6-7
トランプ記憶を実践するにおいて職員室では人目が多かったため、一行は人気のない図書室に移動した。
細川はタイマーやトランプなどを用意して席に就く。深呼吸して集中力を高める。
「私が終わりって言うまで先生と生徒会長は静かにしていてくださいね」
奈保が要領を知らない呉本と清永に釘を刺した。
清永が煩わしそうに言い返す。
「どうして静かにしなくちゃいけないんだ?」
「少しの音でも集中が乱れるからです。メモリースポーツは集中が肝なので先生お願いします」
「そうなら仕方ねえな。静かにしといてやる」
理解できない顔をしながらも清永は了解した。
和美が清永に近づきトランプを突き出す。
「不正がない証拠のために、あんたがシャッフルしてくれ」
「教師に向かってあんたとはなんだ?」
「うっせーな。とにかくシャッフルしてくれ清永、センセイ」
無理やり呼称を付け足した和美に、清永はイラっとした目を向けながらトランプを掴み取った。
細工がないか一枚ずつ検分してから、何度も落としそうになる不慣れな手つきでトランプの山札を切り、和美に突き返した。
「これでいいか?」
「サンキュ」
和美は受け取り、席に就いている細川の前に戻した。
ついでのように細川に小声で話しかける。
「幸也。練習通りにな」
「……ああ」
細川は短い相槌だけを返し、静かな闘志の宿る目をすぐにテーブルの木目に目を落とした。
和美がテーブルから離れて、奈保の隣に移る。
「準備出来たぜ。奈保」
「おっけー」
奈保は頷き、清永と呉本に顔を向ける。
「先生に生徒会長。始めていいですか?」
「どうぞ」
「やるなら早くしろ」
清永と呉本の返事を聞くと、奈保は人差し指と親指をくっつけて細川にハンドサインを送った。
細川はハンドサインを見るなり、一つ大きく息を吐き目を閉じた。スタックタイマーの両端に手を翳す。
――――――。
――――。
――細川はタイマーの両端に触れた。意識が脳内のルートへ没入する。
一か所目は昇降口。スペード9、ダイヤK。『スクーター』に乗った『タコ』が躍っている。
二か所目はシューズロッカー。ハート4、ハート8。ロッカーに置いてある『箸』から名も知らぬ『葉っぱ』が生えてくる。
三か所目は階段の一段目。スペード8、クローバー2。白磁の皿に盛った『スパゲッティ』を革『靴』で踏みつぶすとソースが飛び散った
四か所目は踊り場。ダイヤJ、ハート10。『田島』さんが手品で手の中から『鳩』を飛ばす。
8枚を過ぎると脳が慣れ、たちまち記憶が加速する。
ルートの中で細川に校舎の二階に来ていた。
階段の最上段にある掲示板。ダイヤ3、ハートK。『打算』を意味する電卓を『刷毛』で黒く塗りつぶす。
消火器。スペード6、クローバー9。『スロット台』に初老の『コック』が座り、銀の球が大量に排出される。
廊下の中央。ダイヤ10、スペード5。横切る『タートル』に『スコップ』で襲い掛かると、裏返って腹を晒した。
教室の教卓。ダイヤ6、クローバーQ。教卓上に建てられた『ダム』が決壊して水を一緒に『人口呼吸器』が飛び出してくる。
教室の窓。クローバー8、ダイヤA。韓国料理の『クッパ』に『タイヤ』で轢き潰すと、中身が辺りに散乱した。
掃除用具のロッカー。スペードA、スペード4。ロッカーを開けたら『スイカ』が転がり出てきて『寿司』に変化した。
トイレの出入り口。ダイヤ5、ハート9。串刺し『団子』にさらに追加で『白桃』を突き刺す。
階段の手すり。クローバー7、クローバーJ。『クナイ』が手すりの上を滑り『くじ箱』の中に入っていく。
階段下の空間。ダイヤ7、ハート6。『棚』を開けたら『ハムスター』が棲んでいた。
半分の二十六枚を記憶した。
集中を保って細川の指が次のトランプを捲る。
ルートの中で細川は一階の廊下に戻ってきた。
購買の受付け。クローバー10、ダイヤ4。『極道』の柄の悪い男が『山車』を担いでワッショイ、ワッショイと叫び出す。
渡り廊下。ダイヤ8、クローバーA。『タンバリン』に『杭』を打ち込むと金属の音が鳴った。
自動販売機。クローバー6、スペード10。『黒猫』が『ストーブ』で温まっていると、熱のせいで赤くなった。
廊下の掲示板。ハート2、スペードK。『埴輪』の周りを『スケート選手』が滑っている。
押しボタン式の火災報知の発信機。クローバーK、ハート5。『クッキー』を『プレゼント箱』で包装する。
家庭科室のドア。クローバー5、スペード2。ドアを開けて『救護員』が出てきて真っ黒い『スーツ』を羽織る。
家庭科室のコンロ。スペードQ、スペード3。『スキューバダイバー』が『炭』火焼きしている。
裁縫室のテーブル。クローバー3、ダイヤ9。『グミ』の袋から『沢庵』を取り出す。
焼却炉。クローバー4、ダイヤ2。焼却炉から出てきた『櫛』を使って『ダーツ』をする。
体育館の屋根。ハート7、ハートJ。屋根から『花』が生えて『おはじき』を大量に吐き出す。
資料室のテーブル。スペードJ、スペード7。『数字版』に『砂袋』の砂を注ぎかけた。
