ふりだしと終着駅 3

「私はちょっと晩御飯の材料買いだしてくるアル。ナギは先にママの工房へ向かってるネ」

 

 そう言い残してイェはナギを送り出し、一人でルート通りへと戻って行った。

 

 下層地区に住んでいたとはいえ、それはもう七年も前の話。それに加えて根通りを抜ければそこはもうまともな居住区ではなくなる。


 上層から降りてきた不要な物資が根通りで仕分けされ、必要ない部分をさらにバラ売りで仲介業者が買い叩く。そうして残された鉄くずやゴミが流れつくその場所こそ、今ナギの目の前に広がる光景だった。


 どこまでも広がり、遥か彼方にゴミで歪に歪んだ稜線を作る瓦礫の荒野。そこら中で子供や老人がくず拾いをし、ちらほらとゴミが自然発火を起こして細い煙を上げてる。

 しかしここは都市全体を通る用水路のすぐ傍に位置しており、自然とここに住まう人も生まれてくる。


 この都市に暮らす人々はここを灰域と呼んだ。そしてこここそが、ナギが住んでいた場所であった。


「……昔見た時より、かなりゴミが増えてる」 

 道などという上等なものもなく、ゴミを踏みつけて乗り越えながらナギは灰域を進んでいく。うっかり機械と機械の隙間にでも足を突っ込めばゴミ山のクレバスに落っこちてしまう。元々暮らしていた頃の記憶を思い出しながら、ナギは慎重に足を置く場所を選ぶ。


 灰域のゴミの量は一日ごとに増え続けている。今日もどこかで運び込まれた鉄くずが山の様に打ち捨てられているのだろう。

 この場所に戻ってきたのはここに数少ない友人がいるからだ。夜はそいつの助手のような仕事をしており、わざわざ駅まで迎えを寄越してくれた。

 だがここに戻ってくること自体が七年ぶりである上にその友人とはレースの中で知り合った仲だ。

 案内してもらわなければ工房に辿り着けるとも思えない、などと最初は思っていたが……。


「うわあ……」


 第一印象は、巨大なハムか何かと思った。

 周りに比べてひと際大きな建物が存在していた。吹けば飛ぶようなトタンではなく台風にも耐えてしまいそうな頑丈な鉄板の外壁。周りの家屋とは比ではない程大量の架線がいくつも伸び、また建物の上部からはもうもうと白い煙を吐く不格好に歪んだ煙突が伸びている。


 そんな建物がショッキングピンクに塗りたくられて建っているのだ。違和感以外の何物でもない。

 カンカンと金属を叩き、ガリガリと鋼が研磨される音が外まで漏れている。その入り口には大きな文字で『フォン姉さんのラブリー工房』と紅い塗料で書かれていた。


「あれかぁ……」

 声が漏れた。元々少し変人だとは知っていたが、ここに入るのは少し勇気がいる。

《ルビを入力…》

 だがここより他に頼る事の出来る人もいないのも事実。ナギは一層足取りを重くしながら、工房へと再び歩き始めた。


        ***


 ゴミ山の中でその工房はひと際巨大だった。水路沿いに建てられたそれは高さは十メートルほど、四十メートルほどに渡って伸びる。


 古くはなっているがやたらと頑丈そうなその工房の屋根には、恐らくは勝手に引っ張ってきたと思われる電線がそこに何十本も繋がっている。よくよく注意して匂いを嗅ぐと、少しだけゴムが焼けた様な匂いがした。


 ――火事とかおこさないだろうなここ……。

 人が通るには明らかに大きなサイズの扉だった。錆びた分厚いシャッターの奥、小型飛行機でも格納できてしまいそうなその巨大な扉の奥では、金属が削れて火花を散らし、溶けた合金が金型へと流し込まれていく。


 数人の男達がせわしなく作業をしている。仕事中に声をかける事もはばかられて入り口で立ち往生していたところで、向こうの方がナギに気づいた。

 ツナギを着た筋骨隆々の男だ。顔の右半分にはノコギリザメのタトゥーを入れた厳つい男が、その風貌に似合わない笑顔で声をかけてくる。


「おうなんだ兄ちゃん? 強盗か?」

「いや違いま……なんで先に強盗かどうか聞いたんですか」

「いやあこんな場所だからよ。客より強盗の方が多いぐらいでなぁ。がっはっはっは」

 凄いことを言っている。


「で、強盗じゃねえなら客かい? けど見たとこ手ぶらじゃねえか。工房に用があるとは思えねえけどな」

「いや実のところ客ってのもちょっと違くて……」

 どう説明したものか、出来れば自分の素性を言いたくなかったナギは少し逡巡する。するとその間に他の職人たちもナギの周りに集まってきた。


「あれ、なんだよやっさんそのガキ、強盗か?」

「また強盗か。まあ金を置いて行ってくれるとこは同じだけどよ」

「なんなら有り金全部巻き上げられるから強盗の方がいいまであるからな」

「だから違うって言ってるじゃないですか」

 強盗を食い物にしている辺りが本当に恐ろしい。


「そうじゃなくて、僕はここにいるフォン小龍シャオロンに用があって……」

「あら? アタシの事呼んだ?」


 その時、男達の奥から声がした。

 作業場の奥、事務室と思われる場所から現れたのは、小奇麗な白いシャツを着た白髪の男性だった。


 年齢は二十代半ばといったところ。やや癖のある真っ白な髪と190を超えるかという長身。黒い丸眼鏡をかけて現れたその出で立ちと出来過ぎなぐらいに整った顔立ちは、大戦前の映画で見た俳優に引けを取らない。


「あらぁ! やだもうナギちゃん十日ぶりじゃないの! 元気ぃ?」

 体をくねくねと揺らしながら小竜はしなを作る。相変わらず見た目の印象と中身がまったくかみ合わない。


「ああ、そっちも相変わらずだな」

「うふ? そーね、けどナギちゃん? アンタ今アタシの事なんて呼んだ? ちゃんと呼びなさいっていつも言ってるでしょ」

 少し表情を曇らせる小竜にナギははっとする。

 元々対等に接してきた相手とは言え、風はナギより一回り年上だ。世話になる身でその道理を違えるのは失礼に受け取られても仕方がない。


「そうだな、悪い。昔からの知り合いだから呼び捨てしてた。風さんってちゃんと呼ぶよ」

「ちーがーうーでーしょ? 私の事を飛ぶときはきちんとママって呼びなさい」

 呼んでたまるか。


「なあ社長、こいつ社長の知り合いかい?」

「俺らは仕事に戻った方がいいか社長」

「ママって呼べっつってんでしょ! もういいから仕事戻んなさい!」

 群がってきていた職人たちを追い返し、小竜はため息をつく。


「ホント……誰もママって呼んでくれないのよねぇ。何が悪いと思う? 性別以外で」

「とんちかな?」

「まあいいわ。奥に来なさいな。お茶出してあげる」

「いやそんな、気を使ってもらわなくても……」

「アタシが気にするのよ。いいから来なさい」


 ナギの腕を引っ張り、小龍シャオロンは言った。

「この世界最高の英雄を、粗雑に扱えるわけがないでしょうが」



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