6-2

 青森による大会前のルール説明が終わると、いよいよ一回目の記録計測の支度がそれぞれの机で始まった。

 SCCは参加者がAグループとBグループに分かれ、Aグループが計測をする場合Bグループが記録係を務め、Bグループが計測をするときはAグループの者が記録係を務める。その入れ替わりを五回目の計測まで行う、というのが基本的な大会の流れだ。


 細川と奈保がAグループ、和美はBグループに分けられ、細川のペアは和美が担うことになった。

 Aグループ一回目の計測が始まる間際、長机の上でタイマーやトランプを用意する細川に和美が親切心で計測前後の流れを説明する。


「圭さんの合図で記憶時間が開始されて、五分後に圭さんの合図で計測時間が終了して回答時間に移るぞ。合図がされても記憶するような行為や、回答しようとすると反則になるから気をつけろよ」

「実戦練習の時と同じ流れだよね。それなら大丈夫」

「わかってるなら心配いらねえな。一回目から成功できることを祈ってるぜ」


 奮励を促すような言葉を細川に掛け、軽く手を振りながらBグループの者が集まる同じ部屋の隅にある待機スペースへ歩いていった。 


 細川は和美から意識を離し、深呼吸して精神を沈静させた。記憶用のトランプを右手に掴み、いつでも始められる状態になる。

 少ししてホワイトボードの青森が前に立った。

 会場中を見回して計測者の準備が整ったことを確認すると、一拍置いて大きく口を開く。


「それでは、記憶時間始め」


 青森の声と同時に、細川はタイマーの両端を押した。

 タイマーの表示が進み出すと、意識の全てが手元のトランプと脳内のルートだけに収斂する。

 細川の意識は脳内のルートに完全に没入した。

 ――――――

 ――――

 ――


一回目の記憶に使うルートは通学路。


一か所目 クローバー7、ダイヤ10。


二か所目 ダイヤ6、スペードK。


三か所目 ハート10、スペードJ。


四か所目 スペードQ、クローバー10。


五か所目、六か所目、七か所目――


順調にルートを進み、トランプを記憶していく。

一度も後戻りすることなく五十二枚を見終わって、すぐにタイマーを止めた。


59秒99。


幸先よく一分以内で記憶した。

それでも細川は記録のことなど気にせずに目を閉じ、覚えたトランプを脳内ルートで巡って思い出していく。


「記憶時間、終わり」


 青森の声とともに目を開けた。おかしいと言いたげに首を傾げる。十三か所目と十七か所目に不安を覚えた。

 奈保を含む細川以外のAグループ参加者が回答の準備に入る。細川も倣って回答用のトランプに目を遣る。


「回答時間、始め」


 青森の合図で回答用のトランプを手に取った。長机の上に蛇腹状に広げる。

 ルートの一か所目から順繰りにイメージを復元させていく。

 復元に失敗した十三か所目と十七か所目は飛ばし、思い出せる場所から記憶を蘇らせていく。


 回答時間が残り一分を切ったところで、余った四枚のイメージと十三か所目と十七か所目を繋ぎ合わせてみる。

 しかしイメージを復元できない。

 悶々とトランプ四枚を凝視したまま、残り時間が刻々と減っていく。

 悩みぬいた末に細川は諦め、記憶の空いた部分を残った四枚で無秩序に埋めた。


「回答時間、終わり」


 直後に青森の合図が響いた。

 しばらくして待機スペースから和美が歩み寄ってくる。

 期待を孕んだ面持ちで細川のタイマーを覗いた。


「おっ、一分切ったじゃん」

「けど、思い出せなかったところあるから失敗だよ」


 細川は浮かない顔で言葉を返した。


「答え合わせしてみるまで希望は捨てるなよ。まぐれで一致してるかも知れねえ」


 和美は慰めの滲んだ声音で笑い飛ばし、記憶用のトランプを手に取った。

 半ば納得した相槌を返して細川は回答用のトランプを掴む

 タイミングを合わせて上から一枚ずつ捲っていく。

 二十六枚目で不一致が出た。細川が思い出せなかった十三か所目だった。


「記録は二十五枚な」


 同情するでもなく事実を事実として伝える声で和美が告げた。大会前に渡されていた記録用紙に細川の記録を書き込む。

 SCCではペアの者が計測者の記録を記入する規則になっている。

 細川は残念そうに眉を下げた。


「やっぱり簡単に成功させてはくれないね」

「実力のある選手でも五回全て失敗することもあるからな。一回ミスしたぐらいで気を落とすことないぜ」

「次は成功させてみせるよ」


 悔やんでも仕方ない、という心持ちで細川は意気込んだ。

 期待してるぜ、と和美は返しながら書き込んだ記録用紙を見せる。


「記録、間違ってないか?」

「大丈夫。間違ってないよ」

「なら良かった。あたしの時も用紙に書き終えたら確認取ってくれよ」

「わかった」


 細川は頷き、席を空けるためにタイマーとトランプを片づけ始めた。

 五分ほど後に、細川と同じ席でペアである和美が一回目の計測に挑む。



「記憶時間、始め」


 Bグループの計測が開始する。

 和美がひたむきにトランプを捲っている頃、細川は待機スペースのパイプ椅子に座りスマホをいじっていた。

 空いた彼の隣の席に、ミネラルウォーターのペットボトルを両手に持った奈保が腰を下ろす。


「計測一回目、お疲れ様」


 計測者の耳に障らないよう声量を抑えた労いの言葉を掛け、ボトルを一本差し出す。

 細川はボトルと奈保の横顔を不思議そうに見つめた。


「え、俺にくれるの?」

「遠慮なく受け取って」

「それじゃ、いただきます」


 恭しい声音を出して細川はボトルを貰い受けた。

 奈保が自身のボトルを開け、おもむろに一口飲み下す。


「水分補給は怠らないようにね、細川君」

「喉乾いてなくても飲んだ方がいいのか?」


 ボトルを指先で回してラベルを眺めながら訊いた。

 当然という顔で奈保が頷く。


「体内の水分の数パーセントが失われるだけで記憶力が大きく減退するの。だから水分補給とするとしないで大会の結果は大幅に変わってくるわ」

「そういうことなら怠らないようにするよ」


 奈保の助言に納得し、ボトルを開けて一口飲んだ。

 血流が良くなり頭部を駆け巡るような感覚を覚える。


「ついでに言っておくと競技中の私語は慎むようにね。ちょっとした音でも集中が乱れるから」


 わかった、と細川は返事しようとして慌てて首肯だけを返す。

 傍目には少し滑稽な細川の行動に、奈保は声を立てずに肩を揺らして微苦笑した。

 その後、Bグループの計測が終わるまで細川と奈保は会話を交わさずに沈黙の時間を過ごした。

 しかし二人の頭の中は二回目の計測のことで多くを占めており、沈黙こそが記憶活性には最適だった。

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