3-3

「同じクラスに小柄で大人しい由紀っていう女子生徒がいたんだ。

 あたしは由紀と最初は親しいわけじゃなかったが、別に嫌ってるわけでもなかった。言ってしまえばクラスメイトという以外に何の関係性もなかったんだ

 だけど放課後に職員室で用を済まして帰ろうとした時に、由紀が別クラスの女子生徒らにいじめられてるのを見たんだ。

 面倒事が嫌であたしはすぐにその場を離れたが、そのあとモヤモヤが消えなかった。

 由紀をいじめてた奴らの顔を見かける度に自分が何かされたわけでもないのに、妙にイライラして、そのイライラが段々と募ったんだ。

 そしてある時、由紀がいじめてる奴らに囲まれて校内のどこかへ向かうのを見かけて、あたしはこっそり後を追いかけた。

 校舎裏の人気のない所でまた奴らは由紀をいじめてた。その時に積もり積もったイライラが爆発して、あたしは奴ら目掛けて殴りかかった。

 あたしは親父の趣味でボクシング齧ってたから、かすり傷ぐらいでいじめてた奴らを伸してやったんだ。

 これがあたしが初めてボクシング以外で人を殴った時だった」


 そこまで喋って話をやめた。

 話に引き込まれた細川が質問する。


「由紀さんはどうなったの?」

「次の日、あたしに話しかけてきた。昨日はありがとうございました、って。わざわざ言いに来たんだ。

でもあたしは助けたわけじゃないんだ。結果そうなっただけで、いじめをする奴らが許せなかっただけだ。

 けど、それ以来由紀は、「どうしたら強くなれますか」って度々聞てくるようになって、あたしも奈保以外に友達いなかったから話しかけられるのが嬉しくなって次第に仲良くなったんだ。

 それがコスモスを結成する発端になるんだ」


「その人が作ろうって言いだしたの?」

「いや、違う」


 細川の問いを否定し、和美の昔語りはコスモス結成の話題に入る。


「あたしが暴力沙汰を起こしたのが校内で問題になったんだ。それであたしが腫物みたいにみんなから扱われて停学処分まで食らった頃、唯一親しくしてくれた奈保があたしに言ったんだ。和美のやったことは決して間違ってないよ、間違ってるのは由紀をいじめてた方なんだから、って。

 あたしがいじめから助けた由紀も、土屋さんはすごいよ。あれだけの人数を倒しちゃうんだから、ってあたしを褒めてくれたよ。それであたしは浮足立ったんだ、あたしがしたことは正解だったと思ってさ。

 それから理不尽な被害にあっている人を救いたくなって、大なり小なり相手を伸していいったんだ。そうしたら次第にあたしを頼って女子が集まりだしたから、奈保に副リーダーやってもらってコスモスを結成したんだ。多いときは三十人ぐらいメンバーがいたな」


 胸躍る思い出であるかのように、話す和美の声は弾んでいた。

 暗い展開を予想していた細川は、和美の声の明るさに驚きながらそのあとは? と目線で先を促した。


「コスモスのみんなで海に行ったり、遊園地に行ったり、誕生日の時にはサプライズ

でプレゼントを渡したり、ほんとに楽しかったぜ」

「そうなんだ」


 沈んだ雰囲気を全く感じ取れない和美の懐旧談に、もしかして話してくれるのは楽しい記憶だけなのではないか、と細川が予想を切り替えようとした。

 だが、しばらくして和美の表情に陰のような暗さが差す。


「楽しかったんだよ。途中までは」

「途中? そのあとに何かあったの?」

「中二の冬に、コスモスのメンバーの友人が男性教師に度々わいせつ行為をされたって聞いたんだよ。だからあたしはわいせつ行為を働いた男性教師を懲らしめてやろうと思った。それが間違いだったんだ」


 打ち明けて、声が涙ぐむ。

 和美の過去を楽観視しかけていた細川は、和美の急に陰を帯びた口調を聞き、安易に相槌を返すことができなくなった。


「男性教師の帰り道を待ち伏せし、あたしを含むコスモスのメンバー六人で男性教師を懲らしめてやった。被害者の友人だった奴にいたっては、金属バットまで持ち出して蹲ったところを殴ってた」

