FamousDay 2
「ご来店、ありがとうございましたー」
からんころんと軽いベルの音を鳴らして、木造りのドアを開ける。
石畳の通路にガラスや木などの人工建材を使わない建物。小高い丘からは、潮風が初夏の熱気を冷ますように吹き抜けていく。
「先輩!」
店を出ると、こちらの姿を見つけたリンがぱっと顔を輝かせてこちらに寄ってくる。その姿はまるで仔犬の様で、後ろにまとめた髪が犬の尻尾の様にぶんぶん揺れている。
「おまたせ。で、どうだった? あいつら追ってきてる?」
紙袋からカレーパンを取り出し、それを口に運びながら問いかける。ナギはリンに乗って市街地を飛び、軍の追っ手を撒いてパン屋まで来ていたのだ。念のためリンには彼らがまだ追ってきていないか確認してもらっていたのであるが、ナギの質問にリンは口元を抑えて含み笑いを漏らす。
「そんなわけないじゃないっすかー。ボクが誰を乗せてたと思ってるんすか?」
そう言いながら、リンはナギを見て得意げに笑う。
「私が背中に乗せているのは世界最高、絶対不敗のチャンピオンなんすから」
「恥ずかしいからやめろ」
「けど事実っすよ?」
「……」
リンの笑顔は底抜けに明るかった。捕まれば今日のレースだって出場が危ぶまれたというのに、ずいぶんと暢気なものであるように思う。
「……絶対不敗って部分は間違いだ。僕だって何度か敗北は経験してる」
「そうでしたっけ?」
「そうだ。それに僕はそんなに偉い人間でもないよ」
カレーパンを全て頬張って、ナギは高台から下へと広がる下層の街を眺めると、家々の屋根には空を映したような青の旗が立てられていた。ナギ達がいるこの上層区でも同じように町中に青い旗が掲げられ、人々が俄かに活気づいている。
下層は雑多でやかましく、人ばかりが多い何の救いもないゴミ溜めの街だ。しかし今日ばかりは一年に一度、上も下もなく大盛り上がりするお祭りの日でもある。
町中から集められた
かつて兵器として運用された自立思考兵器である
ドラグーンフラッグと呼ばれるそれは今現在、この世界における最大最高の興行であり、ナギはそのレーサーとして生計を立てているのである。
「けど先輩、本当に美味しそうに食事するっすよね? そんなにいいもんなんです?」
「カレーパンの事か?」
「いや食事そのものが」
「なんだその質問」
そう言えば彼女らは、自ら水素さえ取り込めればそれだけで活動できると以前聞いていた事を思い出す。
「まあ、楽しいってことでもないけど……」
「けど?」
「……」
黙りこくってしまうナギの顔を「んー?」と唸りながらリンが覗き込まれて視線を逸らす。
その時、ポケットにしまっていた小型通信端末から低い通知音が鳴った。取り出し、通話相手を確認したナギは思わず眉を顰める。
「……もしもし」
『おー、ミヅチ君? いいね、声に張りがあるねぇ? 元気だねぇ?』
絡みつくような低い中年男の声、それを聞いてうんざりする。
そもそもが基地局すら殆ど立っていないこの世界においては、こんなトランシーバーのまがい物みたいな携帯電話であっても酷く貴重な品だ。そんな物を持っていてわざわざ通話をしてくる相手など一人しかいない。
「リカルド市長……どうしたんですか?」
『どうしたって君ぃ? 私は君の雇用主だよ? 今日は大事なドラグーンフラッグの開催日、君の調子を確認したかったのだよ。まあ世界最高の天才レーサーに心配など不要だろうがねぇ』
嫌味にも近いような電話の向こうからの声。しかし彼の事を無碍にするわけにもいかない。
世界中、様々な場所に点在する生き残り達の再建都市。その中でもこのオベリスクは最も栄えた都市の一つだ。そしてこのオベリスク全体を管理する市町であり、そして彼の雇い主こそ電話の向こうの男、リカルド・ロナポルドである。
「ご安心ください市長。今日もコンディションは万全です。いつも通りご満足いただける結果を出しますよ」
『そぉか。それなら安心だねぇ……君の相棒のアヤクモ・リン。彼女も息災かな? いるんなら声を聞きたいのだが……』
「ええ、勿論。今電話を変わって……」
「せんぱーい。ボクそいつゲボ出るぐらい嫌いなんだけ、ぶっ⁉」
「すいません、少し気分が悪いようですのでそれはまた別の機会に」
『おやおや、残念だねぇ……ところで彼女、今何か言いかけていたような』
「いえ何も」
もがもがと声を漏らすリンの口元を掌で覆い、ナギは冷静な口調で言葉を返す。
「ふうむ、それならいいんだが。それより先ほど軍の連中から未確認の竜騎手が確認されたそうだが、何か知っているかね?」
「いえ、それも何も知りません」
ナギは雇い主に嘘をついた。
「で、どうしたんですか室長。何かお伝えしたい内容でもあったんじゃ?」
『おっとそうだった。いや実はねぇ……』
そこからリカルドは本題に入る。
上層区画の高台にまで届く潮風を受けながらナギは、リカルドの言葉を眉一つ動かさず聞き、そして少しだけ唇を噛む。
「分かりました。室長のご期待に全力でお応えいたします」
『うんうん、いつもすまないねぇ。それじゃあ健闘を祈るよ』
そう言って通話が切られる。しばらくナギはぼうっと立ち尽くしていた。やがて視線を下げて小さくため息をつく。
「んーっ!」
その時、口元を覆っていた手のひらをリンがベロンと舐めた。
「うわっひゃあ⁉ ば、馬鹿野郎!」
「んふ……ごちそうさまっす!」
慌てて手を引っ込めたナギにリンは上目遣いでぺろりと舌なめずりをする。
「食べるってのも、確かにいいものっすね。先輩!」
「お前な」
手のひらをゴシゴシと擦りながらも思わず笑ってしまう。リンの振る舞いはまるで子供の様で、暗澹とした気分が少しだけ腫れた。
「さて、帰ろうか」
「お! また飛ぶっすか?」
「飛ばない。きちんと公共交通機関で帰るぞ」
「えー」
パン屋から少し先、少し上では長方形の輸送機がいくつも往復していた。形としてはバスに近い。しかしその下部には機巧飛竜の翼にある物よりもやや小ぶりなリフターが搭載され、中には十数人の人が乗って移動している。
この世界での足。軍の所有する航空輸送船で、機動力はないが積載量は竜よりはるかに多いそれはベヒモスと呼ばれ、速度は出せるが積載量の少ない竜に代わって市民の生活の足となっている。
「ボク飛べるのにー。せんぱーい」
「ほらほら行くぞ。文句を垂れるな」
ぶーぶーと唇を尖らせるリンの背を押してナギは歩いていく。そうしながら、ナギはぼそりと呟いた。
「……やっと上り詰めた今いる場所にしがみ付いてるだけだ。えらくともなんともないよ」
「……? 何か言ったっすか?」
「なんでもない。さっさと行くぞ」
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