6-3

 Bグループ三回目の計測まで日程が進むと、一時間の昼休憩が訪れた。

 雑居ビル近くのコンビニのイートインで細川はフランクロール、和美は梅お握り一つだけをそれぞれ買い、奈保は持参してきたショートブレッドに似た栄養豊富な菓子で昼食を済ました。


 今は食後のデザート代わりに和美が焼いてきたクッキーを各々摘まみながら、午前中三回のトランプ記録を振り返っている。


「一回目は成功させることに重点を置いたの」


 奈保が指先に挟んだクッキーの出来具合を見ながら話した。


「五回全部ミスっていうのだけが避けたかったから、安全策を選んだの」

「安全策で三十七秒はえぐいな」


 和美が感嘆の声を出してから、もとは乾パンの入っていた再利用の缶からクッキーを取り出し口に放り投げた。

 満足げに口元を緩める。


「我ながら丁度いい甘さだ」

「細川君は三回ともミスだっけ?」


 奈保が確かめるように訊く。

 しかし細川は詰られたように受け取り、すまなさそうに眉を下げた。


「三回とも失敗したよ。ごめん、一分切る切らないどころじゃないよね」

「謝るようなことではないわよ。和美だって前の大会で五回全ミスしてたから」

「おい、奈保。前回大会の事を口にするな。今でもショックが癒えてないんだぞ」

「土屋さんでも成功しないことあるんだね」

「実力ある選手でも成功は絶対じゃないからね。確実性を高めることは可能だけど、人間である以上ミスは付き物」

「そうだ、ミスは付き物だ」


 深く同意するように和美がこくこくと頷いた。

 奈保が咎めるような目で和美を睨む。


「そうやって安易に認めないの。ミスを減らす努力をしなさい」

「んだよ。奈保だって失敗する時はするじゃねーか」

「そりゃ私だって失敗はあるわよ。ただね。和美からは必死さを感じないのよ。次はミスしないぞっていう決意みたいのなのがない」

「あっ。な、奈保と一緒にするなよ。あたしは奈保ほどガチじゃねえんだ」


 突然の指摘に和美はたじろぎを見せ、言葉を返した。

 奈保は大きくため息をつくと、細川に味方を求めるような催促の目を向ける。


「細川君も和美に言ってやってよ。 もっと物事に真剣になれって」

「え。俺に言う権利あるの?」

「あるある。幼馴染の私が許可する」

「勝手に許可するな。メモリースポーツにどう向き合おうとあたしの自由だろ」


 クッキーを手にしたまま、反抗の口ぶりで和美が主張した。

 奈保は異論ある雰囲気で和美に向き直る。


「和美。あんたは中学時代から変わんないね」

「んだよ、突然。どういうことだよ?」


 クッキーを噛み砕いてから和美は疑るような目で奈保を睨み返した。

 対して奈保は静穏さを称えた瞳で、染め直していない赤髪の幼馴染を見つめる。


「もしもさ。部活が認可されて私と和美と細川君の三人で活動できることになったら、和美は不良をやめて髪を黒に戻そうよ」


 導く手を差し伸べるような声音で促した。

 細川は胸を衝かれた思いで奈保を横目に見る。

 和美も前に進ませてあげたい、という奈保のかねてからの願い。


 その募った願いが、今の言葉に集約されている気がした。

 奈保の肩越しに和美の面食らった顔を覗く。

 そうだな、と賛成の返事が口から出てくるのを期待した。


「なんだよ奈保……」


 和美が長い時間を共にしてきた幼馴染に真意を測りかねる目を注いだ。クッキーに手を伸ばして咀嚼する。

 数瞬の沈黙の後、挑みかかるような目に変わり睨み据える。


「いくら奈保の頼みでも、不良はやめない」

「……どうしてっ!」


 頑固な意思で却下された奈保が、苛立った声で訳を問うた。

 わからず屋に聞かすように和美が答える。


「奈保としてはあたしにも真面目な学生に戻ってほしいんだろう。でもな、あたしまで変わったら由紀と葵の戻ってくるところがなくなっちまうだろ。二人が前に進めないでいるのにあたしだけ前に進んだら、二人を置き去りにしちまうだろ」

「そんなこと言ったって……」


 奈保は反論したい気持ちに言葉がついてこずに黙り込んだ。

 悲痛そうに眉間を顰め、悔し気に唇を噛む。


「奈保。わかってくれ」


 幼馴染の悲痛な顔を見て、和美の表情も憂いに沈んだ。ついでのようにクッキーに

手を伸ばす。

 重く湿っぽい雰囲気がイートインの狭い空間を満たす。

 何か声をかけた方がいいんだろうか、と細川は自分が取り残された存在だと意識しながら悩んだ。

 細川は、かつての仲間を思い出して辛さのあまりに言葉をなくす和美と奈保を眺める。


 そして、ふと気が付く。

 陰気な二人は嫌だな、と。

 名義を貸すことをきっかけに今まで二人に付いてきて、時々言い争いになったけれども楽しかった。

 誰かと一緒に何かをすることが、こんなにも楽しい事だって知った。

 コスモスのメンバーも二人といるのが好きだったのかも。


 もしかしたらコスモスの解散に関係なく、二人の友情そのものにコスモスのメンバーは惹かれて拠り所にしていたのかもしれない。

 細川の想念のうちに段々と、顔も知らないかつて和美と奈保と共にいた女子たちの人物像が浮かんでくる。


 想像の域を出ないが、彼女たちが今の自分と似た思いを抱いていた気がした。

 言葉が自然と口をついて出る。


「二人らしくないね」

「え?」「は?」


 細川の声に奈保と和美が振り向いて、きょとんと瞬いた。

 思わず口に出てしまった、という顔で細川は二人の視線にたじろぐ。


「あ、いや。なんか出しゃばってごめんなさい」

「幸也。らしくないって言ったか?」

「あ、うん」

「どうすればいいと思う?」

「……ええ」


 自ら発言しておいて細川は答えに窮した。

 第三者である自分が差し出がましい事を言ってもいいのか。


「コスモスと関係ない細川君だからこそ気付けることがあると思うの。それを教えて」

「俺だから気付けること、か」


 奈保の促すような言い方に、細川は頭の中で入り乱れた想像をまとめ直した。

 想像を言葉にする。


「ええと。俺が思うには、平田さんと土屋さんが仲の良さこそが、由紀さんと葵さんの戻りたいところなんじゃないかな、と。多分」

「なるほど」


 ひとまず言葉通り受け取るように奈保は頷いた。

 和美がクッキーを指先に摘まんで一口に食べてから、細川に問う目を遣る。


「なあ幸也。あたしと奈保の仲の良さが由紀と葵の戻りたいところって言ったよ

な?」

「うん。変なこと言ったかな」

「そういうわけじゃねえ。ただ、由紀と葵のためにあたしが不良を続ける意味はないって解釈していいのか?」

「そう、解釈してもいいと思う」

「髪の色が違くても由紀と葵はあたしのこと分かるか?」

「おそらく」

「そうか」


 自信なく肯定する細川に、和美は肩の荷が降りたみたいに微笑みかけた。

 奈保が和美に伺う視線を向ける。


「和美。不良やめるの?」

「……わかんね」

「はっきりしなさいよ」

「黒い髪が似合うかどうか。それに染め直したら奈保と被るだろ」

「赤よりはマシよ」

「じゃあ金にするか?」

「やめてよ。染め直すなら手伝ってあげるから黒にしてよ」

「考えとく」


 ぞんざいに答えて、クッキーの入った缶に手を伸ばした。

 クッキーを口に運び、美味しそうに頬を緩める。


「我ながら良い出来だぜ」

「今日のところはこれで勘弁してあげる」


 奈保が負け惜しみのように言って、クッキーの缶に手を入れる。

 もう一個しかない、とぼやきながらクッキーを取り出した。

 和美が小ズルそうな笑みを浮かべた。


「さっきからあたしが一人で食べてたからな。奈保のためにわざわざ残しておくわけないだろ」

「ひどい和美。残しておいてよ」

「いいじゃねえか。あたしが作ってきたんだし」

「太るわよ?」

「生憎太りにくい体質なんでね。それに糖質控えめにしてあるし」

「ムカつく」


 奈保は恨めげに幼馴染を睨んだ。

 二人のやり取りを見ながら、細川は微苦笑を抑えられない気持ちでいた。

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