2-7
購買近くの自販機で買った二本の緑茶を抱えて細川が図書室へ戻ろうとした時、向かいの廊下から呉本が栗色のハーフアップの髪を思索的な顔でいじりながら歩いてきた。
自販機の前に細川の姿を見ると、髪をいじる手を止めて立ち止まる。
じっと細川を凝視した。
え、何? と細川が不審そうに呉本を見返していると、呉本の方から細川に歩み寄ってくる。
「丁度いいところにいた。細川……さちや君だったっけ?」
「細川ゆきやです。女性演歌歌手みたいに呼ばないでください」
「それよりも、あの二人は?」
「何ですか。突然話しかけてきましたけど?」
急に近づいてきて尋ねる呉本に、細川は警戒心あらわに訊き返した。
当然の疑問か、という顔つきをしてから呉本は答える。
「君に話しておくべき事があってね。少し時間貰うよ」
「話しておくべき事、ですか」
「土屋和美と平田奈保。二人の事」
「あー。二人なら図書室にいるよ」
「いるよ、じゃなくて……」
呉本がもどかしげに眉をしかめた。
細川は口を噤み、呉本の言葉を待つ。
「君はもう少し危機感持った方がいいと思う」
「危機感? どうして?」
「あの二人の素性を知らない?」
「メモリースポーツを部活にしたい二人だろ?」
「君の中であの二人は随分と平和な人間なんだね」
呆れたように言った。
細川は疑問符の浮かんだような顔になる。
「どういうことですか? 呉本さんは何が言いたいんですか?」
「まさか、ほんとに知らないの?」
「何を?」
「二人の中学時代の噂」
「中学時代? 二人に何かあったんですか?」
事故の被害者とか、いじめの被害者とか、悲劇的な出来事を二人の背景として重ねて、細川の顔に心配が宿る。
呉本は深刻な表情で口を開く。
「私は信じてないけども。あの二人は中学二年の頃に暴力沙汰を起こしてるらしい」
「え?」
被害者だった和美と奈保の像が細川の中で一瞬にしてぼやけた。
しかし二人が暴力をしている様は思い浮かばない。
「暴力沙汰ってどういうこと? 何があったんですか?」
焦りと困惑が混じった声で細川が尋ねた。
冗談ではない顔で呉本が告げる。
「事実かは不明だけど、土屋和美が首謀になって同じ学校の女子生徒三名を殴って怪我を負わせた。私は又聞きしただけだから詳しいことは知らないけど」
「殴ったって言っても、個人間のちょっとしたいざこざじゃないんですか?」
「どこまで行っても君の中でのあの二人は普通の女子生徒なんだね」
呆れの含んだ声で細川を揶揄した。
呉本に否定されても細川は信じられなかった。
「他にもあるよ」
追い打ちをかけるように言う。
「当時二人の通っていた中学校の男性教師を集団で襲って病院送りにしたの。それが本当に土屋さんたちだったのかは判明してないけど」
「嘘だろ?」
「どこまで本当なのかは私もわからない。けど二人と同じ中学の人に聞けば、真っ先にあの事件と土屋和美と平田奈保の名前が出るから」
「二人がそんな事件を起こすとは思えません」
「今の二人を見てたらそれも当然。特に平田さんは中学時代の噂が嘘だと思うくらい真面目な生徒だから」
「中学時代は不真面目だったの?」
「私も実際この目で見てたわけじゃないから知らないけど、コスモスの副リーダーだったらしいからね」
「コスモス?」
「それも知らない? 二年前までこの街でそういう名前の女子不良グループがあったんだ。直接は見たことないけど」
「ごめん、聞いたことない。平田さんがそのグループの副リーダーだったのか?」
細川は未だに信じられない気持ちがありながらも、真実か見極めたい興味に負けて質問を口にしていた。
呉本はしっかりと頷く。
「そう。平田奈保が副リーダー。それに土屋和美に至ってはグループのリーダー」
「土屋さんもグループに入ってたんだ」
「土屋和美が入ってたというより、むしろ土屋和美が平田奈保をグループに誘ったと私は思ってる」
呉本の話に和美の強引さを連想した。
土屋さんがグループに誘い、平田さんがそれに誘いに応じる。十分に想像がついた。
「これだけ聞いたら、あの二人が普通の生徒じゃないことは理解できるね?」
「なんで俺にその話をしたんですか?」
「どうして。そんなこと聞くの?」
「話す機会はいくらでもあったはずなのに。なんで今になって」
「前々から悪い噂があるのは聞いてたんだけど、部活申請の件で改めて調べたら噂の内容を知ってね。それで君に一応伝えといて方がいいかなと思って」
心配するような声で呉本が答えた。
呉本の懸念を感じ取ったように細川の背に緊迫が走る。
「高校生になってからの二人の悪い噂は聞かないけど、それでも元々は危険な不良だったって噂がある。君のクラスには平田奈保がいて、放課後には二人揃ってる。これほどに危険な状況に今君は置かれてるんだよ」
「二人は別に何もしないと思うけど」
細川の中では和美と奈保の人物像が未だに判然と定まっていない。
それでも心中に波風が立っていた。呉本が嘘を言ってようには見えず、二人の悪い噂が耳に引っかかってしまった。
呉本は気遣いの顔で言う。
「弱みでも握られてるなら誰でもいいから教師に相談して、とにかく二人とは深く関わらない方が賢明だよ。君まであらぬ噂を立てられかねないから」
「……はい」
「私が告げ口したってこと二人に言わないでね。それじゃ」
話題を早く止めたがる忙しさで呉本は踵を返し、廊下を足早に去っていった。
「二人とは関わらない方が賢明、か」
呉本の懸念が如実に表れた言葉を口の中で反芻する。
その瞬間、細川は自分の中で二人へ隔意の生じたのを感じた。
どんな顔して図書室にいる二人と顔を合わせればいいのか。
図書室に戻ろうとしていた足が遠ざかる方角に転進する。
「面倒だな」
思わず口から洩れた。
二人のことについて悩むのが億劫だった。
ひとまず距離を置こう、と問題を先延ばしにして細川は二本分のペットボトルを持ったまま昇降口に向かった。
幸い、リュックごと持ってきていた。
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