「ひどい……」


 細川の口から怖気を感じた声が思わず漏れた。

 確かにひどいよな、と和美は肯定する。


「今にして思えば金属バットはやり過ぎだった。でもその時は殴ったメンバーが友人を犯されて仇を取りたい気持ちも知ってたから、あえて止めはしなかったんだ」

「そのあと、殴られた男性教師はどうなったの?」


 いくぶん同情的に細川が訊く。

 和美は歯噛みするような悔しさの滲む顔になった。


「病院送りだよ。金属バットで殴ったメンバーだけが自首した」

「どうして自首したの?」

「病院送りにまですることない、って男性教師の被害者の女子から言われたらしい。だから戒めのために自首したって聞いた」

「被害者のためを思ってやったのに」

「ああ、そうだ。でもやり過ぎた」


 和美は諦念の滲んだ声で言う。

 正義を標榜し、行き過ぎた正義を弾劾された。

 細川の中で世の中の正しいとされていることが突然歪んで見えた。 


「そこからコスモスは破滅の道まっしらぐらだ」


 和美が場の陰気さを紛らすように、少しおどけて言った。

 それでも声の奥に潜む悲涙を隠しきれていなかった。


「一人が自首したのをきっかけにメンバーの中から、元の生活に戻りたいって言いだす人が増えたんだ。

 あたしも無理強いしてコスモスと関わらせるわけにもいかなかったし、メンバーにもそれぞれやりたいことや将来の夢があって、引き留めるなんてなおさら出来なかった。

 そうして段々とメンバーが減っていって、年度の変わる直前の冬にコスモス結成の発端になった由紀も、和美とは縁を切って普通の中学生としてやり直す、って言ってコスモスを去ったんだ」


「その人がいなくなったからコスモスは解散することなったの?」

「解散というか自然消滅だ。あたしもメンバーの自首があってから荒事には首を突っ込みたくなくなって、当時のメンバーとは完全に縁を切ったしな。でもな」


 和美は続けて頭の後ろで揺れるポニテ―テールを掴む。


「この髪は当時のままだ。黒く染め直してない」

「どうして染め直さないの?」

「みんなが慕ってくれた土屋和美のままでいたいからな。コスモスのメンバーがあたしを見ても、髪の色違ってたら土屋和美だって気付けないかもしれないだろ」

「じゃあ、コスモスを去ったメンバーは現在普通の女子高校生として過ごしてるけど、土屋さんだけは不良のままで今に至ると」


 と細川は自ら話を完結させた。

 しかし和美は話の幕を閉じことなく、悲しみに満ちた目でじっと細川を見つめる。


「まだ、話は終わってねえよ」

「……そうなの? この後にも何かあるの?」

「この後が一番、辛かったんだよ」


 吐き捨てるように告げて、ダムが決壊したように和美が瞳から涙を零れた。

 和美の泣き顔での訴えを前に、細川は勝手に話を完結させた自分に自戒の鞭を打ちたくなった。

 涙の混じった和美が話を再開する。


「コスモスが自然消滅した後、あたしは学校の生徒や教師から恐れられるようになり、それが居心地悪くて授業をサボって不登校になっていったんだよ。

 でも奈保と由紀は真面目に学校へ通い続けた。奈保は郊外であたしとつるんでたから生徒が近づくことがなかったが、由紀はあたしと縁を切ってからは、顔を合わすことすらなくなかった。

 だから以前に由紀をいじめていた奴らがあたしの存在がなくなったのを機に、また由紀をいじめ始めた。

 そのいじめが中三の五月頃まで続いて、それまでいじめに耐えていた由紀がついに反抗したんだ。いじめのリーダー格の女子を背後からナイフで刺して、殺しちまったんだ。そして由紀は少年院に移され、うっ、たんだ……うっぐ」


