3-2

 細川は昨日の呉本からの話を思い出し、気まずげに顔を逸らした。


「幸也は昨日。あれからどこ行ってたんだ?」

「別に。急用を思い出して」


 世間話の要領で和美は尋ねるが、細川は素っ気なく返した。

 和美の周りに少年少女が群がる。


「カズミちゃん、カズミちゃん」

「カズミちゃん、ドロケイしよー」

「カズミ姉ちゃん、サッカーしようぜ」


 自分を遊びに引き込もうとする少年少女に、和美は綻んだ微笑を向けた。

その微笑の中に少しばかりの申し訳なさを浮かべる。


「ごめんな。ちょっとこのお兄さんと話があるから、話が終わるまで待っててくれ」


 告げて、細川を親指で指し示す。

 少年少女は残念そうにしながらも頷き、サッカーとドロケイの組に分かれて公園内に散っていった。

 子供たちが離れると和美は細川に向き直る。


「なあ幸也」

「俺、用も済んだし帰るよ」


 細川は声をかけられるなりテーブルに並んでいたカードを仕舞った。

 カードを片づけてガゼボを出る。


「待てや、おい」


 和美がガゼボの日陰から出かけた細川の服の襟を掴んだ。

 背後から鈍器でも振りかざされたように驚いた顔で細川が振り返る。


「なんかあったのか、幸也?」

「……別になにもない」

「じゃあなんで逃げんだよ?」

「服が伸びる。やめてくれ」

「ああ、すまん」


 和美が細川の襟から手を離した。

 襟を直しながら細川は無表情で和美を見つめ返す。


「アニキ?」


 穏やかでない兄と和美の空気に気圧されて口を挟みかねていた美菜が、恐る恐る細川に伺う。


「アニキ、カズミちゃんと知り合いっすか?」

「まあ、な」


 細川は妹に顔を向け、煮え切らない声で答えた。

 幸也お前、と和美が不服げに細川を睨みつける。


「ふざけんじゃねえぞ。昨日だって一緒に居たじゃねーか」

「そんなこと言われても、俺……」


 途中で帰ったし、と言い訳しようとした寸前、細川を捉える和美の目が鋭く細められた。


「幸也。お前、誰かになんか吹き込まれたか?」

「……」


 図星だった。

 危険だから土屋和美と平田奈保とは関わらない方がいい、と勧められ、どんな態度で接すればいいのかわからず、結局は考えることを放棄して逃げた。


「どうなんだ?」

「……」

「なんか言えよ幸也」


 脅しに近い口調で返事を求められても、細川は場に適した言葉が出てこなかった。

 元不良グループのリーダーで暴力事件を起こしている、と呉本から聞かされた話が細川の中での和美を粗暴化させて、関わることを躊躇させていた。


「なあ、幸也」


 沈黙に焦れたように、和美が険を取り去った声のトーンで話しかける。

 細川は無言で和美の次の言葉を待った。

 不安そうな目になって和美が問いを放つ。


「あたしが恐いか?」

「……えっ?」


 思わぬ問いかけに、細川は和美の姿を改めて眺める。

 髪は赤くて派手だが、不安そう目をする聞いた和美は聞いた話ほどに危険さを感じず恐くはなかった。


「誰かは知らないがあたしの噂を聞いたんだろ?」

「まあ……」

「カズミちゃんが恐いわけないっす」


 曖昧な受け答えをする細川に被せて、美菜が断固として否定した。


「美菜?」


 細川が不意の妹の発言に驚く中、美菜は和美を敬慕の目を向けて続ける。


「カズミちゃんはよく私たちを遊んでくれるっす。そんな人が恐いわけないっす」

「でも、美菜。俺は土屋さんが昔に……」

「確かにカズミちゃんは私たちを遊ぶために学校をサボる悪い子っす。カズミちゃんが自分で言ってたっす」


 否定の言葉を細川が言い切る前に、美菜は告げた。

 ニヒヒ、と愉快気に笑って兄を見る。


「アニキ。噂なんかを真に受けちゃダメっす。きちんとカズミちゃんを見て恐い人か判断しないといけないっす」

「じゃあ、噂は?」

「デタラメに決まってるっすよ、そうっすよねカズミちゃん?」


 美菜が和美本人に尋ねた。

 和美は微苦笑を返す。


「そうだ。美菜ちゃんの言う通りだ」


 和美の答えを聞き、嬉しそうに美菜は兄を向き直る。


「ほら、噂はデタラメっす」

「そうなのか」


 細川は和美に視線を据えた。

 彼の中での和美の暴力的なイメージが消え去り、さばけた人柄の女子生徒の像だけが残った。

 噂を鵜呑みにして敬遠しようとしていた自分を恥じて、細川の胸を急に申し訳なさが埋める。


「土屋さん」

「うん?」

「悪い人だと思い込んで、ごめん」

「あ、お、おう……」


 和美は煮え切らない口調で相槌を打ち、細川の隣にいる美菜に目線を移す。

 そして美菜に人の良い笑顔を見せた。


「美菜ちゃん。あたしは幸也に大事な話があるから他の子と遊んでて」

「アニキに大事な話っすか。どんな話っすか?」

「それは美菜ちゃんでも内緒」

「なるほど。内緒っすか」


 美菜は何か感じ取った様子で頷き、細川に振り向く。

