4-1

 休日明けた月曜日の放課後。

 細川はトランプを持った奈保に連れられて人気の減った校内を歩いている。


「それで平田さん。トランプ記憶のやり方を教えるって聞いたけど。どうして図書室の中だとダメなの?」


 前を歩く奈保に尋ねた。

 細川は奈保の指示に従うまま付いてきているだけだ。ちなみにいつも講義を行っている図書室には荷物番を希望した和美が一人で残っている。


「ここよ」


 奈保は細川の質問には答えず、昇降口が正面に見える位置で足を止めた。

 細川を振り返り、真面目な表情で告げる。


「昇降口がスタートよ」

「スタート。なんの?」

「トランプ記憶のやり方を教えるって言ったよね。だからトランプ記憶のスタート地点に来たの」

「ここがトランプ記憶と関係あるの?」


 細川が辺りを見回す。

 いつもと変わらぬ放課後の静かな昇降口付近だった。


「関係大アリよ。トランプ記憶にはルートっていう記憶の道順が必要になるの」

「ルートって何。記憶の道順?」

「先週、場所法記憶を図書室内で体験したでしょ。あれのトランプ記憶用かな。一ルートで二十六か所あるの。トランプは五十二枚覚えるから、一つの場所に二枚を結び付けるの」

「どうして二枚なんだ?」

「初めてならまずはスタンダードなやり方が良いと思って。大体の人が一つの場所に二枚で記憶するの」

「二枚がスタンダードなんだ」


 平田さんは初心者の俺に気を遣ってくれてるんだろう、と細川は納得して話を止めることなく問いを口にする。


「一つの場所で二枚覚えるのはわかった。けど、この場所を使ってどうやってトランプを覚えるんだ?」

「口頭で言っても伝わりにくいから、実際にやってみましょう」


 奈保はそう言い、図書室を出るときに持ってきたトランプの束を上から二枚を摘まみ持った。

 細川から見て左からハート2、ダイヤ1た。


「この二枚のイメージは?」

「埴輪とタイヤ。けど、それがどうかしたの?」


 細川の問いに、奈保は昇降口の開放されたままの出入り口を指さす。


「昇降口の出入り口に人間大の埴輪があって、その埴輪にタイヤを輪投げみたいに潜らせる。イメージしてみて」


 奈保に促される通り、細川は昇降口での展開をイメージする。


「イメージできた?」

「ああ」

「それじゃ次。ここ」


 奈保はシューズロッカーに指さす。

 トランプのデッキを細川に差し出す。


「細川君がイメージを確認して」

「わかった」


 トランプのデッキを受取った細川は上から二枚を捲る。 

 スペード10、スペード6だった。


「ストーブとスムージーだ」


 奈保は細川からトランプ固有のイメージを聞くと、シューズロッカーに近づき自身の収納場所を開けた。


「ロッカーを開けたらストーブがあって、スムージーを温めていた」


 細川は奈保が口にした様相をイメージする。

 ロッカーに納まる小ぶりなストーブの上で、スムージーの入ったカップがぐつぐつ煮立っている。

 奈保がシューズロッカーを離れて、昇降口を抜けた正面の廊下の階段に移動する。


「次は階段の一段目」


 細川は奈保のもとに近づきながらトランプを捲る。

 ダイヤ5、クローバー4だった。


「団子と櫛だ」

「パッケージに入った三食団子に櫛を突き刺す」


 イメージが細川の頭の中で再生される。

 奈保は踊り場まで駆け上がった。


「次は階段の踊り場だよ」


 細川がトランプを捲る。

 クローバー7、クローバー3だった。


「クナイとグミだ」

「踊り場にクナイを刺したら、床からグミが溢れてきた」


 グミが勿体ない、と細川は密かに嘆いた。

 奈保が階段の最上段まで昇り、突き当りの掲示板手に触れる。

 すぐさま細川はトランプを確認した。

 スペード7、スペード5だった。


「砂袋とスコップだ」

「この掲示板の前に砂袋が置いてあって、スコップを突き立てる。サクッという音まで聞こえてきそうなぐらい鮮明にね」


 砂袋にスコップを突き立てると、袋が破れて中身の砂が雪崩れ落ちる。

 細川が頭の中でイメージを動かしている間に、奈保は掲示板を右に折れて二年の廊下に出る。

 細川がトランプを捲りながら追いつくと、壁に埋め込まれる形で設置されている消火器を指さした。


「次は消火器」


 細川の捲ったトランプはダイヤ8、ハート10だつた。


「タンバリンと鳩だ」

「消火器の前にタンバリンがあって、タンバリンを取ったら中から鳩が現れてどこかへ飛んでいった」


 イメージが細川の頭の中で展開された。


「次の場所、行きましょ」


 告げて、奈保が歩き出す。

