第3話

 


「貴様、人面魚を喰ったことはあるか?」


 ある日、ナナヤがいかれた邸宅に新鮮な牛乳を届け、踵を返した瞬間、急に声がかけられた。

 振り向くと、そこには案山子のような姿をした男が立っていた。


「はあ」

 ナナヤは返答に困った。人間が質問をするとき、そこには必ず言外のコミュニケーション性があり、「答えに対して何を求めているのか」という意図が存在するはずだ。しかし、男の言葉からは、それが何を意図した質問なのか理解することができなかった。


「なぜ『はい』か『いいえ』で答えぬのだ!」

 男はタップダンス用の靴のかかとで激しく石畳を踏み鳴らした。

 彼は髭面で、ひと目では年齢を言い当てられないような言い知れない顔をしていた。姿はひょろ長い肉体にぼろきれを巻き付けたようで、それはよく見るとハイブランドのトレンチコートのようでもあったが、彼の肩にかかっているとどうにも滑稽な質のいい雑巾のようにしか見えなかった。


 ところでナナヤはこの「なぜ」という疑問符のついた怒り方が嫌いだった。こういう大人はたいていろくでもない。他人が自分の思い通りにならないことに怒るような人間は現実に対する解像度が低すぎるのだ。


「魚にも猫面、馬面、蟹面と様々あるが、人面(ひとづら)は特に格別の効用がある。なにしろその脂は、バカにつける薬になるのだ」

 男は激しく鼻を鳴らし、髭のあちこちに張り付けられたアップリケが揺れた。これのせいで、彼の輪郭はまるでコラージュのようだった。


「貴様には縁遠いようだな、女よ。知恵は愚図には無用の長物。然りといったところか」

「帰ります」

「なに!?」


 ナナヤが踵を返し、うんざりしたように歩き出すと、男はけん、けん、ぱのリズムで石畳をリズミカルに叩きながら追ってきた。


「貴様に帰る家などない!」


 彼がそう云うと――

 ナナヤの目の前で、石畳の先にあった門が消えた。


 門があったはずの場所には、石畳と、巨大な庭がどこまでも真っ直ぐ続いている。


「否、今日いまこの時この瞬間から、貴様の家はあそこだ」


 男がぼろぼろの袖からにゅっと突き出した腕で指さしたのは、背後にそびえる、湖上の美しい城。


「貴様はこの偉大なる魔術師、アーロヌド・ゴーストポイズン・スーパーストロングのため忠実な召使となり、すべからく雑務をこなすのだ。吾輩の原稿が終わるまで、永遠にな!」


 男が高笑いするなか――


 ナナヤは白亜の道を、門が消えた方向へと全速力で駆け出した。

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