ふりだしと終着駅

ふりだしと終着駅 1

 乱雑に置かれた敷石とレールの上を、黒い排気を吐き出しながらディーゼル式の列車が走る。

 かれこれ一時間以上は固い座席で揺られていた。いい加減に痛くてしょうがない尻の痛みと、まとわりつくような蒸し暑さを誤魔化すように、窓の外を流れる景色を少年はゆっくりと眺めていた。

 

 海が見えた。かつては沿岸から三十キロほど離れた内陸の地域だったらしいそこは、大戦中に放たれた兵器の一撃で大きく抉れ、海と繋がって三日月形の湾内を生んでいた。

 海に向かってすり鉢状に落ち窪んだ形状の湾岸は、辺り一面打ち捨てられたり流れ着いた鉄材やらトタンやらでくみ上げられた家々や工場が溢れ、少し高いところを走る電車からは潮風で錆びついた街並みが一望できる。


「うう……っ、畜生! 畜生が!」

「うるせえ! めそめそ泣いてんじゃねえよ! ぶっ殺すぞ!」

「黙れえ! 俺の気持ちがテメエに分かるかぁ!」 


 通路を挟んだ列車の反対方向、少年とは反対側の座席に座る男達が突然がなり立て始める。もうこれで何度目の諍いかも分からないその喧嘩に、他の乗客は死んだように黙り込んで目を逸らしている。


「あいつら運が悪いなぁ……おう、兄ちゃん」

 喧嘩の怒鳴り声を横で聞きながら、前の座席に座っていた男が話しかけてきた。

 年齢は二十代後半といったところか。少年と同じアジア系の顔立ち。黒く日焼けし、鼻の下から顎まで覆う無精ひげがこちらを圧迫するが、人の好さそうな笑顔と笑った時に見える欠けた歯が不思議と親しみを覚えさせる。


「運が悪いって……どういう意味だ?」

 特に知り合いでもなんでもない。元々人づきあいが得意な方ではなくあまりこういう場面で他人と会話するような性格でもなかったが、長旅の疲れが娯楽を求めたのか、少年は男の言葉に相槌を打つ。

「そりゃそうだろ。俺達はこっちの席で今から自分らが堕ちてく場所を眺められる。覚悟の準備が出来るってなもんだ。けどあっちの席から見えるもんはこれから自分が失っていくモンだぜぇ? そらぁ絶望だってするってなもんよ」

「……成程」

 言われてみてああ成程と思った。列車で下っていくこちらとは違い、あちらの窓から見えるのは街の上層部だ。


 それは巨大な鉄の塊だった。小高い坂の上、街の最上部には墜落した巨大な宇宙船の残骸が残されていた。そしてその周りの街並みは、今から下っていく行先とは違い随分と小奇麗に見える。

 撤去するにもままならず、成層圏からの落下の衝撃を受けても飛行機能と火器管制を除いた内部機能の半分近くを残していたその宇宙船を、生き残った人類たちはいっそ再利用しようと考えた。

 大半の技術は大戦で失われ、現在はその殆どを過去の遺物から再利用する他ないこの世界にあって、宇宙船の技術を流用できるこの街は他の生存者のコミュニティとは比べ物にならない程に発展している。が、その恩恵にあずかる事の出来る者もまた有限である。


 この列車に乗る者はかつてその恩恵に預かっていた人々だった。そして今、それらの全てを何らかの理由で失い、遥か下層に追いやられる真っ最中なのである。


「昔はこの地獄行き列車の中でさえ金を搾り取ろうと酒やら菓子やら売ってたらしいんだがな。落伍者に酒の飲ませてもロクな事がねえってんで今や何の娯楽もねえ。まったく湿気たもんだせ」

 そう言いながらも男の口からは僅かに酒の匂いがする。来ているジャケットの内ポケットも少し膨らんでいるのを見るに、こっそり隠し持っているのだろう。


「僕は酒は飲めないよ。十七歳だ」

「馬鹿野郎。こんな時代で年齢気にして酒飲まねえなんてそりゃ犯罪ってなもんだ……俺なんてガキの頃から飯に酒ぶっかけて食ってたぜ」

「そりゃまた犯罪みたいな喰い方だな」

「がはは! 違いねえ!」

 豪放に笑いながら、ふと男は少年の顔をじっと見る。

「んー? おい兄ちゃんよ」

「何? 僕の顔がつまみにでも見えた?」

「いやそういう事じゃねえんだけどよ……おめえの顔、どっかで見た事あんだよな」

「気のせいだよ。僕はアンタの顔を見た事ない」

「いや会った事あるわけじゃねえとは思うんだけどな……それにおめえさん十七歳だって? なんだってこんな列車に乗ってんだ。親と一緒ってわけでもねえし、それにやたら落ち着いてるしよ」

 少年の顔を見ながらああでもないこうでもないと考えこむ。だがぼんやりとは覚えていてもはっきりとこちらの顔を覚えているわけではないらしい。


「……事情は色々とあるんだよ。それに落ち着いてるってのも別に大した理由じゃない」

 きっともうすぐ目的地に着く。錆色の街を眺めながら少年はぼそりと呟いた。

「ただ、この先がどんな場所か知ってるだけだ」

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