 健闘を祈るように親指を突き立てると、細川に背中を向けて同年代の少女の集まっている方へ駆けだした。


「どうしてサムズアップしたんだ美菜は?」

「アニキ頑張れ、ってことだろ」


 不可解そうに疑問を口にする細川に、和美が苦笑しながら答えた。

 数瞬の沈黙を経てから、和美は真面目な表情を細川に向ける。


「幸也。大事な話があるんだ」

「何?」


 またメモリースポーツのことかな、と細川は推測して和美の言葉を待った。

 和美がベンチを指さす。


「とりあえず、ベンチに座ろうぜ。立ったままだと話しにくい」

「そうか」


 緊張した雰囲気のまま、二人でベンチに並んで腰掛けた。

 涼風が穏やかに二人の頬を撫でる。

 サッカーをする少年たちを眺めながら和美が口を開いた。


「私はみんなに恐れられてる」

「……はあ。そうなんだ」


 一人歩きした噂のせいだろうな、と細川は事情を察した。

 和美が言葉を続ける。


「幸也が誰からどんな噂を聞かされたのか知らないけど、教師を殴ったとか、生徒に暴行したとか、不良グループのリーダーだったとか、そういう話だろ?」

「ああ、そうだよ。けど今思えば大袈……」

「噂は全部ホントだ」


 大袈裟、と細川が言おうとしたところで、和美の告白が被さった。


 細川は出かかった声を喉に押し留めて、愕然と和美の方に顔を向ける。

 和美は少年たちがサッカーする様子を未だに眺めており、細川に視線を移さぬまま口を動かす。


「驚いたか?」

「え。まあ、噂がホントとは思えなくて」


 噂がデタラメというのが嘘。


 和美本人が肯定したことにより、細川は立ち入り禁止の地に踏み込んでしまったかのような胸苦しさを急に覚えた。

 ははは、と和美の口から空虚な笑い声が漏れる。


「とはいえ噂はすべて中学時代の話だけどな。今は授業をサボるだけの不良だ」

「……」


 笑うところなのだろう、と思いながらも細川は愛想笑いさえ出来ない。

 安易に返事をしてはいけない気がして何も言えなかった。


「なあ幸也?」


 悲愁の影さえ窺えない普段の調子で和美が話しかける。

 細川は無言で問いの続きを促した。

 間を置いて、和美が問いを口にする。


「逃げないんだな?」

「……はい?」


 出所不明な問いかけだったので細川は訊き返した。


「あたしが元不良グループのリーダーで、教師を殴ったり、生徒に暴行した人間なのに、幸也は逃げないんだな、と思ってさ」

「そういうことか」

「今日あたしが声かけたとき逃げようとしただろ? でも噂がホントだって知ったのに今度は逃げてないだろ?」

「関わらない方がいいって聞いたから逃げようとしただけだ」

「だろうな。あたし札付きだし」


 軽口のように言った。

 が、すぐに真面目なトーンで質問する。


「幸也はあたしが恐いか?」

「……いや。恐くない」


 細川は率直に答えた。

 噂が本当のことだとしても今の和美を細川は恐ろしいとは感じなかった。


「そうか。なら良かった」


 細川の返答に和美がほっと表情を緩めた。


「ダチを失わなくて済んだ」

「ダチって?」

「幸也」

「俺なのかよ」


 幸也以外この場にいないだろ、と和美が笑い交じりに返す。

 和美が自身のことを『ダチ』だと思っていたことに、細川は実感がないながらも照れ臭かった。


「あたしは同年代のダチが少ないからな、貴重なんだ」

「友達多そうだけど」

「あたしのどこをどう見て言ってんだよ」

「平田さんとか……」


 そこまで名を挙げて細川は言葉に詰まった。

 和美の周りに奈保以外の姿を見たことなかったのだ。


「他の奴の名前、出てこないだろ?」

「そうだね」

「言っただろ、みんなに恐れられてるって。あたしの噂を知ってる奴は誰もが距離を置こうとするぜ」

「不良グループの元リーダーなら、そりゃ距離を置きたいよ」

「それが普通の反応だ。でも幸也はあたしの噂なんて知らなかっただろ?」

「まあ。知ってたら関わり持とうなんてしなかったと思う」

「だろうな」


 ニヒヒ、と悪戯っ子みたいに笑った。

 そして笑いを残した顔で話を振る。


「そういや、幸也はあたしの噂をどこまで聞いたんだ?」

「どこまでって?」

「コスモスは?」

「あー、そういえば聞いたよ。土屋さんが仕切ってた女子不良グループだっけ?」

「そうか知ってんだな、コスモス」


 懐かしむような声で言い、細川を真剣な眼差しで見つめる。


「中学時代の話、していいか?」

「え。俺が聞いていいのかな、その話」

「ダチなら聞いてくれよ、あたしの昔語り」

「……わかった」


 和美の真剣さを受け止めたように細川が表情を引き締める。

 細川自身、和美の過去に興味がないわけではなかった。


「中学一年の秋……」


 和美が滔々と話し始める。

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