資料室のキャビネット。ハート3、ハートQ。『ハサミ』でキャビネットを開けたら『白球』が飛び出してきた。
図書室のドア。ハートA、ダイヤQ。「灰皿」を「卓球台」で叩き割ると破片が散らばった。
――――――。
――――。
――五十二枚全てルート内に散りばめると、すぐさまスタックタイマーの両端に手を触れた。トランプをタイマーの前に置く。
タイムはほんの僅かに一分を切っていた。
しかしタイムだけで安心せず、細川の意識はルートの一か所目に帰還した。
ルートを一巡歩き回り、手ごたえを感じて内心ほくそ笑む。
テーブルから離れた位置にいる奈保へ、記憶終了の意思で片手を上げた。
和美が呼応したようにテーブルに近づき、記憶用のトランプだけを取ってすぐに奈保のところへ戻ってくる。
トランプを清永に差し出した。
「これ、先生が持っててくれ」
「俺がか。なぜだ?」
「幸也がこれと同じ順にトランプを並べるから、先生が持っていれば不正の仕様がないだろ」
「そういうことか。ふん、やたらに自信満々だな」
正々堂々とした和美の態度に、清永は見下すように鼻を鳴らした。
細川は一行の会話に耳を向けることなく、淡々と回答用のトランプを記憶通りに並べていく。
並べ終えると一度五十二枚の順列を確認してから、奈保に手を上げた。
奈保も片手を上げて応じ、清永と呉本を振り返る。
「今から答え合わせをします。生徒会長と先生も一緒に来てください」
「わかったよ」
「不正がないか、俺が確かめないとな」
口々に了解の意を示し、奈保と和美に後ろについて細川のテーブルに歩み寄った。
和美が指示を出す。
「先生は幸也とタイミングを合わせて一枚ずつトランプ確認して、スーツと数字が一致していれば次を捲る。それを一致しないのが出るまでやってくれ」
「ああ、それで……いや?」
清永は了承しかけて、疑問に感じたように眉を顰めた。
細川、呉本と順に見て和美に目を戻す。
「細川にやらせると不正があるかも知れん。細川に代わって呉本じゃダメか?」
不意に役目を振られて呉本は渋い顔になる。
それでいいぜ、と和美は強気に返答した。
「答え合わせを誰がしたところで結果は変わらねえよ。なあ奈保?」
「ええ。細川君なら成功してくれるもの」
「ふん。大層な自信だな。よし、生徒会長。答え合わせだ」
和美と奈保をせせら笑い、生徒会長に命じて回答用のトランプの一番上を摘まんだ。
成り行きに任せよう、という億劫そうな顔つきで呉本は細川が並べたトランプを手にした。
「一枚目ぇ」
清永の声とともに、細川の目の前でトランプが置かれた。
細川はすでに緊張していない無表情で答え合わせの様子を眺める。
一枚目はスペード9スペード9。一致していた。
「二枚目ぇ」
ダイヤKとダイヤK。一致。
「三枚目ぇ」
ハート4とハート4。一致。
「四枚目ぇ」
ハート8とハート8。一致。
五枚目、六枚目、七枚目と一枚ずつ粗探しでもするように子細に確認していった。
しかし二十枚目まで来ると、清永の顔色が曇る。
「一体、何枚まで同じ絵柄が続くんだ?」
清永の問いかけに誰も答えない。
早く続きを、と呉本に催促されて、清永は首を傾げながらも二十一枚目を捲る。
「二十一枚目」
またしても一致。
二十二枚目、二十三枚目、二十四枚目――
三十枚目でも一致していた。
清永は怪訝そうに眉を顰めた。
三十一枚目、三十二枚目、三十三枚目――
四十枚目でも不一致ナシ。
リバーシで置くところを無くしたみたいに清永の眉間に深い縦皺が刻まれる。
四十一枚目、四十二枚目、四十三枚目――
五十枚目まで捲っても不一致ナシ。
九回裏ツーアウトからの大量失点のシーンを体験したように、清永の顔がショックに染まる。
五十一枚目、五十二枚目――すべてのトランプを捲り終わった。
全五十二枚で不一致ナシ。
ノーヒットノーラン寸前でホームランを浴びたみたいに清永は受け止めきれない驚愕に打ちのめされて茫然とした。
「五十二枚。ミスなし。成功です」
細川が無感動に宣告した。
清永は未知と遭遇したように目を丸くして、整然としたトランプの束と細川の顔を交互に見た。
「細川。お前一体何をした?」
「トランプの順番を覚えただけですけど」
「トリックみたいなものは……」
呟きながらトランプの束を掴んで、一枚ごとに表裏を調べる。
しかし種も仕掛けもあろうはずがなく、やがて諦めたようにトランプを戻した。
「そんなわけ、こんな量のトランプを一分足らずでどうやって……」
「どうですか。これで記録が偽造ではないと証明できましたよね?」
静かに勝利を噛みしめる声で細川が問う。
清永は顔を上げて、観念したという表情になる。
「疑って悪かった。部活申請を認可する」
清永の後ろで奈保と和美がハイタッチした。
呉本は一つの大仕事終えたように、微かに緩んだ顔になる。
窓から夕暮れに向かう淡い陽光が射し込み、テーブル上の二枚のダイヤQを前途への曙光のように明るく照らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます