ふりだしと終着駅 2
電車に揺られ数時間。ようやくたどり着いた終着駅で、銃で武装した車掌が乗客達を引っ立てる。
罪人よろしく頭に銃口を突き付けられながら、自動開閉機能の壊れた扉を金属の軋む音と共に開くと、夏の咽るような熱気と太陽の光がまず彼らを出迎えた。
それらに怯みながらも駅のホームに降り立ったところで、十数人の乗客たちは一様に息を呑んだ。
「なんだこりゃあ……」
「止まるな! 歩けクズ共!」
車掌にせっつかれて歩き出す乗客たち。その頭上には巨大な鋼のアーチがあった。
戦火に晒され、硝子などが溶け切って鉄骨のみを残すそこ下には、錆と無軌道に繁殖した蔓で覆われた駅の遺構がそのまま残されている。
タンカー船がすっぽりと入ってしまいそうなその巨大な空間の中では、太陽の光とは全く別物の人々の行きかう熱気が満ちていた。
かつて大戦前には世界有数の巨大ターミナル駅だったというそこは、大戦後も奇跡的に駅としての機構が残っており、また海へと繋がる運河がすぐ傍にあるその場所は交易としても最適であり、食糧やら物資やらがあちらこちらで行きかっていた。
この街の下層に暮らす人々にとっての繁華街。駅のホームとその市場を隔てる金網の向こう側の世界……
「おい……本当にこんな所に行かなきゃなんねえのかよ……」
「ふざけんじゃあねえ! こんなゴミ溜めみてえなところで生きていけるか!」
乗客の何人かががなり声を上げて車掌ともめている。元々上層に暮らしていた人間は、大戦前の文化水準とそう変わらない生活をしていたし、さらに言えば下層の人々を差し置いてその様な生活を行える事に優越感を感じ、何なら彼らを見下しさえしているのだろう。
「……」
少年は駅員に食って掛かる何人かの男達と自分の服装を見る。金網の向こうの人々に比べてかなり小奇麗な身なりであり、かなり目立つ服装と言える。ちらりと横に視線を向けると、電車の中で話しかけてきていた男が暑そうに胸元をぱたぱた仰いでいる。
「おっちゃん、一つ忠告しとくよ」
「あん? なんだい兄ちゃん」
「根通りにやってくる前に、当面の仮住まいとして宿屋を紹介されてるだろ。金網を超えたら出来るだけ早くそこに向かって、そんでそこで用意されてる服に着替えた方がいい」
「ああ? そりゃまた何で」
「なんでもだ。話しかけられても相手にするな。裏通りなんて以ての外だ」
「いや意味が分からねえ。どういう――」
その時、ガシャンという耳障りな音と共に金網が開かれる。それと同時に車掌が上空に向かって発砲した。
「いい加減にしろ。ここで生きていくのが嫌なのなら今ここで殺してやろうか」
「っ……」
周りの連中が黙り込む。乾いた発砲音が喧騒に飲まれて消えていく中で、車掌はこちらを見渡して不機嫌そうに舌打ちをした。
「この金網よりこちらは上層区扱いとなる。立ち入る際は一時滞在許可証か居住許可証、上層での就労を行うための限定許可証を持つ者のみ。それ以外の者が立ち寄ればその時点で最悪射殺の許可も下りている」
「一時滞在……?」
「そんなものもあるのか……それはいくらだ?」
駅員からその額を聞いてその場にざわつきが起こる。たったそれだけかと、男達の内の誰かが呟いた。
それは彼らにとっては端金であり、上層区画においてそれは昼食一食分程度の額だ。現に彼らも今の時点で、恐らくは駅員の提示した額の数十倍程度は懐に入れている筈だ。
「分かったらさっさと行け! いつまでここにいるつもりだ!」
「わ、分かったよ! 銃口を向けるな!」
車掌に銃口で背中を押され、少年達は金網の向こう側へと渡る。
ただの金網、空間が区切られているわけでもないその場所であったが、そこをくぐった瞬間何かが変わるのを感じた。
かつて都市があった場所、戦いの中で砕かれ焼き焦げながらも残された遺構に、不格好にありあわせの資材を繋ぎ合わせて作られた街。林立する錆びた建造物の間には夥しい程の電線が何条も繋がれている。住人たちがそこかしこから勝手に電気を自分の家に引っ張ってきているのだ。
そしてそんなごみごみとした街の中で、住人達はこちらをちらちらと横目に見ていた。
「くそ……手荒くしやがって……」
「なあ、それよりさっきの……一時滞在許可証っての」
「ああ、そんなもんがあるなんて知らなかった。どこで発行できるんだそいつは」
住人達の視線に気づかないまま、男達はたった今追放されたばかりの古巣へと戻る皮算用をしている。彼らにとっては端金。いくらでも稼げるし、いつでも元の場所に戻れると思っているのだ。