 細川は行動権利を委ねるつもりで奈保の後に付いていった。



 トランプ記憶に使う校内の二十六か所を巡り終えた奈保と細川は、窓から見える空が橙色に染まり始めた頃に図書室に戻ってきた。 


「おかえり。奈保、幸也」


 奈保と細川が図書室に入るなり、手前の席にいた和美が文庫本から目を離して労うように言った。

 奈保が申し訳なく眉を下げる。


「和美。荷物番させちゃってごめんね、退屈しなかった?」

「読書してたからな。退屈はしなかったぜ」

「そう、なら良かった」

「それで奈保。幸也にはきちんと伝わったか?」

「細川君は集中して聞いてくれてたよ」

「ならよ、奈保。あれを試してみろ」

「そうね。試しましょ」


 平田さんと土屋さんは何を話し合ってるんだろう、と自分が知らぬ話題で検討するような雰囲気の奈保と和美に、細川は不審さを覚える。


「ねえ細川君?」


 和美との検討を終えた奈保が細川の方を向いた。

 細川は問い返す目で奈保と対した。


「記憶って思い出しやすくあるべきなの」

「はあ」

「だから。さっき歩き回った二十六か所のトランプのイメージを思い出してみて」

「え?」


 不意打ちの要求に細川は戸惑って返す言葉を探した。

 しかし奈保は静かな表情で無言の催促をしてくる。

 助けを求めて和美に目を移すが、和美も静観の形相で細川を見つめていた。


「やればいいんだろ。思い出せるだけ思い出すよ」


 投げやりに近い気分で、渋々と記憶を辿ることにした。

 細川の頭の中で、昇降口の光景がじわじわと蘇ってくる。


「えーと、一か所は埴輪とタイヤで」


 二か所目はシューズロッカー。 


「ストーブとスムージーがあって」


 三か所目――


「団子に櫛が突き刺さって」


 四か所目――


「クナイを刺したらグミが溢れてきて」


 五か所目――


「砂袋にスコップを突き立てて」


 細川は予想以上に湧いて出てくる記憶の明瞭さに若干驚きながらも、引き続き脳内のルートを進む。

 六か所目――


「タンバリンをを取ったら鳩が出てきて」


 七か所目――

 以降、二十六か所目に至るまで五十二枚のトランプのうち一枚もイメージが抜けることなくルートを巡り切った。


「嘘だろ……」


 五十二枚全て思い出せてしまった事実に細川は呆ける。

 細川の記憶が成功し、奈保の顔にはしてやったりの笑みが張り付いた。


「やってみれば五十二枚の記憶って出来るものでしょ?」

「ああ、出来たな。いまだに驚いてはいるけど」

「あたしは幸也なら出来るって信じてたぜ」


 見返りのある予測が的中したみたいに和美が嬉しそうに笑った。

 掛けられた期待に細川は遠慮の思いを強くする。


「信じられても困るよ。今回はたまたま記憶できたけど、必ず思い出せるってわけじ

ゃないだろうから」

「違うよ細川君」


 奈保が即座に言い返した。

 思わぬ否定に細川は当惑して奈保を見る。


「え、違うの?」

「うん。私は細川君が記憶できたのは偶然ではないと思う」

「偶然じゃないなら、なんだよ?」

「細川君が集中して場所にイメージを結び付けた結果。集中してなかったら五十二枚全部思い出すのは難しかったはずだよ」

「幸也の頑張りがもたらした結果だ。もっと喜んでいいんだぞ?」


 和美が助言のように言った。

 それでも細川は心浮き立つ気分にはなれず、次は喜べるよう努めるよ、と淡白に返した。

 しばらくすると会話が途切れて静けさが降りる。

 奈保がつと細川を見据える。

 真面目な顔つきで口を開き沈黙を破る。


「明日なんだけど、計測したいの」

「……計測って何を?」


 突然に話題が替わり、少し反応遅れて細川は訊き返す。


「細川君のトランプ記憶。そろそろ練習を始めた方がいいと思って」

「それは構わないけど、俺は計測なんてしたことないぞ?」

「やり方やルールはその時に教えるから。とにかく細川君の現時点の実力を把握しておきたいの」

「そうか。平田さんに考えがあるなら俺は従うよ。それにつべこべ意見できるほど競技を知らないしな」

「それじゃ、明日の予定はトランプ記憶の計測で決定だね」


 自分の意思が通り、今から楽しみとでも言うように奈保は笑顔になった。

 和美も異存はないらしく奈保の決定に同意の微笑みを浮かべた。


「無茶ぶりはしないでくれよ」


 細川としても決定に反対する理由もなく、ただ弱く訴えだけを口にした。

 明日の予定が決まってこの日はお開きとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る