすねコイツら』

「ああ……」


 ――だがそろそろ……。

 ナギにとっては慣れたシチュエーションだ。ドラグーンフラッグにおいてナギの首を獲らんとする者は多い。竜同士で力の差が出ないのならそれは尚更。

 ナギを追いまわしていた連中のフラッグは一本。タイムリミットが目に見えるところまで迫り、彼らの行動が変わる。


「くそお! ちくしょうが!」

「あと何分だ⁉」

「フラッグを寄越せ!」


 誰かが、ナギを倒そうという統率を乱した。一人が後ろから前のフラッグを奪い、それを目にした誰かが自分もと同じように他の者のフラッグを奪う。そして奪われた騎手は泡を食って他の誰かに襲い掛かり、それが次々と連鎖していく。


 ナギに追いつけない者たちの泥沼の啄み合いが始まるまでに、十秒とかからなかった。追手が止み、ナギは空中で乱れ合う彼らを横目に見る。


 ドラグーンフラッグでは一定時間ごとに全ての機巧飛竜の持つフラッグが一本消滅する。その清算フラッグを失えばその時点で失格となり、リアクターが停止する。

 ゼロ本はもちろん、一本のみの組も失格。ナギを追いかけていた連中は揃いも揃って失格寸前なのだ。


「リン、第一ピリオドまであと何分だ?」

『うーん、ちょうど三分っすね』

 レース中、最初のピリオドは開始から十五分時点。この時点で大半の組が足切りされる。仮にここを生き残っても、徒党を組むような連中は二時間ともたない。


「……」

 現在ナギとリンの保有するフラッグは三本。十分な安全圏の中にあって、ほんの一瞬ナギの意識に隙が生まれる。

 次の瞬間、目に見えない力の塊がナギ達を吹き飛ばした。


「ッ⁉」

 巨大なゴムの塊を叩きつけられたような衝撃だった。何の予兆もなく生まれたその衝撃は全身を貫き、数秒間ナギの意識が飛ぶ。

『――い……先輩!』

「ッ!」

 リンの必死の叫び。意識を取り戻したナギは殆ど反射的に操縦幹を握り、即座にリアクターの出力を上げる。

 空中で静止。その時、周りから悲鳴交じりの人々の声がした。

 ナギがいたのは下層、根通りの大広場。地上三十センチのところだった。


『先輩! ぶ、無事っすか⁉』

「大丈夫だ……それより……」

 今の攻撃には心当たりがあった。ナギが見上げると空を歪に歪ませて旋回する真っ白な機巧飛竜と、それに乗る白金色の髪をした少女の姿があった。


 フィーネ・アインホルンとその竜フォッケウルフ。そしてその尾には六本ものフラッグがたなびいていた。

「くそ……ッ」


 フィーネが笑いながらこちらを見下ろし、ナギは歯を強く食いしばり彼女らを見上げる。

 リンの尾から伸びていたフラッグは、全て彼女らに奪われていた。

『や、やばいっすよ! 先輩!』


 第一ピリオド終了まであと167秒。現在ナギの保有するフラッグ数――ゼロ。


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