FamousDay
FamousDay 1
「せーんぱい。起きてくださいっす」
「……ん」
目を開けると開けた窓から日の光が視界を染める。
真っ白な壁にアンティーク調の家具。天蓋付きのベッドは雲のように柔らかく、体を起こしたナギは目を擦りながら顔を上げる。
そこに立っていたのは木材を思わせる温かい色の髪をした一人の少女だった。身長はナギよりも頭一つ分ほど低く、あまり高くない背丈を補う様に大きな髪の房が犬の尻尾の様に下げられている。
青を基調としたセーラー服のような出で立ち。膝から十五センチほど丈のスカートが、空調の風を受けて僅かに揺れている。
「リン……なんでここに……」
「やだなあ! ボクはナギ先輩のパートナーじゃないっすか。朝起こしに来るぐらい普通っすよ!」
にこにこと笑うその口元からは僅かに八重歯が見せて、リンと呼ばれた少女は笑う。見た目にはやや小柄な普通の十代の少女だ。
しかしそのスカートからは尻尾の様にワイヤーが伸び、先端に装着されたアダプター端子が彼女の感情を代弁するようにくるくると動いている。
「今日も大事なレースがあるっすからね。寝坊したらまずいじゃないっすか」
「開始は日没からだぞ……今朝七時……」
「駄目っすよそんな事言ってちゃ。何事も十時間前行動ぐらいでちょうどいいんすから」
「いきすぎた転ばぬ先の杖もあったもんだ」
伸びをしてナギはベッドから降りる。軽くストレッチをしてみても痛みや張りもどこにもない。
ほんの十年前までは下層で暮らしていた。家なのか小屋なのか分からないような場所で、床よりは辛うじてマシな程度のベッドで寝起きしていた頃は朝起きたらまず全身の筋肉痛をほぐすところから始まっていたのだが、人間工学とやらに基づいて作られたというこのベッドは起きた後も痛み一つない。
「……」
「どうしたっすか?」
「いや……リンの言う通りだな。レース前にだらけるのは良くない」
部屋の壁に向かい窓を開く。そこはこの街の一番高い場所、墜落した宇宙船の船室を改装した一等室であった。
未だインフラ整備すら整っていないこの世界において、内部機能が殆ど丸ごと残ったこの宇宙船内部はかつての文明的な生活を送る事の出来る数少ない場所である。そしてそんな場所に住まう事を許されるのは、ごくごく一握りの選ばれた人々のみである。そしてナギはそこに住まう事を許された数少ない者の一人だ。
窓の向こうは街の姿が一望できた。白をベースとした石造りの街並み。中世の時代のような風車や時計塔が並ぶ中で、人間の代わりに労働を行うオートマトンがそこかしこを歩き回り、車道ではEV車が排気も出さずに静かに走っている。
美しく小さな上層と広大で錆まみれの下層。そして遥か彼方まで続く海。高さはおおよそ五十メートル。初夏の風が髪を揺らす中で、ナギは上半身を窓から出してリンに手を伸ばした。
「慣らしをしたい。ちょっと付き合ってくれるか」
「っ!」
ぱっとリンの表情が嬉しそうに輝く。
次の瞬間には、リンの顔が鼻先が触れる程近くに迫っていた。
「オーキードーキー! 仰せのままに!」
ドン、とナギの胸を押す。体が窓の外に投げ出されて宙を舞った。
重力に絡めとられ、身体が地上へと落下し始める。しかしその刹那、空中でリンがナギの胸元に飛び込んだ。
空間が膨張する。胸元に抱き付くリンの周囲に紫電が渦巻き、胸部が脈打つように青く輝く。その胸元の光をそっと撫で呟いた。
「アクセスコード《クラウンブレード》」
その瞬間、リンを中心として大気が爆裂的な勢いで膨張する。
空間が裏返り、少女の身体と入れ替わって鋼の体躯が姿を現す。長大な合金製の両翼に、生物と見紛う程に滑らかな金属装甲の身体。凡そ生物と呼ぶにも機械と呼ぶに
も当てはまらないそれは、既知の言葉で表すのならたった一つしかなかった。
鋼の竜。その背に跨りナギは背中の操縦桿を握った。
「ん」
突風が吹き荒れる。地面に激突寸前で羽ばたいたリンの翼はすさまじい揚力を生み、一気に百メートル以上の高度まで上昇させる。