 そこまで語り終えると、和美は堪えきれなかった嗚咽を漏らし始めた。

 自身の言葉によって悲しい記憶が生々しさを取り戻してしまったかのように、止めどない涙が頬を伝っていく。


「あたしは由紀が生徒を刺したってっていうことをニュースで聞いて、由紀へのいじめが再開されてたことを初めて知ったんだ。

 あたしの行動は何の救いにもなってなかったんだ。悪い奴を暴力で伸したところで、結局は何もかも元に戻っちまうんだよ」


 涙に濡れそぼった顔で和美は嘆き訴えた。

 細川の戸惑う視線と対すると、泣き顔を隠すように俯き両手で覆った。

 それでも止まらぬ嗚咽で肩が上下し続けている。


「もう泣かないって思ってたのによ、うぐっ、やっぱり……うぐっ、ダメだ」

「……」

「うぐっ、うぐっ……」

「……土屋さ……」

「カズミちゃんを泣かすなーーーーー!」

「えっ?」


 突然に割り込んだ声に細川が横を振り向くと、スポーツ刈りの勝気な表情をした少年のサッカーのシュートの時のように振り上げた右足が弧を描いて襲ってきた。


 細川の脛を目掛けて――。


 スポーツ刈り少年の爪先が脛を直撃すると、細川がひらがなの『い』の形に口元を歪め、しばらく脛の痛みに打ち震えた。


「ナイスシュート!」


 サッカーを楽しんでいた少年達のうちの一人が称賛の掛け声を張り上げた。

 痛みに顔を歪めたまま細川が少年たちに怒った声で言い返す。


「俺の脛はボールじゃねーぞ」

「「「カズミちゃんを泣かしたお前がワルーイ」」」

「泣かしてないよ」

「「「カズミちゃんにアヤマレー」」」


 アヤマレー、アヤマレーと反対運動の団体のように、少年たちが片手を上げ下げしながらのシュプレヒコールを公園内に響かせた。


「高校生を舐めやがって」


 細川が歯噛みしながら、憎々しげに少年たちを睨み返す。


「ふふっ」


 嗚咽の聞こえていた方向から、思わずといった笑い声が漏れた。

 細川の脛を蹴ったスポーツ刈りが、パッと表情を明るくさせる。


「あっ、カズミちゃんが笑ったぁ」

「……土屋さん?」


 スポーツ刈りの喜ぶ様子を見た細川が和美の方に視線を戻す。

 顔を覆ったはずの両手を下にずらして、泣き笑いの両目で細川を見つめていた。

 細川は急に気恥ずかしくなる。


「な、なに。土屋さん?」

「脛蹴られた時の幸也の顔、めちゃくちゃ面白かった」

「……面白がらないでよ」

「ははっ。いいじゃねえか、面白れぇーもんが面白れぇーんだから」

「何が面白いのか、俺にはわかんないね」


 目に涙を残したままの和美に可笑しそうに笑い続けられ、細川はどうでもいいや、という気持ちで理解を放棄する。

 和美が泣き顔から一変して笑い出したからか、少年少女が心配の顔で和美の元にかけ集まってくる。


「カズミちゃん。どうして泣いてたの?」


 一人の少女が他の友達の疑問を代弁する形で和美に訊く。

 和美は両手を顔から離して、少年少女に向かって真っすぐ微笑みかけた。


「昔のことを思い出してたんだよ」

「昔の事って、カズミちゃんが小さいときのこと?」

「どうだろうな、とにかくみんなが知らない遠い遠い世界の出来事だ」

「どれくらい遠いの?」

「あたしにも分からん。でも遠い世界だってことはわかる」

「カズミちゃんに分からないなら俺達にわかるもんじゃなさそうだな」


 一人の少年が諦めるように言った。

 他の少年少女も頷きあって同意する。


「それよりも。ドロケイとサッカーあたしがどっちに参加するか。代表出し合ってジャンケンだ」


 気を取り直した声で和美が提案すると、少年少女は弾けるような無邪気な歓声を上げた。

 その様子を細川が無言で眺めていると、不意に肩に手を置かれる。

 振り向くと、妹の美菜が無念の滲んだ顔で細川を凝視していた。

 ただならぬ妹の表情に細川は慌てて伺う。


「どうした美菜。怪我でもしたか?」

「アニキぃ」


 右手の親指を立てて、左手で指の根元を摘まんでいる。

 唇を噛む形相で美菜が言う。


「美菜が責任とって指詰めるっす」

「なんでだよ。詰めるなら普通小指だろ……小指でも詰めちゃダメだけど。というか何の責任とる気だ?」


 冗談だとは知りつつも、妹の発言の不可解な部分に細川は疑問を覚えた。

 実のこと。美菜は兄が和美を公園に呼び寄せ、好意の告白をしたと思っているのである。全くの勘違いだが。

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