だがその額は、この下層区画においては一か月は大人が食いつなげるだけの額でもある。
「なんだいおっさん達、一時滞在許可証が欲しいのかい?」
「それなら役所の方だな。案内してやろうか?」
「何?」
街を歩いていた何人かの男が彼らにそんな言葉をかける。餌をぶら下げられて嬉しそうにしている姿に嘆息しながら、少年はそちらに向かって声を上げる。
「ついて行くな! そいつらについて行ったら大変な事になるぞ!」
「……ああ?」
「なんだテメエ……」
乗客たちが不機嫌そうにこちらを睨みつける。自分たちの目的を邪魔するなと言外に語るその視線に怯むことなく、少年はさらに声を張る。
「そいつらは俺達みたいな上層落ちを狙った質の悪いヤカラだ。ついて行ったら有り金全部剥ぎ取られる」
「え?」
「悪い事は言わないから、一度宿の方に――」
「ん? おいおい、こいつ……」
その時、乗客の一人が少年の顔を見て何かに気づく。
「お前、もしかしてミズチ・ナギか?」
その瞬間、ナギと呼ばれた少年の動きが止まる。
ナギの忠告に一度は警戒の色を見せていた乗客たちだったが、その言葉を聞いて目の前の少年の素性が分かった途端、嘲笑を込めて吹き出すように笑った。
「おいおい、英雄様がこんなところでどうした?」
「まさか俺達を助けようとしてくださったんですか~?」
「いやいや分かんねえぞ? 人を騙すのは得意技だろうからなぁ」
嘲る様な言葉が次々に飛び出し、もはやナギの言葉など聞く価値もないと判断したのか乗客たちは男達について行こうとする。
「待て! 本当にそっちは危険だ! あんたら下手したら殺されるぞ!」
「馬鹿かよ。誰がテメエの話なんて信じるんだよ」
「一生吹いてろ間抜け」
そんな捨て台詞を残して彼らは雑踏に消えていった。ナギの後ろでは、電車内で話しかけてきていた酒呑みの男が驚いたように目を丸くしている。
「驚いたな……そりゃ見覚えもある筈だ。あの英雄ミズチとはな」
「……どうでもいいよ」
悲しさはあった。嘲られたことに対してもそうだが、それ以上に目の前でみすみす食い物にされる人間を助けられなかった事だ。
ついて行った先にあるのはまず間違いなく袋小路。そこで有り金を全て奪われて終わればいい方。質が悪い連中なら殺すかタコ部屋にでも送り込まれるか。どっちにしろ厳しい現実が待っているのは目に見えている。
「なあミズチ……俺はお前のファンでよ。だからあんな事になったなんて未だに信じられないんだ」
「……」
「なあ、なんでアンタこんな所に……」
「
その時、ナギの後ろから鈴を転がすような声がかかった。
振り返り、視線を下げるとナギより頭身が二つほど低い小さな少女がこちらを見上げている。猫の様にやや吊り上がった瞳とへの字に結んだ口元。長い髪を二つの団子にして頭部にまとめ、機械油の浸みこんだ作業着を身にまとっている。
「ナギ、いつまでピーチクぱーちく言ってるアル。ママが早く来いって言ってるヨ」
「悪い
「さっさと来るネ。これ以上待たせるなら鼻と口アーク溶接で閉じるヨ」
「お前口が悪いな相変わらず……」
ナギは男の方を振り返る。びくりと肩を震わせる様子を見せたものの、その表情に嫌悪がないのが救いだった。
「悪いなおっちゃん。僕は知り合いのとこで世話になるから、アンタも変な連中に捕まらないように気をつけるんだ」
「お、おう……」
「くれぐれも服はさっさと着替えときなよ。小奇麗な格好してたら色んな連中が寄ってくるからな」
そう言い残してナギは夜と一緒にその場を離れる。彼は他の連中と比べればかなり頭が回る様に見える。多少心配ではあるが放っておいてもそう問題はなさそうだ。
それに大変なのはこちらも同じだ。多少の手持ちはあるとは言え、他人にかかずらっていられる余裕はない。
「すまないな。世話になる」
「まったくアル。言っとくけどどんな理由があっても落ちてきたのは自業自得だと私はおもてるヨ」
「そうだな」
「英雄だなんて言われて浮かれてた証拠ネ。足元がお留守だったのが見え見えヨ」
「そうだな」
「……本当に、もう二度とナギが飛ぶ姿見られないカ?」
その返答は、少しだけ言葉に詰まった。
「……そうだな。まあでも元に戻っただけだしな」
「……」
人混みを抜け、バラック小屋の群がる水路沿いを歩く。自動車も通れないような狭い道、鉄板の上を歩きながら深呼吸をしてみる。
濡れたアスファルトと室外機から噴き出す温くかび臭い匂いが、まとわりつく様に皮膚を撫でていった。
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