空の色にもよく似た淡い青色の金属装甲に、身体の各部を強化アラミドとカーボンの人工筋肉で繋ぎ、広げれば八メートルはあろうかという長大な翼は、両翼にそれぞれ一つずつ、揚力を発生させるためのアルミ合金のリフターが、莫大な電力を蓄えて空に青雷を走らせる。
大戦の最中、斥候として製造され、そして高度な自立思考能力と人間と変わらない情動を持った自立兵器、名を
「リン、調子は?」
「万事快調っす! 海の果て、空の彼方まで飛んでいけるっすよ!」
「危ないからそれはやめておこうか」
苦笑しながらナギは街を見下ろす。
いつからか、誰かが街をオベリスクと呼んだここは、空から見れば一層歪な都市だった。
錆びた鉄で象られた下層とは違い、上層は石畳で舗装された道に整えられた木々がまばらに植えられ、景観を損ねるという理由で架線は地下に埋められてほとんどない。ゴミも殆どなく綺麗に整えられたそこはまるで精緻な彫刻のようにも見える。
「ミズチ様!」
「本物だ! すごーい!」
地上から歓声にも近い声が上がった。それに手を振って見せるとさらに大きな歓声が上がる。
「相変わらず人気っすね~」
「人の気がある場所は苦手だ。さっさと離れようか」
「了解っす! あ、でも下層へは行かないでくださいね?」
念を押すように、スピーカー越しのくぐもった声でリンは言う。
「一応聞くけど……なんで?」
「あんなとこ英雄が行くところじゃないっすよ! 何されるか分かったもんじゃないですから、レース以外ではあんまり行きたくないです!」
「……あっそ」
少し複雑な気分でナギは相槌を打つ。
元々ナギは下層の人間であったことをリンは知らない。いちいち否定するのも何だかおかしな話なので放っておいてはいるが、そんな風に言われると多少は凹んでしまう。
だがその時、視界の端で何かが街から空に飛び立ったのが見えた。
「……?」
『そこ! 未登録の
『今すぐ降りて前を名乗れ!』
頭上に現れたのはリンと同じ四機の竜だった。しかしその体躯はリンより一回りほど小さく、その上に乗る騎手は一様に白を基調とした式典服のような軍服を身に着けて、その顔の上半分をゴーグルで覆っている。
『せんぱーい……あの人ら先輩の事舐めてますよ?』
「いや別に舐めてはないだろ。ありゃ彼らの仕事だ」
この上層区は原則飛行禁止。その上今日の日没からは最大規模のイベントが開催される為、都市全域に厳戒態勢が敷かれている。
そして彼らはこのオベリスクを守るために構成された治安維持軍だ。未届けで勝手に空を飛んでいたナギ達を捕まえにきたのだろうが、中々に仕事が早い。
と、そこでナギの腹が抗議するように鳴った。そう言えば朝食もまだだ。
「ナギ……お前カレーパン好き?」
『え? なんすか急に?』
「街の端にあるパン屋、そこのカレーパンが揚げたてで美味しいんだ。ちょっと買ってこようかと思って」
『何をごちゃごちゃ言っている! 名乗らないのならこの場で捕縛を――』
竜に乗った衛兵達が操縦桿を握りナギ達目がけて降下しようとした。
だがそれより数十段も早く、衛兵が操縦桿を握ろうとしたその時にはもう既にナギはリンの尻尾に打ち上げられ、衛兵の一人から被っていた帽子を掠め取っていた。
「え? な……?」
「さて、悪いが俺は朝食がまだなんだ。規律に触れるって言うんなら、飯の後にならついて行こう」
空中を舞い、掠め取った帽子を目深に被ってナギは笑う。そしてそのままナギの元へと旋回してきたリンの背に乗った。
「貴様……いや貴方は、まさか……っ」
「ミヅチ・ナギだ。捕まえたきゃ好きにしな」
そう言ってナギは笑い、一気にリンの動力炉をフルスロットルに回転させる。
弾丸にも等しい速度で、ナギとリンは一気に加速した。目にも止まらないなどと生易しいものではない。突風だけを残してその場から巨大な竜が姿を消した。
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